十二月十日(日)晴れ。
平成十七年の今日、郷里の新潟の港で、吹雪の中壮烈な自決を遂げた、重遠社代表の三浦重周さんの十三回忌、「早雪忌・偲ぶ会」が行われ、志村馨君と共に出席。早いもので、もう十三回忌か・・・。三浦さんとは、それほど親しくもなく、かといって仲が悪いという訳でもなく、程よい距離を保ってお付き合いをさせて頂いた。三浦さんは「憂国忌」の実行委員、私は「群青忌」の主催者と、お互いに遠慮があったのかもしれない。
それでも、三浦さんには、私が主催した勉強会や、後輩が起こした事件の支援集会での講演をお願いしたり、お世話になってはいた。なぜこれまで、三浦さんの「早雪忌」に出席しなかったのか。それは簡単な話で、案内状が届かなかったからである。また三浦さんが在籍していた日本学生同盟のOBの方々とは、ほとんどお付き合いが無い。唯一、山平重樹さんぐらいなものだろうか。言い訳がましいが、様々な感情があって、これまで出席をしなかった。三浦さんの遺影の前で、素直に詫びた。三浦さんとのことは、いずれ私の機関誌に書かせて頂きたいと思っている。以下は日本学生同盟のOBであり、政治評論家として活躍している宮崎正弘氏の三浦さんの追悼文の一部である。
「我々の思想的同士、かけがえのない友人だった三浦重雄さんは、さる十二月十日、故郷・新潟の岸壁において、皇居遙拝をすませ、正座を崩さずに古式にのっとり切腹、五十六歳の生涯をみずから閉じられました。当日は凛烈な寒風が波止場に吹き付けており天候は吹雪でした。この静かなる切腹は大西中将、阿南陸軍大臣、大東塾の多くの烈士、江藤小三郎、そして村上一郎の系譜にも繋がるものです。三島・森田両烈士の義挙からはや三十五年。その追悼会「憂国忌」の裏方の責任者でもあった三浦さんは、みごとな統率力で本年の催しを無事終了させ、憂国忌の事後処理を終え、恒例の多摩霊園における墓前報告蔡など一連の行事を滞りなくおえて、さあ一杯やろうか、と言い合っていた矢先、先に旅立ってしまったのです。」
なぜ、私がこれまで早雪忌に出席しなかったのか・・・。分かる方には、お分かり頂けること思う。しかし、そんな私の拘りも、三浦さんの死とは全く関係もなく、十二年の歳月が忘れさせてくれた。大悲会の志村君を誘ったのも、そういった考えからである。思えば、三浦さんは、民族派運動には、かけがえのない人だった。いつか新潟を訪れ、墓前で手を合わせたいと思っている。合掌。尚、三浦さんのことを詳しく知りたい人は、山平重樹さんの『決死勤皇・生涯志士』(並木書房)をご一読ください。
平成十七年の今日、郷里の新潟の港で、吹雪の中壮烈な自決を遂げた、重遠社代表の三浦重周さんの十三回忌、「早雪忌・偲ぶ会」が行われ、志村馨君と共に出席。早いもので、もう十三回忌か・・・。三浦さんとは、それほど親しくもなく、かといって仲が悪いという訳でもなく、程よい距離を保ってお付き合いをさせて頂いた。三浦さんは「憂国忌」の実行委員、私は「群青忌」の主催者と、お互いに遠慮があったのかもしれない。
それでも、三浦さんには、私が主催した勉強会や、後輩が起こした事件の支援集会での講演をお願いしたり、お世話になってはいた。なぜこれまで、三浦さんの「早雪忌」に出席しなかったのか。それは簡単な話で、案内状が届かなかったからである。また三浦さんが在籍していた日本学生同盟のOBの方々とは、ほとんどお付き合いが無い。唯一、山平重樹さんぐらいなものだろうか。言い訳がましいが、様々な感情があって、これまで出席をしなかった。三浦さんの遺影の前で、素直に詫びた。三浦さんとのことは、いずれ私の機関誌に書かせて頂きたいと思っている。以下は日本学生同盟のOBであり、政治評論家として活躍している宮崎正弘氏の三浦さんの追悼文の一部である。
「我々の思想的同士、かけがえのない友人だった三浦重雄さんは、さる十二月十日、故郷・新潟の岸壁において、皇居遙拝をすませ、正座を崩さずに古式にのっとり切腹、五十六歳の生涯をみずから閉じられました。当日は凛烈な寒風が波止場に吹き付けており天候は吹雪でした。この静かなる切腹は大西中将、阿南陸軍大臣、大東塾の多くの烈士、江藤小三郎、そして村上一郎の系譜にも繋がるものです。三島・森田両烈士の義挙からはや三十五年。その追悼会「憂国忌」の裏方の責任者でもあった三浦さんは、みごとな統率力で本年の催しを無事終了させ、憂国忌の事後処理を終え、恒例の多摩霊園における墓前報告蔡など一連の行事を滞りなくおえて、さあ一杯やろうか、と言い合っていた矢先、先に旅立ってしまったのです。」
なぜ、私がこれまで早雪忌に出席しなかったのか・・・。分かる方には、お分かり頂けること思う。しかし、そんな私の拘りも、三浦さんの死とは全く関係もなく、十二年の歳月が忘れさせてくれた。大悲会の志村君を誘ったのも、そういった考えからである。思えば、三浦さんは、民族派運動には、かけがえのない人だった。いつか新潟を訪れ、墓前で手を合わせたいと思っている。合掌。尚、三浦さんのことを詳しく知りたい人は、山平重樹さんの『決死勤皇・生涯志士』(並木書房)をご一読ください。