白雲去来

蜷川正大の日々是口実

石原慎太郎氏の訃報に接す。

2022-02-04 15:46:29 | 日記

2月1日(火)晴れ。

今日2回目の更新。朝食は、家族のお弁当の残りの、鶏のから揚げ、ちくわの海苔巻き天ぷら、小うどん。昼は、面倒なので、久しぶりに小池百合子さんとご対面のカップ麺「緑のたぬき」。夜は、モランボンのカレースープ、エビチリ、トントロ焼。お供は、頂き物の「佐藤の黒」。大人しく酔狂亭にて独酌。

午後のニュース速報で石原慎太郎さんの訃報が流れた。89歳とのこと。石原さんとは三度だけお会いしたことがある。最初は、まだ野村事務所が浜松町にあった頃の昭和の時代。故新井将敬氏の選挙をめぐるトラブルの和解に、栗本慎一郎氏が石原氏を伴って事務所に来訪された。野村先生と一緒にお会いしたのが最初である。和やかな雰囲気で話が弾み、以後、石原氏は、野村先生がプロデュースした『撃てばかげろう』の試写会に来て頂いたり、野村先生とはある程度の距離を保ちつつ親しくしされていた。

野村先生が亡くなられてから、しばらくして赤坂の事務所に電話があり、国会議事堂の近くの料理屋で「うなぎ」をご馳走になりながらインタビューを受けた。野村先生がご存命の時に書かれたのが、『ある行為者の回想』、そして死後に私のインタビューをもとに書かれたのが「ある行為者の死」である。『ある行為者の回想』の初出は、平成4年の1月に発行された『新潮』の「新年特大号」。その後、石原氏の単行本『わが人生の時の会話』、『遭難者』に収録された。

巷間、三島由紀夫氏とライバルとされていた石原氏であったが、若い頃は、「男」としては自分のが勝っていると思っていたのではないか。その「男」として下に見ていた三島が壮烈な自決を遂げた。インテリでもあったが「無頼派」を演じていたが、本物の「無頼」とは何かということを野村先生と知り合うことで、天才ゆえ「殺気」の違いを感じ取ったに違いあるまい。三島、石原、野村というトライアングルをどなたかに解説してもらいたいと思っている。今日、巨星が落ちた。合掌。


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飛翔体?馬鹿言ってんじゃないよ。

2022-02-04 15:08:46 | 日記

1月31日(月)晴。

朝食は、冷食の「すき家」の牛丼に紅ショウガ添え、ナスの素揚げの味噌汁。昼は、コロッケサンド。夜は、寄せ鍋にカツオのたたき。お供は、ドライビール一本から「黒霧島」へ。酔狂亭にて独酌。

北朝鮮が夏の花火のようにポンポンとミサイルを発射している。我が国のマスコミは、国民の不安を払拭しようとしているのか、そのミサイルを「飛翔体」という言葉に変えて報道している。飛翔体とは、地球表層から宇宙空間における航空機、気球、観測ロケット、人工衛星など飛翔する物体の総称。もちろんミサイルもその範疇に入るのだが、なぜ堂々とミサイルと言わないのか、不思議でならない。まあ昔から、日本のお役所などは、物事をあいまいに表現するのが得意で、例えば敗戦は「終戦」、撤退は「転進」と言って現実を直視させないようにしていた。その名残でもないだろうが、ミサイルを「飛翔体」。

昭和19年2月23日の毎日新聞の一面に、同紙の海軍省担当記者の新名丈夫が、こんな記事を書いた。「竹槍では間に合わぬ。飛行機だ、海洋航空機だ」。本土に敵が侵攻するようになったら、当然ながら「竹槍では間に合わぬ」。当時の海軍の見解を伝えたものだが、時の首相東条英機が激怒した。数日後、37歳の新名記者は二等兵として召集を受けた。「懲罰召集」だった。

北朝鮮が撃っているのは間違いなく日本を射程に入れたミサイルだ。「遺憾砲」では間に合わぬ。と現実を認識させ、アホな野党に「敵地攻撃能力」を早急に検討、挙国一致で対処せよ。と書くようなサムライ記者はいないのか。


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