白雲去来

蜷川正大の日々是口実

板垣哲雄君の七回忌。

2012-03-05 09:55:14 | インポート

三月四日(日)曇り。板垣哲雄君七回忌。

 平成十年の一月十三日に、いわゆるビック・バンに反対して東京証券取引所に拳銃を持って立てこもり、八年の刑を受けて入所中だった板垣君が、戦線復帰を一月後に控えた、平成十八年の今日、肝臓癌にて幽明境を異にした。同志らと彼を荼毘に付し、葬儀を行ってから早いもので満六年、七回忌となる。ごく親しい同志のみに声をかけて墓所である港北区の三会寺で、七回忌の法要を行った。

 集まる同志は少ないが、私は、命のある限り、こうして志半ばにて倒れた縁のある同志の追悼を続けて行きたいと思っている。誰かが行わなければ、忘れらて行ってしまう彼らが気の毒である。

 今にも泣きだしそうな曇り空の下で、法要を行った。一水会、統一戦線義勇軍、大悲会、新風など板垣君とは古い付き合いのある人たちが、彼のお墓に酒を注ぎ、線香を手向けた。終了後は、直会を、藤棚の愛福楼にて行い、二次会はわが酔狂亭にて開催。珍しく、木村三浩氏が大破轟沈であった。

Dscf4132※三会寺に集まった同志の人たちと。

2※昭和61年9月。逗子は池子の反基地闘争にて。左が板垣君。木村会長や針谷議長も当然ながら皆若い。

144※板垣哲雄君の追悼号。

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