十一月十三日(土)晴れ。
私が子供の頃、我が家にテレビが来たのは、確か小学校の五年生の時だった。ある時、クラスで、担任の先生が、「家にテレビのある人は手を上げて」と言われ、殆どの者が手を上げた。手を上げなかったのは、私を含めて二三人ほどだったが、それを見て、つい見栄を張って一瞬遅れて私も手を上げた。すると前に座っていた近所に住むHが、「蜷川の家はテレビがないじゃネェかよ」と振り向きざまに言った。放課後にそいつを殴ってやったのは言うまでもない。
その話を、母にしたら、母も不憫だと思ったのだろう、それからしばらくして、テレビを買ってくれた。学校からすっ飛んで家に戻り、部屋を見たがまだ届いていない。母に聞けば、もうすぐ来るんじゃないの。部屋と玄関を出たり入ったりしながら、電気屋さんの来るのを待ったことを鮮明に覚えている。横浜の下町のアパートに母と二人で住んでいた小学生の頃の忘れられない思い出である。
チデジに移行するとかで、我が家もテレビを交換せざるを得なくなった。家族で相談して、ジャパネットタカタで、テレビ、スピーカーつきのテレビ台、さらに外付けのハードディスクがセットになっている47インチのものである。もちろん、何軒かの量販店を回って、ジャパネットが一番安いと知った上での購入であった。
土曜日など、学校が休みの時は、起こしても中々起きてこない子供達が、今日に限って早起きだった。そしてなぜか二人ともソワソワしている。その原因が、今日届く薄型のテレビにあることは想像がついた。郵便配達の人が玄関のチャイムを鳴らすと、下の子供がすっ飛んで出る。そして、「なぁーんだ郵便やさんだったよ」とガッカリしている。
その姿を見て、私が子供の頃に、家に初めてテレビが来た日のことと、母の誇らしげな顔を思い出した。現在は、ジャパネットに限らず、家電の量販店で物を買うと、それらのお店ではなく、宅急便屋が品物を持ってくる。まあ誰が持ってきても良いのだが、電気屋さんの車の方が何となく嬉しいと思うのは私だけだろうか。
今のテレビはアナログ時代のものと違って、ただアンテナコードを繋ぎ、電源を入れれば良いだけではなく、画面に向って様々な入力をしなければならない。機械オンチの私やお年寄りなどは絶対にセットアップは無理だろう。家族揃って「点灯式」を終え、リモコンを操作したが、今までと違って、番組が山ほどあり、どれがどの局かさっぱり分からない。いやはや憶えるのに苦労しそうである。それでも、今時テレビで家族が盛り上がった、ごく小市民的な話でした。
夜は、以前に岐阜の細川先生から薦められた松田美由紀さんの「越境者―松田優作」を読んだ。とても文章の上手い人だが、別れたダンナのことを書くのは、ダンナの新しい奥さんや家族の配慮が難しいと思った次第。