白雲去来

蜷川正大の日々是口実

痛飲して 青袍を汚す。

2021-12-13 14:49:38 | 日記

12月1日(水)雨のち晴れ。

朝食は、昨夜の残りのシチュー、納豆、焼きのり。昼は抜いた。夜は、エビとタマゴのオイスターソース炒め、ナスと豚肉炒め、餃子。お供は、珍しく「三岳」。酔狂亭にて独酌。

道の兄と慕っていた元楯の会の故阿部勉さんが生前に書いていた日記のタイトルが「瘋癲(ふうてん)記」。「ふうてん」とは、通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。と辞書にある。早稲田の法学部出身の阿部さんは、53歳で亡くなられたが、その人生のほとんどを定職に付かず浪人で通した。自虐的に「ふうてん」と自ら称した。また阿部さんが主宰していた会の名前は「閑人舎(かんじんしゃ)」。確か、タコ八郎さんも同人ではなかったか。その阿部さんの日記には、しばしば「痛飲」という言葉が出てくる。〇月〇日,誰誰と新宿の「勇舟」にて痛飲す。というように。

「痛飲」とは、大いに酒を飲むことである。古くは、白楽天の詩にも良く出てくるが、私が好きなのは、元の時代の詩人、薩都刺(さつとら)の「雪中、江を渡り山を過ぎ、晹谷の簡上人の房に飲む」と題する七言絶句二首のうちの一種。

山酒 香りを吹いて 小槽より出で 灯前 痛飲して 青袍を汚す 夜深く夢醒めて何処かるかを知らん 老鶴 一声 山月高し。

痛飲して 青袍を汚す。つい飲みすぎて青い上着を汚してしまった。「青袍(せいほう)」とは、当時の官僚の着る服のこと。出典は、一海知義著『漢詩一日一首』平凡社より。呑みすぎて、いつも服に酒のシミを付けてしまう私にぴったりの詩でもある。しかし「痛飲」など、だんだんこういう言葉も死語になりつつある。


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時速70キロで時が過ぎて行く。

2021-12-13 14:26:16 | 日記

11月30日(火)晴れ。

一日が、一ケ月が、一年があっという間に過ぎて行く。何かの本で読んだが、20代は時速20キロで月日が過ぎて行き、30代は30キロと歳相応に時速が早くなる。だから私なんか70キロで過ぎて行くのだから、ほとんど高速道路を走っているようなものだ。その終点と言うのがあの世なのだから、夢も希望もない。

私の事務所は、超が付くほど寒い。慌てて内装をしたため断熱材を敷くのを忘れ、コンクリートの打ちっぱなしの所に絨毯を貼っただけだから、冬などは底冷えする。26坪もある所に家庭用の冷暖房が二台。天井に店舗用の物を入れようかとも思ったが、そこは浪人暮らし、そんな余裕はない。従って寒い時は日当たりの良い我が家で仕事をする。しかし日当たりが良いと、パソコンで目が疲れるのか、あくびが出て眠たくなる。寒くても、暖かくても文句が出るのは歳のせいと言うことに。

あくび、漢字では欠伸と書く。夏目漱石の句に「永き日や 欠伸うつして 別れ行く」と言うものがある。半藤一利氏の『忘れ残りの記』によれば、漱石が松山から熊本の高校に転勤するとき、松山港から乗った船に東京に行く高山虚子が同行した。いよいよ別れの時に読んだ句だそうである。岩波書店から『漱石俳句研究』という本が出ているので取り寄せてみるつもり。


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