一月十四日(金)晴れ。
早めに寝たので、早目に目が覚めるのが自然の摂理。あーあ良く寝た。愚妻と共に郵便局や銀行と支払いに回り、頼んでおいた機関誌用の封筒を取りに行ってから事務所で印刷。あり難いことに、印刷機やパソコンの普及で封筒などは業者に頼まずとも、印刷が出来る。経費のことを考えたなら本当に助かる。
そう言えば、先日の「蜷川政経懇」の酒席にて、「若い頃はロックやR&Bといった洋楽が好きで、演歌や流行歌などを聞いている同世代の者をバカにしていたが、この年になると演歌が妙に心に沁みて、気がつくと落涙していることがある」と話したら、皆、同感だった。
しがない演歌の歌詞に心打たれる人生もいいものだと、しみじみ思うようになった。先日、BSで「青江三奈・伊勢佐木町ブルース」という番組を見た。昭和三十年の後半頃に、関内の弁天通のすぐ近くに「ナイト・アンド・デイ」というナイトクラブがあって、そこでデビュー前の青江三奈がジャズを歌っていた。現在のサリーの店のすぐ近くである。脚本家として有名なジェームス三木も歌手としてステージに立っていた。司会をしていたのは、昨年亡くなられたミッキー安川である。ちなみに安川氏は、私の高校の先輩であり、自宅も近かった。
その後、青江三奈は、「恍惚のブルース」でデビューし、「池袋の夜」で、同時期にデビューした森進一と共に、ハスキーボイスを売り物にした「ため息路線」でヒットを重ねて行く。青江三奈の芸名は川内康範の小説「恍惚」に登場するヒロインの歌手の名前をそのまま芸名にしたものだ。それまでは歌手といえば「美声」が常識だったが、青江や森のデビューによって、特徴のある声の歌手が注目を浴びて行く。八代亜紀などもそうだ。
「伊勢佐木町ブルース」や、前述のナイトクラブでの出演もあって、横浜の人かと勝手に思っていたが、生まれは東京と言うこと。酒も煙草もやらない人だったが、すい臓がんのために五十九歳で帰らぬ人となった。
大分前置きが長くなったが、その青江三奈の歌に最近嵌まっている。とにかく歌が上手いし、声も良い。とりわけジャズがいい。とりあえずツタヤ・ディスカスでCDを借りて聞いている。彼女が生きているときには、全く興味も無かったが、彼女の晩年と同じ年になって、あらためてファンになった。
「伊勢佐木町ブルース」の記念碑が、伊勢佐木町にある。商店街の創立五十周年を記念して平成十三年に建立された。記念碑の裏には、横浜にちなんだ二十世紀の五十曲が刻まれている。
夜は、友人が来訪しての一献会を我が家で行った。料理はもちろん私の手料理。談論風発して十一時半に解散。