2月4日(金)晴れ。
久しぶりに「みなとみらい」まで車で出かけた。石原慎太郎さんの死を悼んで、弟の裕次郎さんのCDを聞きながらのしばしのドライブ。私にとってとの裕ちゃんの一曲と言えば「赤いハンカチ」に尽きる。その歌が発売されたのは昭和37(1969)年の10月。私は中学の1年生だった。その歌のヒットで、翌年に映画化された。横浜が舞台のアクション映画だが、映画を見たのは、ずっと後のことである。劇中の山下公園の前にあるニューグランド・ホテルの街路樹に寄りかかって上階を見上げる裕次郎。今でもそこを通ると、街路樹に寄りかかりたくなるが、当時はなかった、囲いが出来て、その中に入って、裕ちゃんになりきることが出来ない。又、今はなくなってしまった野毛山の動物園の前にあった遊園地など横浜生まれの私には懐かしい映像が沢山あって、それを見ているだけでも楽しい。
随分前のことだが、網走にある国定公園の能取岬に行ったことがあった。品行方正で2級になった者たちへのご褒美の遠足である。上下ジャージに野球帽をかぶって、他人が見たらどこかの会社の野球チームと思われるかもしれない。オホーツク海を見渡すその断崖に立って、ふと空を見上げた時、なぜか「赤いハンカチ」の歌がその景色と重なったのである。「北国の春も逝く日、俺たちだけがしょんぼり見てた、遠い浮雲よ」・・・。もう30年以上も前の出来事だが、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
裕ちゃんは昭和62(1987)年の7月に52歳で世を去った。その二年後に美空ひばりも亡くなってしまった。裕ちゃんと同じ52歳だった。昭和天皇の崩御もあって、本当に昭和が終わったと実感した。その翌年の春に私は戦線復帰を果たす。裕ちゃんのヒット曲を聞きながら慎太郎さんの死を悼む。※写真は能取岬。また行ってみたい。