十二月十八日(月)晴れ。
六時半に起きる。家族が皆出かけた後は、のんびりと朝食。千葉産のサバの文化干し、湯豆腐、わかめの味噌汁。以前、下町の横浜橋商店街を歩いていたら、一人湯豆腐をするのにちょうどよいアルミの鍋があって、衝動買いした。ちなみに湯豆腐を食べるのは我が家では私だけである。しかし、湯豆腐は、ご飯のおかずなのか、酒の肴なのか・・・。どっちの部類に入るのだろう。私は、湯豆腐には、余計なものを入れない。ビシッとした高級コンブの上に絹ごしの豆腐を入れてあたためるという、ごくシンプルなものが好きである。そして、みじん切りにしたネギとかつお節に醤油、それを少しのお湯で薄めて、豆腐をいれてふうふうしながら食べる。
そう言えば、刑務所から晴れて出所すると、豆腐を食する習慣があるそうだ。詳しいことは知らないが、刑務所の穢れを流し、身を清めると言うほどの意味があるのかもしれない。横浜市出身の俳人に秋元不死男と言う人がいた。大桟橋ふ頭ビルの入口脇に彼の句碑があり、碑には「北欧の船腹垂るる冬鷗」と刻まれている。戦前の新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。出所後に詠んだのが「二年や獄出て湯豆腐肩ゆする」の句である。私は、豆腐よりも、ホテルの部屋の饅頭が嬉しかった。
雪でも降ったなら湯豆腐を肴に、高知の焼酎「ダバダ火振り」のお湯割りでもやりたいものだ。「ひとりで食べる湯豆腐うごく」とは山頭火の句である。
夜は、名前だけ立派な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。キンメのしゃぶしゃぶが美味しかった。終了後に有志にて関内へ転戦。最後はサリーズバーで〆。
六時半に起きる。家族が皆出かけた後は、のんびりと朝食。千葉産のサバの文化干し、湯豆腐、わかめの味噌汁。以前、下町の横浜橋商店街を歩いていたら、一人湯豆腐をするのにちょうどよいアルミの鍋があって、衝動買いした。ちなみに湯豆腐を食べるのは我が家では私だけである。しかし、湯豆腐は、ご飯のおかずなのか、酒の肴なのか・・・。どっちの部類に入るのだろう。私は、湯豆腐には、余計なものを入れない。ビシッとした高級コンブの上に絹ごしの豆腐を入れてあたためるという、ごくシンプルなものが好きである。そして、みじん切りにしたネギとかつお節に醤油、それを少しのお湯で薄めて、豆腐をいれてふうふうしながら食べる。
そう言えば、刑務所から晴れて出所すると、豆腐を食する習慣があるそうだ。詳しいことは知らないが、刑務所の穢れを流し、身を清めると言うほどの意味があるのかもしれない。横浜市出身の俳人に秋元不死男と言う人がいた。大桟橋ふ頭ビルの入口脇に彼の句碑があり、碑には「北欧の船腹垂るる冬鷗」と刻まれている。戦前の新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。出所後に詠んだのが「二年や獄出て湯豆腐肩ゆする」の句である。私は、豆腐よりも、ホテルの部屋の饅頭が嬉しかった。
雪でも降ったなら湯豆腐を肴に、高知の焼酎「ダバダ火振り」のお湯割りでもやりたいものだ。「ひとりで食べる湯豆腐うごく」とは山頭火の句である。
夜は、名前だけ立派な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。キンメのしゃぶしゃぶが美味しかった。終了後に有志にて関内へ転戦。最後はサリーズバーで〆。