2月1日(火)晴れ。
今日2回目の更新。朝食は、家族のお弁当の残りの、鶏のから揚げ、ちくわの海苔巻き天ぷら、小うどん。昼は、面倒なので、久しぶりに小池百合子さんとご対面のカップ麺「緑のたぬき」。夜は、モランボンのカレースープ、エビチリ、トントロ焼。お供は、頂き物の「佐藤の黒」。大人しく酔狂亭にて独酌。
午後のニュース速報で石原慎太郎さんの訃報が流れた。89歳とのこと。石原さんとは三度だけお会いしたことがある。最初は、まだ野村事務所が浜松町にあった頃の昭和の時代。故新井将敬氏の選挙をめぐるトラブルの和解に、栗本慎一郎氏が石原氏を伴って事務所に来訪された。野村先生と一緒にお会いしたのが最初である。和やかな雰囲気で話が弾み、以後、石原氏は、野村先生がプロデュースした『撃てばかげろう』の試写会に来て頂いたり、野村先生とはある程度の距離を保ちつつ親しくしされていた。
野村先生が亡くなられてから、しばらくして赤坂の事務所に電話があり、国会議事堂の近くの料理屋で「うなぎ」をご馳走になりながらインタビューを受けた。野村先生がご存命の時に書かれたのが、『ある行為者の回想』、そして死後に私のインタビューをもとに書かれたのが「ある行為者の死」である。『ある行為者の回想』の初出は、平成4年の1月に発行された『新潮』の「新年特大号」。その後、石原氏の単行本『わが人生の時の会話』、『遭難者』に収録された。
巷間、三島由紀夫氏とライバルとされていた石原氏であったが、若い頃は、「男」としては自分のが勝っていると思っていたのではないか。その「男」として下に見ていた三島が壮烈な自決を遂げた。インテリでもあったが「無頼派」を演じていたが、本物の「無頼」とは何かということを野村先生と知り合うことで、天才ゆえ「殺気」の違いを感じ取ったに違いあるまい。三島、石原、野村というトライアングルをどなたかに解説してもらいたいと思っている。今日、巨星が落ちた。合掌。