白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酒を舉(あ)げて飮まんと欲するも管絃(かんげん)無し。

2021-12-02 12:42:48 | 日記

11月21日(日)曇り。

二日酔い気味である。しかし食事はしっかりとる。朝食は、おでん、目玉焼き。昼食は、お茶漬け。夜は、春巻き、パスタ・アラビアータ。休肝日とした。

酒とズブズブの関係となってから久しい。紅灯の巷に出かけることが日課のようになっていたのは40代、50代の頃まで。その後は、特別な用事や友人からの誘いがなければ、出かけなくなった。特に、古来稀な歳となってからは酔狂亭と名付けた我が家で飲むことが多くなった。特にコロナ禍だ、恐る恐る出かけても面白くない。ほとんど酔狂亭にて世を罵り、我が境遇を嘆き、週刊誌の皇室報道を罵倒しつつ、酔ってそのまま寝ることが日課のようになっている。というのは、大げさで、その日の気分で、本を肴にしたり、ネットフリック、アマゾンプライム、ユーチューブで適当な映画を見ながらのんびりしている。

気分が良い時は「森伊蔵」、ちょっと良い時は「伊佐美」か「三岳」、普通の時は「黒霧島」。贅沢なものよ。一人で焼酎を、頂き物の「バカラ」のロックグラスに注ぐとき、おまじないのように口から出るのは、白楽天の「琵琶行」の一節。

潯陽江頭(じんようこうとう)夜客(かく)を送る
楓葉荻花(ふうようてきか) 秋 索索(さくさく)たり
主人は馬より下(お)り客(かく)は船に在り
酒を舉(あ)げて飮まんと欲するも管絃(かんげん)無し

酒で頭が腐るまでは、すべて暗記していたのだが、今は、この四節しか覚えていない。

特に、「酒を舉(あ)げて飮まんと欲するも管絃(かんげん)無し」の所は決まって二三度繰り返す。遠目に家族は、私がお経でも唱えていると思っているのに違いない。まっいいか。


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祝の席が台無しになった。

2021-12-02 12:37:48 | 日記

11月20日(土)晴れ。

上の子供の誕生日の食事会に家族で行った。浪人風情には不相応なお店であるが、年に一度のハレの日である。しかし、食事中に嫌なことがあって散々な食事会となった。お祝いするべき日が、思い出したくない日となった。従って、今日はこれでおしまい。


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「村上一郎追悼特集号」。

2021-12-02 11:50:56 | 日記

11月19日(金)晴れ。

朝食は、納豆、キャベツのおしんこ、「つた金」の焼きのりにタマゴスープ。昼は、ソースチャーハン、小チキンラーメン。夜は、おでん、チヂミ。大人しく酔狂亭にて独酌。

ネットで見つけたのが国文社という出版社の発行の『磁場』という雑誌の臨時増刊「村上一郎追悼特集号」。村上一郎(1920(大正9年)9月24日 ~1975(昭和50年)3月29日)は、文げ゜イ評論家、歌人、小説家。日本浪漫派に共感した。村上の『北一輝論』は三島由紀夫に高く評価された。二・二六事件を肯定する面では三島と同様か、またそれ以上であるが、三島の二・二六事件観はあくまで忠誠心の発露、至純の精神への感銘にすぎないが、村上はその理念にまで心を及ばせていた。二・二六事件の失敗、滅びを前提にする三島と異なり、二・二六事件がもし成功したら歴史は変わっていたと肯定論を更に進めて考える。三島が生前最後に出した手紙2通のうちの1通が村上一郎宛てであった。昭和50年に武蔵野市の自宅で日本刀により頸動脈を切り自殺を遂げた。(ウイキペディア)

いわゆる1970年代に民族派の学生や左翼学生に随分と読まれたのが、村上一郎と高橋和巳である。しかし、溢れんばかりの才能に満ちていた両氏の本は、現代ではほとんど読まれていないばかりか、その名を知る人も少なくなった。そういう私も村上の本は『北一輝論』と『草莽論』の二冊が書棚にあるだけだ。高橋和巳のものは確か河出書房新社から出ている全集を出張中に読んだ。今でも好きな作家の一人である。村上一郎追悼号の中に松本健一氏が「最後の草莽ー村上一郎論」という一文を寄せているのが興味深い。真面目に読もうと思っている。


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来客在り。まず一献。

2021-12-02 11:15:31 | 日記

11月18日(木)晴れ。

夕方、事務所に阿形充規先生のご紹介でフリーランスのライターである鈴木傾城氏と鈴木信之さんの秘書の山本和幸氏の両氏が来訪。二時間近く、野村先生のことや民族派運動について歓談。鈴木傾城氏のアジアの売春地帯をレポートした『ブラック・アジア』シリーズは多くの人に読まれている。「フイリピン」「インド・バングラデシュ」「インドネシア」「カンボジア」といった国々の体験レポートはそれらの国の貧困、女性の地位、人権などを考える上では非常に参考になる。ご興味のある方は是非ご一読を。

山本氏は、鈴木信之さんと一緒にソウル市内で、開設されたばかりの「戦争と女性の人権博物館」(通称・慰安婦博物館)前及び在韓国日本大使館前の慰安婦像のそれぞれに、日の丸と"竹島は日本固有の領土"と日本語および韓国語で書かれた「竹島の碑」を設置した熱血漢である。

終了後に二人を誘って「やまと」にて酒杯に天下の影を落としての一献会。


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