十一月二日(火)晴れ。
愚妻の調子悪がいので、いつもかかっている近くの病院へ行こうと思ったら、病院からの紹介でみなとみらいにあるMRIのある病院を紹介された。午後一番で、愚妻を病院に送り、私はトンボ帰りで自宅に戻り、子供達の夕食の支度をした。
結果は、異常なし、との事でまず安心。それでもまだ顔の腫れはひかないし、歯にかぶせてあった金冠が取れたり、顔面を強打したことの後遺症が続いている。
夕食はカレーである。具材を調理して、保温ポットに入れておくと、放っておいても調理が出来る。これを使うとジャガイモなどが煮崩れしないですむ。便利なものだ。
三時半に、志村馨、松本佳展の両君が迎に来る。今日は、五時半から日比谷公会堂で山口二矢烈士五十年祭が行なわれ、出席する。会場となった日比谷公会堂は、実は、保田財閥の始祖である保田善次郎が寄付して建てられた物だ。東大の安田講堂もやはり安田の寄進による。
その安田は、大正十年九月二十七日、大磯の自宅で、神州義団の朝日平吾によって刺殺される。それから三十九年後の昭和三十五年の十月十二日に、安田が寄進した日比谷公会堂において、当時の社会党の委員長であった浅沼稲次郎は、山口二矢により刺殺される。歴史的事件には、なぜかこういう因縁が付きまとうような気がする。それは、このような事件が偶然によって起こるものではなく、必然的に起こるからではないだろうか。
五時過ぎに、公会堂着。全国からはせ参じた同志が会場を埋めている。やはり、山口烈士の五十年祭と言うことで、一般の参加者の数が少ないように感じられた。取材に来ていた「不肖・宮嶋」氏に会う。
会場内で、久し振りに会う地方の同志の方とのご挨拶で忙しかった。野村一門からは、岩上賢、隠岐康、大熊雄次、志村馨、松本佳展の諸氏に私。六時開会。一時間ほどの神事の後に休憩を挟んで、國學院大學の大原康男先生の講演があった。当初、神事だけと聞いていたので、約二時間、神事だけでは、だれないかと思っていたので、大原先生の講演は、この追悼祭に強弱があって良かったと思っている。
大原先生の講演は、四宮正貴先生のブログに、その要旨が掲載されていますので、是非ご一読下さい。
終了後は、泰明小学校近くの日本蕎麦屋で直会。その後、有楽町の昭和を思わせるようなガード下の店で、久し振りに一杯やった。偶然に、政経調査会の槇泰智氏一行とお会いした。もう一軒、という岩上、大熊、隠岐の諸兄の誘いをお断りして、帰宅した。