白雲去来

蜷川正大の日々是口実

二十一世紀書院の忘年会。

2017-12-22 18:22:44 | 日記
十二月十二日(火)晴れ。

朝食は、昨日買ったまぐろを使って、お歳暮で頂いた「山芋」をすって「山かけ」にした。午前中に事務所によって所要を済ませてから中華街へ。今日は、恒例のわが社の忘年会である。年末の忙しい折に、ご出席を賜り、心から厚く御礼を申し上げます。

お店の方が気を使ってくれて、自画自賛しても仕方がないが、料理は最高で、次から次と出てきて、食べきれないほどだった。「蜷川さんの所の忘年会の料理が一番良い」と言ってくれる人もかなりいて、鼻が高い。

三時間ほどで、終了。有難うございました。山下公園近くの「ラッキーの店」に顔を出す。今日、老舗のナイトクラブ、クリフサイドにて横浜を代表するカメラマンの森日出夫さんの「古稀の祝い」があった。重なる友人も多いので、サリーパパなどは、森さんの祝いと私の忘年会と掛け持ちだった。元ゴールデンカップスのエディ潘さんと会う。森さんのパーティーで演奏をしたそうだ。

その後、サリーズバーに寄ってから帰宅。ご出席頂いた皆様に感謝、感謝である。

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平沼の角にあるから、「角平」。

2017-12-22 18:05:16 | 日記
十二月十一日(月)晴れ。

昼に、蕎麦屋の名店、平沼の『角平』で友人と約束したので朝食は抜いた。正午に行くものならば、並ばなければ店に入れないので、十一時半に待ち合わせた。店に入ってみると、ほぼ満席の状態である。

私たちは、名物の「つけ天そば」と「カツ丼」を二人で分けた。以下は『角平』の歩みです。

戦前はカツ屋を営んでおりましたが、1950年(昭和25年)に先代の女将 藤江婦美子により蕎麦屋『角平』として創業いたしました。 『角平』の由来は「平沼の角にあるから」と実に単純なものです。昭和34年頃県庁の方のご紹介で初代自民党副総裁の大野伴睦氏がご来店くださいました。 親分肌で知られる大野氏と初代女将は義兄弟の杯をかわすほど昵懇の仲となりました。

そんな折1人の紳士がふらりと当店を訪れました。どこかでお見かけしたお顔だと思っていると、なんと当時の岸信介総理。箱根静養に行く途中、大野氏のご紹介により当店にお立ち寄りくださいました。 こんなエピソードがあります。黒塗りの車を交叉点の角にとめていたため、お巡りさんが店に来て、「あの車をどかしなさい」

こんなエピソードがあります。黒塗りの車を交叉点の角にとめていたため、お巡りさんが店に来て、「あの車をどかしなさい」「でも、お客さんの車ですから」「お客にどかせるよう言いなさい」「大変ですよ…、総理大臣なんですよ」「はいはい、総理大臣でもなんでもいいから、どかせなさい!」ですが本物の総理大臣とわかり、戸部署から大勢の警官がすっ飛んで来たそうです。以来岸氏は何度も当店を訪れ、その紹介で重光葵 元外相も来店してくださいました。 重光氏はそれからまもなく死去したため、店には、彼を悼んで岸氏が書いた「一椀蕎麦に旧友を憶ふ」という直筆の色紙が残っております。

というお店なのです。昼間でもあり、「蕎麦前」をしないで、食後は真面目に事務所にて仕事。夜もおとなしく酔狂亭で月下独酌。

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