白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ひとりで食べる湯豆腐うごく

2017-12-27 18:03:27 | 日記
十二月十八日(月)晴れ。

六時半に起きる。家族が皆出かけた後は、のんびりと朝食。千葉産のサバの文化干し、湯豆腐、わかめの味噌汁。以前、下町の横浜橋商店街を歩いていたら、一人湯豆腐をするのにちょうどよいアルミの鍋があって、衝動買いした。ちなみに湯豆腐を食べるのは我が家では私だけである。しかし、湯豆腐は、ご飯のおかずなのか、酒の肴なのか・・・。どっちの部類に入るのだろう。私は、湯豆腐には、余計なものを入れない。ビシッとした高級コンブの上に絹ごしの豆腐を入れてあたためるという、ごくシンプルなものが好きである。そして、みじん切りにしたネギとかつお節に醤油、それを少しのお湯で薄めて、豆腐をいれてふうふうしながら食べる。

そう言えば、刑務所から晴れて出所すると、豆腐を食する習慣があるそうだ。詳しいことは知らないが、刑務所の穢れを流し、身を清めると言うほどの意味があるのかもしれない。横浜市出身の俳人に秋元不死男と言う人がいた。大桟橋ふ頭ビルの入口脇に彼の句碑があり、碑には「北欧の船腹垂るる冬鷗」と刻まれている。戦前の新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。出所後に詠んだのが「二年や獄出て湯豆腐肩ゆする」の句である。私は、豆腐よりも、ホテルの部屋の饅頭が嬉しかった。

雪でも降ったなら湯豆腐を肴に、高知の焼酎「ダバダ火振り」のお湯割りでもやりたいものだ。「ひとりで食べる湯豆腐うごく」とは山頭火の句である。

夜は、名前だけ立派な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。キンメのしゃぶしゃぶが美味しかった。終了後に有志にて関内へ転戦。最後はサリーズバーで〆。

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障子の張替え。

2017-12-27 17:33:49 | 日記
十二月十七日(日)晴れ。

当たり前だが、冬の朝は寒い。カメのように布団から顔だけを出して、起きるタイミングを計っている。一度は行ってみたいと思っているのが満州である。現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の三省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする中国の東北部である。ハルピンなどは、冬には零下三十度にもなるという。馬賊小説に憧れていた少年時代。まさか満州の冬がそんなに厳しいとは知らなかった。私が経験した一番の寒さは、網走に留学していた頃に、零下十七度と言う日があった。歳を取ると暑さ、寒さが身に染みる。

天気が良いので、午後から、愚妻と一緒に、二階の部屋の障子貼りを行った。絵に書いたような建売の陋屋だが、暮になると一階と二階の和室の障子を張り替える。我が家の年中行事である。アイロンを当たるだけで貼れるのだから簡単便利なものである。昨年末は、一階の襖と畳を新しくした。まるで新築の家に戻ったような感じがして嬉しかった。障子を新しくするだけで部屋が明るくなり、陽射しが柔らかく感じる。もう幾つ寝るとお正月だ。

夜は、酔狂亭で独酌。錦糸町のスナック「223」のキムチと豚バラを炒めた「豚キムチ」、キャベツをごま油と塩こんぶで和えたサラダ。もやしのナムル。チョワヨーと食べた。

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