白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あれから二十三年か・・・。

2010-01-15 15:17:26 | インポート

一月十三日(水)晴れ。

 何処の家でもそうだろうが、我が家の朝も騒々しい。中々起きてこない子供達を女房が怒鳴りつけたり、朝食の支度をしたり、おっと、朝食の仕度は、二日酔いでない限り私の仕事である。弁当を二人分作って、揃っての朝食が済めば、子供達は、「朝練」とやらで、七時過ぎには家をでる。

 女房は、八時きっかりに仕事へ。残された私は、そのあとかたずけに、掃除や洗濯物を干したり、これまた忙しい。といっても九時半には終わってしまうので、その後は、昼くらいまで、特別の用事がない時には、読書や原稿の資料整理など、充電時間にあてている。

 午前中に、珍しく一水会の木村三浩代表から電話が入った。昨年末は、フランスの国民戦線の代表と会うためにフランスに行ったり、私のも含めて数々の忘年会に出席したりで、かなり忙しそうだった。何の用事かと思ったら、昭和六十二年の今日に私達が引き起こした事件の記念日ということで、電話をくれたのこと。

 そう言えば、その事件から、早、二十三年の時が過ぎた。前日からの大雪で、共に決起したN君が、「場面は最高」と呟いたことや、A会長宅に着く直前に、車のラジオから、山口百恵の「いい日旅立ち」が流れて、歌ったことなどを思い出した。木村代表から電話を頂いた時間は、丁度、A会長宅に籠城している最中だった。

 木村代表が、現在、展転社の社長をしている藤本氏と一緒に私が拘留されていた荻窪警察に面会に来てくれた事なども思い出し、木村代表に話した。当時は、一水会や木村代表が議長だった統一戦線義勇軍の同志と一緒に、バンバンやったものだ。民主党の反日の姿勢や、秋のエイペックの問題など、今年は原点に帰って運動しようと話した。とりあえず、今月中に、木村代表と今年の運動目標や、過去の闘争などについて対談をすることを決めた。

 木村代表の電話に刺激されたわけではないが、午後から事務所へ。珍しく、週刊AやY新聞の友人から電話が入り。近々、情報交換の一献会を開催することを約束。

 三時から、子供を連れて歯医者。終了後は、自宅に戻り、出かける仕度。今日は、名前だけは真面目な「蜷川政経懇」の会合が、中学の同級生が経営する野毛の「弥平」にてある。仕事から帰って来た女房に送ってもらう。久し振りに、これまた同級生のY氏も出席。楽しい酒席となった。九時に解散。後輩のS氏と共に、今年初めての関内へ転戦。馴染みのお店で痛飲。気がつけば十二時を回っていたので、慌てて帰宅。今年初めての大破・轟沈の夜だった。

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