五月二十二日(火)晴れ後曇り。寧波にて。
七時に起床。八時にホテルの朝食会場へ。昨日に続き、ハムエッグスと餃子。九時にロビーへ。今日は、蒋介石関係の史跡を見学するとのこと。バスで渓口という所に行く。渓口には、蒋介石の住居跡や、中国の国立公園?の「雪竇山景区」、そして蒋介石が息子の経国らと暮らしていた建物などがある。
共産党の政権下で、国民党の蒋介石の遺跡を観光地にしているのは、少し不思議な感じがするが、恐らく台湾からの観光客を誘致するためではないかと思う。蒋介石が国共内戦で敗れ、台湾に行くまで、作戦を指揮していたという「妙高台」へ行くが、何しろ四百段以上もある階段を上らなければならない。実は、ガイドさんがいるのだが、全く日本語が分からない人で、延々中国語で解説するのだが、当然ながらチンプンカンプンである。一緒に行った方々も、多少の日本語が出来るのだが、正直言って、かなりの部分、通じなかった。
昼食も、何とか言う海鮮料理屋に行ったが、ここでもまた「ザリガニ」が出た。何でも、中国では、ザリガニを「小伊勢海老」と呼んで人気があり、チェーン店も沢山あると言う。
午後は、蒋介石の生家に案内された。途中に蒋介石に似たモデルの人がいて十元(約百七十円)で一緒に写真に撮って貰える。また邸内には、日本軍の爆撃によって亡くなった蒋経国の母の怨みを忘れまいとして、母が倒れた台所の脇の通路に、「以血洗血」(死をもってこの恨みを晴らすと言う意味)と報復を誓って揮毫した石碑がある。
夜は、中国の歴史博物館のような料理店に招かれた。正面のホールには、唐代から、清までの間、中国で古くから行われた官吏登用のための資格試験「科挙」の第一等の成績を修めた者に与えられる称号「状元」の人たちの名が描かれていた。その中に、好きな詩人の王維の名があった。
二時間ほどで、終了してホテルへ。ラウンジで少しだけ飲んで部屋に戻った。※写真は、妙高台にて、蒋介石も座ったと言われている長寿の石にて。
七時に起床。八時にホテルの朝食会場へ。昨日に続き、ハムエッグスと餃子。九時にロビーへ。今日は、蒋介石関係の史跡を見学するとのこと。バスで渓口という所に行く。渓口には、蒋介石の住居跡や、中国の国立公園?の「雪竇山景区」、そして蒋介石が息子の経国らと暮らしていた建物などがある。
共産党の政権下で、国民党の蒋介石の遺跡を観光地にしているのは、少し不思議な感じがするが、恐らく台湾からの観光客を誘致するためではないかと思う。蒋介石が国共内戦で敗れ、台湾に行くまで、作戦を指揮していたという「妙高台」へ行くが、何しろ四百段以上もある階段を上らなければならない。実は、ガイドさんがいるのだが、全く日本語が分からない人で、延々中国語で解説するのだが、当然ながらチンプンカンプンである。一緒に行った方々も、多少の日本語が出来るのだが、正直言って、かなりの部分、通じなかった。
昼食も、何とか言う海鮮料理屋に行ったが、ここでもまた「ザリガニ」が出た。何でも、中国では、ザリガニを「小伊勢海老」と呼んで人気があり、チェーン店も沢山あると言う。
午後は、蒋介石の生家に案内された。途中に蒋介石に似たモデルの人がいて十元(約百七十円)で一緒に写真に撮って貰える。また邸内には、日本軍の爆撃によって亡くなった蒋経国の母の怨みを忘れまいとして、母が倒れた台所の脇の通路に、「以血洗血」(死をもってこの恨みを晴らすと言う意味)と報復を誓って揮毫した石碑がある。
夜は、中国の歴史博物館のような料理店に招かれた。正面のホールには、唐代から、清までの間、中国で古くから行われた官吏登用のための資格試験「科挙」の第一等の成績を修めた者に与えられる称号「状元」の人たちの名が描かれていた。その中に、好きな詩人の王維の名があった。
二時間ほどで、終了してホテルへ。ラウンジで少しだけ飲んで部屋に戻った。※写真は、妙高台にて、蒋介石も座ったと言われている長寿の石にて。