白雲去来

蜷川正大の日々是口実

蜷川政経懇を開催。

2009-01-16 14:45:30 | インポート

一月十四日(水)晴れ。

 今日は、五時過ぎまで自宅で机に向かっていた。私の機関誌の編集に「大吼」の春号の準備、そして依頼された原稿の準備などであっという間に夕方になってしまった。

 夜は、恒例の「蜷川経済懇」を自宅近くの「清水苑」にて開催。十人が出席して楽しい酒席となった。先輩の岩上賢氏を自宅まで送って行く途中で、先輩の知り合いの居酒屋に寄り道。仕上げの酒を飲んで帰宅した。


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もう二十二年が過ぎたのか。

2009-01-14 09:53:14 | インポート

一月十三日(火)晴れ。

 朝食後は、子供の受験の願書を提出に行く愚妻にお付き合いし、学校の近くの喫茶店で待機していた。そういえば、午前中に純喫茶(もう死語か)で、コーヒーを飲みながら、ガラス越しに入ってくる陽射しを浴びてのんびりと本を読む、何て言う事は、随分と久しぶりの事だ。

 最近は、スタバのような、喫茶店と言うよりもカフェが主流で、かく言う私も、スタバのファンである。コーヒーも美味いし、値段も安い。それでも私は、喫茶店と言えば、すぐ頭に浮かぶのは馬車道の旧東宝会館前の「ウイーン」。「学生街の喫茶店」という曲がそのまま甦ってくる。しかし、昨年、待ち合わせのために、久し振りに寄ってみたら、店内にタバコの匂いが充満していて、辟易してしまった。それまでの思い出がいっぺんに吹っ飛んでしまい、それ以来行っていない。

 午後は、自宅で仕事。三時過ぎに事務所に行き資料整理。帰りしなに横浜橋商店街に寄り、トンカツを買い求め、夕食はカツ丼にした。

 夜、矢崎泰之君とふくちゃんが来訪して、ビールと氷の差し入れをして頂く。しかし残念ながら、二人とも車なのでウーロン茶だった。

 今日は、私達が起こした、事件から丸二十二年目の記念日。その日の前日、大雪が降って、起きてみれば、外は一面の銀世界だった。それが災いして、予定していた時間から大幅に遅れて現場に到着してしまった。まあ、今考えれば、それが良かったのかもしれない。今では特別な感慨はないが、もう二十二年が過ぎたのか・・・。


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豚バラはりはり鍋。

2009-01-13 11:36:20 | インポート

一月十二日(月)晴れ。

 今日は、成人の日とかやらで、テレビでは、各地のアホバカ成人式の様子を映していた。毎年思うのだが、成人式に一度か二度くらいしか着ることのない和服を着せて、バカ騒ぎをさせるくらいならば、せめて各地の護国神社へ詣でて、今日の平和と繁栄を築くために亡くなられた英霊に頭を垂れなさい。また関東周辺の成人は、靖国神社の遊就館に行き、歴史の勉強をしたほうのが良いのではないか。男は、自衛隊、もしくは海保や消防へ体験入隊する。これほど充実した成人式はないと思うのだが。

 わざわざディズニーランドなんぞ行かなくとも、現代の日本は、ある意味で、国中遊園地状態ではないのか。派遣切りで、路頭に迷っている人たち?の中に、人手不足で悩んでいる農家に行って、農業を志すような人や、自衛隊に入って、国防の一翼を担おうという人はいないのか・・・。

 今日は、一日自宅にいた。何をしていたかと言えば、遅れている機関誌の校正と、私のパソコンの整理である。今までは、写真などのデーターが、あちこちのファイルに入っていて、探すのに苦労していた。それを整理して外付けのハードディスクにテーマ別に入れて整理した。何でもっと早くやっておけば良かったと思った次第。近いうちに、念の為にハードディスクからCDにコピーしようと思っている。

 夜は、今週の「週刊現代」の「私の越冬鍋はコレです」というグラビアの特集で知った、駒田徳広さん推薦の「豚バラはりはり鍋」を我が家で行った。これが結構いける。値段も安いしヘルシーで両得である。水菜と豚のバラ肉を鍋でさっと煮て、大根おろしを入れたポン酢で食べるのだが、親子四人で千円もあればお釣りが来る。

 ダシには、札幌の石澤博文君から暮に送って頂いた、日高昆布を贅沢に使った。残りのスープに「辛ラーメン」を入れて食べた。低予算ビックな夕食だった。


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鎌倉を散策。

2009-01-12 02:23:49 | インポート

一月十一日(日)晴れ。

 九時まで寝ていた。朝食は、昨日、中華街で買ってきた華正楼の肉マン。中華街では色々な店の肉マンが売られているが、私は、華正楼のものが一番好きだ。そういえば、愛媛の矢野隆三会長も、華正楼のものが一番と言っていた。以前は、お土産は満福楼と決めていたが、今は代が変わってしまい、行くことはなくなった。

 シュウマイのお土産は、何といっても関帝廟通りにある清風楼。この店のシュウマイは横浜のポリシーでもあると思っている。

 朝食後は、自宅の片づけをして、正午から、甥を連れて家族で鎌倉散策に向かった。東戸塚のダイエーに車を置いて、横須賀線に乗れば、十五分ほどで鎌倉に着く。そこから江ノ電に乗り換えて長谷へ。もちろん大仏見学である。正月の連休とあってか、すごい人出である。

 鎌倉の大仏に初めて来たのは、確か小学校の四年生の時で、通っている塾の遠足だった。それ以来、幾度も来ているが、当然ながら、その時々に思い出がある。困ったことに、風景と言うものは始末が悪い。たかだか三、四十年では変わりようがなく、ただそこを訪れた人だけが老いて行き、変わって行く。

0432  

前列右側の女の子の後ろで帽子を被っているのが私です。 クリックしますと大きな画面で写真が見れます。

 

 大仏様をお参りし、その裏にある有名な与謝野晶子の歌碑を見る。その碑には晶子が明治三十七年にここを訪れたときに詠んだ歌が刻まれている。

 かまくらやみほとけなれば釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな

 しかし大仏は、釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来である。歴史学者ではなく、歌人なので、まあいいか。ということで、そのまま刻まれている。確か、川端康成の「山の音」で読んだ記憶がある。

Cimg5466

美男ですよねー。

 

 帰り道に、うどん屋に入ったが、こだわっている割には、素人仕事で、まあ味はそれなりに悪くはなかったが、うどんで八百円はチョット高いんじゃないの。悪いけれど四百円がせいぜいですね。

 江ノ電で、また鎌倉駅に戻り、小町通を歩いて八幡宮に向かう。途中、小町通で、菊岡ノンコさん姉妹が経営している、和紙の専門店「社頭」に寄り、新年のご挨拶。その後、人で溢れる八幡宮を参拝。

 参拝の後に、帰路につく。鎌倉に来れば、駅前の「井上の蒲鉾」で、さつま揚げを買うのが、お決まり。しかし本当は、大磯にある姉妹店の「はんぺん」が美味いのだが、残念なことに、鎌倉の店では売っていない。帰りの横須賀線も混んでいた。

 自宅に戻り、夕食を済ませた後、十時発の深夜バスで青森へ帰る甥を皆で見送って、蜷川家の一日が終わりました。

コメント (2)
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倉持氏の通夜式に出席。

2009-01-11 11:35:45 | インポート

一月十日(土)晴れ。

 昨日の寒さとは一転、良い天気である。朝食を済ませてから、甥を連れて家族と共に横浜散策。私の好きな山手に行った。山元町から港の見える丘公園まで、約二キロぐらいの道を柔らかい冬の陽射しを浴びて歩く。山手教会、フェリス女学院、外人墓地・・・。若い頃は、この道を良く歩いた。デートと言えば、本当にただ歩くだけだったが、外国のような趣のあるこの道が好きだ。

 外人墓地の前のレストランの山手十番館、ロッシュ。この店に来たのは、もう三十年も前のことだ。今は、なぜかテレがあって、入る気にはなれない。そう言えば、競馬場の前の「ドルフィン」もユーミンの歌で有名になってから、行きづらくなった。

 そんなことを思い出しながら、外人墓地や丘公園、近代文学館に架かる橋、大仏次郎の小説からその名前を取った「霧笛橋」の上で、ベイブリッジをバックに記念写真を撮った。

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港の見える丘公園の全景

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「港の見える丘」の歌碑。※クリックすると大きいものが見えます。

昼食は、小龍包と水餃子が中華街一美味いと私が思っている北京飯店にて食べた。他の料理を食べずに、この店で、小龍包と水餃子だけを食べるのは少々勇気が入るが、日曜日なので、マアいいか。

 その後、お粥が、やはり中華街一美味い(これは本当です)「安記」へ。スミイカのさやインゲン炒め、モツ皿、レバ皿、シュウマイでビールを飲み、子供達は、お粥。他の店で食べるよりも安くて美味いのである。横浜に住んでいて良かったと思うのは、こういう時である。

 食後は、自宅に戻り、先日亡くなられた、倉持次雄氏の通夜に出かける準備。今年になってから、まだ十日なのに、もう葬儀が二回である。三時四十一分の横須賀線で新橋へ、山手線に乗り換えて日暮里。ここから常磐線で藤代という駅に向かったが、いやはや遠いこと、参った。事前にパソコンの「乗り換え案内」で検索したら、一時間四十七分ほどかかると言うので、岐阜の細川先生から推薦された「許永中、日本の闇を背負い続けた男」(森功著・講談社)を持っていったのが正解で、三分の一ほど読めた。(この本の感想は後日書きます)

 藤代の駅で、盟友の折本満氏と合流して葬儀場へ。大行社の清水巌副会長や丸川仁氏、愛国党の舟川孝氏などの同志がお別れに来ていた。喪主は、まだ高校生のご長男。隣には長女が並んで参列者に頭を下げている。倉持氏は、離婚しているので、残されたのは、まだ若い二人だけである。

 倉持氏が愛した軍歌が流れる中で、しめやかに通夜式が行われた。お世話をして頂いた盛儀一氏にご挨拶をして帰路についた。

 八時半に保土ヶ谷着。待たしておいた、甥や家族と一緒に「清水苑」にて食事。夕食後は、「許永中」の本を読んで寝た。

 


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