12月1日(水)雨のち晴れ。
朝食は、昨夜の残りのシチュー、納豆、焼きのり。昼は抜いた。夜は、エビとタマゴのオイスターソース炒め、ナスと豚肉炒め、餃子。お供は、珍しく「三岳」。酔狂亭にて独酌。
道の兄と慕っていた元楯の会の故阿部勉さんが生前に書いていた日記のタイトルが「瘋癲(ふうてん)記」。「ふうてん」とは、通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。と辞書にある。早稲田の法学部出身の阿部さんは、53歳で亡くなられたが、その人生のほとんどを定職に付かず浪人で通した。自虐的に「ふうてん」と自ら称した。また阿部さんが主宰していた会の名前は「閑人舎(かんじんしゃ)」。確か、タコ八郎さんも同人ではなかったか。その阿部さんの日記には、しばしば「痛飲」という言葉が出てくる。〇月〇日,誰誰と新宿の「勇舟」にて痛飲す。というように。
「痛飲」とは、大いに酒を飲むことである。古くは、白楽天の詩にも良く出てくるが、私が好きなのは、元の時代の詩人、薩都刺(さつとら)の「雪中、江を渡り山を過ぎ、晹谷の簡上人の房に飲む」と題する七言絶句二首のうちの一種。
山酒 香りを吹いて 小槽より出で 灯前 痛飲して 青袍を汚す 夜深く夢醒めて何処かるかを知らん 老鶴 一声 山月高し。
痛飲して 青袍を汚す。つい飲みすぎて青い上着を汚してしまった。「青袍(せいほう)」とは、当時の官僚の着る服のこと。出典は、一海知義著『漢詩一日一首』平凡社より。呑みすぎて、いつも服に酒のシミを付けてしまう私にぴったりの詩でもある。しかし「痛飲」など、だんだんこういう言葉も死語になりつつある。