11月29日(月)晴れ。
海軍中将、宇垣纏の陣中日記『戦藻録』を読む。昭和16年11月28日の日記には、「金曜日(曇後晴)。二十六日にハル(注・米国国務長官)は野村・来栖両(注・駐米)大使と会見、書物を以て米国の言わんとするところを手交した。彼のいわゆる四原則を振り回し、支那及び仏印(注・フランス領インドシナ)より全部撤兵を要求し、援蒋(注・蒋介石を支援すること)は止めぬ、三国同盟は死文化なりと言われたのでは、顔は丸潰れではないか。もはや致し方はない、やるだけだ。こうと腹を定めたら外交をあまりギリギリにやらぬようにすべきだ」。この10日後に真珠湾への攻撃が開始される。正に風雲急を告げる日米の様子が描かれている。12月の8日には映画「トラ・トラ・トラ」を見るつもり。
「浦塩斯徳」と書いてウラジオストックと読む。当然当て字である。その当て字の影響で、私たちは、そのロシアの軍港である地名をウラジオ・ストックと真ん中で区切って読む。しかし、本来は、ウラジ・オストックと区切って読むのだと半藤一利氏の『歴史探偵・忘れ残りの記』(文春新書)で知った。ウラジの意味は「東方」、オストックは「支配」と言う意味であるそうだ。すなわち「ウラジ・オストーク」とは、東方支配。この国名の当て字は、現在でも米国、仏国(フランス)、独国(ドイツ)の三国だけは新聞等でよく目にする。明治の人たちは、とにかく言葉を漢字化することに情熱を注いだ。どこかの知事さんのように、やたらに横文字を使ってスピーチすることが自分をインテリに見せることだと錯覚しているが、もう少し日本語を大切にしてもらいたいものだ。