白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『燃えよ祖国』の第一校。

2021-12-08 15:16:01 | 日記

11月27日(土)晴れ。

いやはや忙しい一週間だった。何がそんなに忙しかったのか。それは色々で千手観音より九百九十五本少ないくらいの忙しさでした。従ってこのブログも一週間分まとめて更新しました。

朝食は、稲庭うどん、モズクの天ぷら。昼は、チャーハン。夜は、自宅の近くの中華材料屋の「正華」で買った、焼売、餃子に小エビとタマゴのふあふあ炒め。お供は黒霧島。酔狂亭にて独酌。

機関誌『燃えよ祖国』の通巻272号の第一校が上がる。何とか今月中に完成させ発送したいのだが、何てたって忙しい。まあ正直にブログに書けないこともありますので、そこは斟酌して下さい。そして阿吽の呼吸でお願いします。

『燃えよ祖国』の編集後記の一節です。★瀬戸内寂聴さんの訃報をニュースで知った時、日記に書き留めたのが、「リベラルな思想には与せねど、寂聴さんの生涯を尊く思う」。例え思想的、政治的には相容れなくとも様々な分野で尊敬できる人はいる。例えばアフガニスタンで非業の死を遂げた医師の中村哲氏や、やはりイラクで殺害されたカメラマンの橋田信介氏、作家の高橋和巳氏、弁護士の遠藤誠先生などだ。皆さん亡くなられているが、言っていることよりも、やっていることが立派な人に惹かれるのは、人として当然のことと思うからだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春のナポリタン。

2021-12-08 14:44:38 | 日記

11月26日(金)晴れ。

朝食は、納豆、ナポリタン、白菜のおしんこに「もずく」の味噌汁。昼は抜いた。夜は、モズクの天ぷら、豚肉の生姜焼き、ナポリタン。酔狂亭にて独酌。

「おでん」や昔ながらの「ナポリタン」はご飯のおかずにならない。という話をよく聞くが、私にとっては立派な「おかず」である。たまに町のレストランなどでエビフライやハンバーグなどを頼むと付け合わせに「ナポリタン」があると、嬉しくなる。大体スパゲティーをパスタなどと呼ぶ時代になってから、レストランで、そのパスタを食べたことがない。それでも好きなのは、「オアジ」の穂積ペペではなかった(分からないか)ペペロンチーノ。これ別嬪、いや絶品。

高校生の頃、同じ歳で関東学院に通うヤマザキマサコさんとデートをしたことがあった。喫茶店に入り「ナポリタン」を食べた。タバスコが添えられていたので、知ったかぶりをしてタバスコを多めにかけてしまった。口に入れたとたんにタバスコの辛さにむせてムハッとなり、スパゲティーを口から吐き出したしまった。思春期の私は、死のうかと思った。(嘘です)。それでも恥ずかしくて、情けなくて・・・。以来タバスコを使ったことはない。(これは本当です)。青春時代の苦い、いや辛い思い出です。

午前中に、掛かりつけの医者に行き、いつもの薬を貰う。血糖値は安定しているのだが、血圧がどうも下がらない。美味い酒を飲むのには、健康にならなければ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憂国忌。

2021-12-08 14:36:50 | 日記

11月25日(木)晴れ。憂国忌。

昭和四十五年(1970)のこの日のことは忘れない。私は十九歳だった。それまでは政治などには全く興味もなく、全学連のデモなどに出くわすと「親のスネをかじって大学に行って、何やってんの」。ぐらいにしか思わなかった。横浜で生まれたこともあってアメリカ人に友達もいて、ベトナム戦争に反対し、アメリカを悪く言う連中には共感が出来なかった。それが三島・森田両烈士の自決事件によって、初めて国家や政治、皇室と言うものを考えるようになった。

本も読むようになり、当時は三島由紀夫の『文化防衛論』、林房雄の『日本を思う』、『緑の日本列島』、『大東亜戦争肯定論』などに影響を受けた。あの事件が無かったならば、本当に違った人生を歩んでいたに違いあるまい。この日が来る度に、当時のことを思い出す。そういった意味では両烈士の義挙は私の人生のターニングポイントだったと言える。

三島由紀夫の本を初めて読んだのは高校生の頃で「潮騒」だった。十九歳でこの運動に入った頃に、いわゆる文学作品を読んでみたが、ほとんど頭に入らなかった。野村先生と知り合った頃、是非読めと言われたのが『蘭陵王』だった。本を読むのにも基礎体力が必要と思って乱読の時代を経て、ようやく三島の本と向き合えるようになったのは三十を過ぎた頃だった。

野村先生の『銀河蒼茫』の中に、「三島由紀夫、森田必勝自決一句」として「茫然と轟然と秋の夕日堕つ」がある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野分祭。

2021-12-08 14:25:19 | 日記

11月24日(水)晴れ。野分祭。

今日は、昭和四十五年十一月二十五日に、当時の自衛隊東部方面総監室において、「憲法改正」などを訴えて自決された、三島由紀夫、森田必勝両烈士の決起前夜の思いを共有するとして、元楯の会の伊藤好雄氏や、初期一水会の人たちが、中心となって慰霊祭を開催してきた。一時期、私も発起人として名を連ねたこともあった。野分祭は、伊藤好雄氏らが一水会が主体となった慰霊祭から独立。一水会は、両烈士の顕彰祭を行っている。私は、考えることがあって、最近は、両方の慰霊祭とは距離を置いている。

野分祭とは、二十五歳と言う若さで、自決された森田必勝烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名されている。私は、両烈士の自決事件に影響を受けて、この運動に入った。もし、あの事件が無かったら、きっと違った人生を歩んでいたに違いあるまい。十九歳だった私が、天皇、国家、政治といったことを真剣に考えるきっかけとなった出来事である。

随分前のことだが、この野分祭を「正座」で行なったことがあった。一時間以上も正座していたので、足が痺れて立ち上がることが出来ない。もし、玉串奉奠に指名されたらどうしようかと、ドキドキした。案の定、倒れる同志などがでて、大混乱になった時、司会をしていた犬塚博英さんが、「腹を切る痛みに比べたら、足の痛みなんか何だ」と。余計に頭を低くして、指名がないことを祈った。懐かしい思い出である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒の肴になる本。

2021-12-08 14:01:11 | 日記

11月23日(火)晴れ。新嘗祭。

昨夜の酒が残りおり、10時過ぎまで寝ていた。起床後に玄関に国旗を掲げ皇居を遥拝。遅い朝食は、お粥に「タコネギ」(スーパーで買ったタコをスライスしてネギを斜め薄切りにする。それにごま油、七味少々、味の素少々と醤油少々で味付けする)。夜は、豚肉のしゃぶしゃぶ、ブリの刺身。キリンのグリーンフリー一本のみで休肝日とした。

アマゾンで取り寄せた有吉佐和子の『女二人のニューギニア』(朝日新聞社)と石井妙子の『おそめ』(洋泉社)の二冊を併用して読んでいる。二冊とも面白くて、興味深くて、酒の肴にもなるし、楽しくて仕方がない。随分前にタモリの「笑っていいとも」に有吉佐和子がゲスト出演した時、出演時間を無視して延々しゃべっていたのを見たことがある。躁鬱の激しい人かな、という印象を持った。(後日、テレビの演出であることが判明した)その有吉佐和子のニューギニアでの体験記が、面白くて読了するのがもったいなくて、少しづつ読んでいる。「おそめ」は銀座の伝説のママさん。登場人物とのエピソードが楽しい。読み終わらないまま、次から次へと本を買ってしまうので、また自宅の仕事机が雑然となっている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする