白雲去来

蜷川正大の日々是口実

烈士、三浦重周十三回忌・早雪忌

2017-12-19 11:46:15 | 日記
十二月十日(日)晴れ。

平成十七年の今日、郷里の新潟の港で、吹雪の中壮烈な自決を遂げた、重遠社代表の三浦重周さんの十三回忌、「早雪忌・偲ぶ会」が行われ、志村馨君と共に出席。早いもので、もう十三回忌か・・・。三浦さんとは、それほど親しくもなく、かといって仲が悪いという訳でもなく、程よい距離を保ってお付き合いをさせて頂いた。三浦さんは「憂国忌」の実行委員、私は「群青忌」の主催者と、お互いに遠慮があったのかもしれない。

それでも、三浦さんには、私が主催した勉強会や、後輩が起こした事件の支援集会での講演をお願いしたり、お世話になってはいた。なぜこれまで、三浦さんの「早雪忌」に出席しなかったのか。それは簡単な話で、案内状が届かなかったからである。また三浦さんが在籍していた日本学生同盟のOBの方々とは、ほとんどお付き合いが無い。唯一、山平重樹さんぐらいなものだろうか。言い訳がましいが、様々な感情があって、これまで出席をしなかった。三浦さんの遺影の前で、素直に詫びた。三浦さんとのことは、いずれ私の機関誌に書かせて頂きたいと思っている。以下は日本学生同盟のOBであり、政治評論家として活躍している宮崎正弘氏の三浦さんの追悼文の一部である。

「我々の思想的同士、かけがえのない友人だった三浦重雄さんは、さる十二月十日、故郷・新潟の岸壁において、皇居遙拝をすませ、正座を崩さずに古式にのっとり切腹、五十六歳の生涯をみずから閉じられました。当日は凛烈な寒風が波止場に吹き付けており天候は吹雪でした。この静かなる切腹は大西中将、阿南陸軍大臣、大東塾の多くの烈士、江藤小三郎、そして村上一郎の系譜にも繋がるものです。三島・森田両烈士の義挙からはや三十五年。その追悼会「憂国忌」の裏方の責任者でもあった三浦さんは、みごとな統率力で本年の催しを無事終了させ、憂国忌の事後処理を終え、恒例の多摩霊園における墓前報告蔡など一連の行事を滞りなくおえて、さあ一杯やろうか、と言い合っていた矢先、先に旅立ってしまったのです。」

なぜ、私がこれまで早雪忌に出席しなかったのか・・・。分かる方には、お分かり頂けること思う。しかし、そんな私の拘りも、三浦さんの死とは全く関係もなく、十二年の歳月が忘れさせてくれた。大悲会の志村君を誘ったのも、そういった考えからである。思えば、三浦さんは、民族派運動には、かけがえのない人だった。いつか新潟を訪れ、墓前で手を合わせたいと思っている。合掌。尚、三浦さんのことを詳しく知りたい人は、山平重樹さんの『決死勤皇・生涯志士』(並木書房)をご一読ください。

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忘年会へ。

2017-12-19 11:27:30 | 日記
十二月九日(土)晴れ。

良い天気である。少々二日酔い気味だが、目が覚めるとすぐに朝食の準備。大好きな「新玉ねぎ」の味噌汁、本牧の老舗「奇珍」のシューマイ、赤ウインナー。みそ汁の味噌は愚妻の母の手造りのものだ。添加物など余計なものは使っていないので、コンブとかつお節でしっかりとダシを取る。使用するコンブは、社友からご恵送頂いた一等検の真昆布。料理屋をやっている友人に言ったら「うちの店よりも良いものを使っている」と言われた。正直言って、自宅の味噌汁などにはもったいないが、さすがに良い出汁が出て美味しい。かつお節は、市販のものだが、そのうちに「削り節器」を買って、本格的にやってみようと思っている。

夜は、大日本一誠会の忘年会が、東京の中華料理店にて開催され、群青の会の大熊雄次氏と共に出席。親しい人たちばかりの会で、中華料理を堪能した。終了後は直帰。

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先生でなくとも忙しい一日だった。

2017-12-19 10:43:33 | 日記
十二月八日(金)曇り。

靖国会館にて、毎年、森田忠明さんらが開催している「大詔奉戴祭」の七十六年祭に出席。靖国神社にて大熊雄次氏、O氏と待ち合わせ。会場に入り、本日の講師である長谷川三千子先生にご挨拶をする。長谷川先生は、平成十二年に開催した第七回「群青忌」にて追悼講演をして頂き、四年前の二十年祭には、来賓としてご挨拶を頂いた。この時のパンフレットに長谷川先生が書いて頂いた「追悼文」に東京新聞のチンピラ記者がイチャモンをつけた。当時NHKの経営委員であった長谷川先生が、拳銃自決をした野村先生の追悼文を書くと言うことがケシカランと言うのだ。

言いがかりも甚だしいが、まあ過激なことをやって長谷川先生にご迷惑をお掛けしてはいけないと、我慢したが、I会のK氏による情報提供で、書いた記者の名前もわかっているので、何かあったなら次は許さないと、若い人たちには言ってある。

長谷川先生の講演は、とても良かった。長谷川先生の著書『神やぶれたまはず』(中公文庫)を分かりやすく解説をして頂いているような感じで、勉強になった。講演終了後に、森田忠明氏や長谷川先生にご挨拶をして退席。

今日は、夜六時より、私が役員の末席を汚している民族革新会議の忘年会がある。講演が終わったのが一時前。どう暇を潰そうかと考えた挙句、O氏の提案で銀座の「ライオン」に行こうと言うことになった。大好きな「アイスバイン」を肴にチビリ、チビリ。なぜチビリ・チビリかと言えば、六時の忘年会まで私を酔わせないようにと、大熊氏からO氏が厳命されている。私も言いつけを守って、黒ビールを一杯やってから、「男梅割り」をたったの三杯でやめて、街宣をしているという同志を激励に錦糸町へ。残念ながら合流できず。仕方なく、門前仲町の「日本再生酒場」へ。ここでもチビリ・チビリとやって、忘年会に向かう。帰りは当然ヘロヘロになって帰宅。

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