12月7日(火)曇り。
連合艦隊は、北海道の先の我が国の固有の領土である南千島、択捉島(えとろふとう)の単冠湾(ひとかっぷ)を出発してハワイを目指している。いや80年前のことです。それから80年が過ぎて、歴史学者や評論家の多くが「馬鹿な戦争をした」と結論づけている。しかし本当にそうだったのか。勝ち目のない戦に、なぜ日本は向かわなければならなかったのか。戦わざるも亡国、戦うも亡国ならば、座して死を待つよりも、死中に活を求めて決然と決起する。先の大戦が、必ずや「聖戦」であったことを証明する時代が来ると信じている。
連合艦隊参謀長、宇垣纏海軍中将がハワイに迫りつつある連合艦隊全将兵に宛てた宇垣中将起案の電文。
皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ
粉骨砕身各員其ノ任ヲ 完ウセヨ
全太平洋に展開せる我が連合艦隊の将士以って如何とす。出撃命令によって、午前八時以後一四ノット四時間待機となす。各艦四〇〇発の更新四〇サンチ弾も搭載を終わり、陸上との縁も断ちてここに準備は完成せり。(昭和16年12月7日の宇垣纏の日記『戦藻録』)
そんな意義のある日の朝食は、納豆、筋子、豆腐の味噌汁に大沢農場のネギをたっぷり入れ。昼は、レトルトカレーにメンチカツ載せ。夜は、チゲ鍋に大沢農場の白菜たっぷり入れ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。