五月十日(木)雨後晴れ。
平成十三年に亡くなった母の命日なり。お仏壇の花を新しいものにしてから、甘い物が好きだった母に、和菓子を供えた。私の子供の頃は、写真と言えば、まだ一般にカメラが普及しておらず、写真館に行って撮ってもらうしかなかった。従って、子供の頃の母と一緒の写真と言うものが無い。写真館で撮ってもらうのは、いつも私だけだった。
母の晩年に、母の故郷の富山県の滑川へ家族で行ったこと、亡くなられた森洋先輩のお世話で、国技館へ相撲を見に行ったこと。それが思い出に残っている唯一の親子孝行のマネごとだ。
ノマダン明けの、最初の一杯は、糖質ゼロの缶ビール。少々寒いので、肴は豆腐チゲを作った。夕方に、歯医者に行ったので、「そごう」で、カツオを探そうかとも思ったが、また飲み過ぎても嫌なので、冷蔵庫にある物だけで一杯やった。チゲだけでは足りず、紅生姜を沢山入れた、お好み焼きを一枚焼いた。十一時前に布団に入った。
平成十三年に亡くなった母の命日なり。お仏壇の花を新しいものにしてから、甘い物が好きだった母に、和菓子を供えた。私の子供の頃は、写真と言えば、まだ一般にカメラが普及しておらず、写真館に行って撮ってもらうしかなかった。従って、子供の頃の母と一緒の写真と言うものが無い。写真館で撮ってもらうのは、いつも私だけだった。
母の晩年に、母の故郷の富山県の滑川へ家族で行ったこと、亡くなられた森洋先輩のお世話で、国技館へ相撲を見に行ったこと。それが思い出に残っている唯一の親子孝行のマネごとだ。
ノマダン明けの、最初の一杯は、糖質ゼロの缶ビール。少々寒いので、肴は豆腐チゲを作った。夕方に、歯医者に行ったので、「そごう」で、カツオを探そうかとも思ったが、また飲み過ぎても嫌なので、冷蔵庫にある物だけで一杯やった。チゲだけでは足りず、紅生姜を沢山入れた、お好み焼きを一枚焼いた。十一時前に布団に入った。