白雲去来

蜷川正大の日々是口実

我が家に薄型テレビが来た。

2010-11-17 10:26:06 | インポート

十一月十三日(土)晴れ。

 私が子供の頃、我が家にテレビが来たのは、確か小学校の五年生の時だった。ある時、クラスで、担任の先生が、「家にテレビのある人は手を上げて」と言われ、殆どの者が手を上げた。手を上げなかったのは、私を含めて二三人ほどだったが、それを見て、つい見栄を張って一瞬遅れて私も手を上げた。すると前に座っていた近所に住むHが、「蜷川の家はテレビがないじゃネェかよ」と振り向きざまに言った。放課後にそいつを殴ってやったのは言うまでもない。

 

 その話を、母にしたら、母も不憫だと思ったのだろう、それからしばらくして、テレビを買ってくれた。学校からすっ飛んで家に戻り、部屋を見たがまだ届いていない。母に聞けば、もうすぐ来るんじゃないの。部屋と玄関を出たり入ったりしながら、電気屋さんの来るのを待ったことを鮮明に覚えている。横浜の下町のアパートに母と二人で住んでいた小学生の頃の忘れられない思い出である。

 

 チデジに移行するとかで、我が家もテレビを交換せざるを得なくなった。家族で相談して、ジャパネットタカタで、テレビ、スピーカーつきのテレビ台、さらに外付けのハードディスクがセットになっている47インチのものである。もちろん、何軒かの量販店を回って、ジャパネットが一番安いと知った上での購入であった。

 

 土曜日など、学校が休みの時は、起こしても中々起きてこない子供達が、今日に限って早起きだった。そしてなぜか二人ともソワソワしている。その原因が、今日届く薄型のテレビにあることは想像がついた。郵便配達の人が玄関のチャイムを鳴らすと、下の子供がすっ飛んで出る。そして、「なぁーんだ郵便やさんだったよ」とガッカリしている。

 

 その姿を見て、私が子供の頃に、家に初めてテレビが来た日のことと、母の誇らしげな顔を思い出した。現在は、ジャパネットに限らず、家電の量販店で物を買うと、それらのお店ではなく、宅急便屋が品物を持ってくる。まあ誰が持ってきても良いのだが、電気屋さんの車の方が何となく嬉しいと思うのは私だけだろうか。

 

 今のテレビはアナログ時代のものと違って、ただアンテナコードを繋ぎ、電源を入れれば良いだけではなく、画面に向って様々な入力をしなければならない。機械オンチの私やお年寄りなどは絶対にセットアップは無理だろう。家族揃って「点灯式」を終え、リモコンを操作したが、今までと違って、番組が山ほどあり、どれがどの局かさっぱり分からない。いやはや憶えるのに苦労しそうである。それでも、今時テレビで家族が盛り上がった、ごく小市民的な話でした。

 

 夜は、以前に岐阜の細川先生から薦められた松田美由紀さんの「越境者―松田優作」を読んだ。とても文章の上手い人だが、別れたダンナのことを書くのは、ダンナの新しい奥さんや家族の配慮が難しいと思った次第。

コメント (1)
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オリジナル切手が「不許可」となった。

2010-11-17 09:39:56 | インポート

十一月十二日(金)曇り。

 朝から嫌なことがあった。それは、先月の前半に、郵便局で行なっている「オリジナル切手サービス」で、尖閣諸島の切手を頼んだ。二、三週間で出来るということで、カードで支払いの段取りを済ませて、後は切手の届くのを楽しみにしていた。

 

 しかし今朝、切手サービスの工場の責任者という人から連絡があり、「上と相談した結果、時節柄不許可となりました」という話。以前、竹島の切手を作ろうとした人も不許可となったことがあることが報道されたことがある。

 

 私が、北方領土の切手はどうなのか、と聞けば、やはりダメとのこと。百歩譲って、竹島や北方領土は、事実上実効支配をされているが、尖閣諸島には、日本の灯台もあり、取り敢えずは、日本も毅然とした態度で臨んでいる。その島の切手を作ろうとしたら不許可であるとは何とも納得の行かない話しではないか。

 

 コジキ根性の小役人の、こういった自己保身の判断によって、とどのつまりは、自らが国家主権を侵していることになることに気がつかない。このようなコジキ役人の優柔不断こそ、中国にナメられる原因であることは言うまでもない。工場の責任者ではなく、日本郵便のしかるべき担当者からの連絡が欲しい、と言った所、「必ず連絡します」との返事だったが、現在(17日)も連絡が無い。小役人ですらこんな姿勢なのだから、国家が馬鹿にされるのが分かるような気がする。

 

 午前中は、自宅の用事を済ませてから、仕事。午後から歯医者なのだが、いつも通っている所ではなく、別の場所にある歯医者に行った。いつも行くのがみなとみらいにあるため、エイペックの警備で何かと面倒なので、場所を変えてもらった次第。終了後に、歯医者の近くにある揚げ物屋で、もやし揚げ、さつま揚げなどを買った。私は、こういった練り製品が好物である。

 

 夜は、中学、高校の同級生であり、親友のY氏の還暦祝いがあり、愚妻と共に出席。関内にあるホテルの個室に、中の良い人たちが三十人ほどが集まってのお祝。出席された人たちが皆、普段から仲良くしている人たちばかりなので、和気藹々の中で非常に盛り上がった。最後に、主役のY氏が、出席された一人ひとりとの関わり合いを話されたが、これがとても感動的なエピソードばかりで、感激して目頭が熱くなった。文字通りの竹馬の友のお祝いを楽しんだ。

 

 終了後は、サリーの店へ。ここでも盛り上がったが、愚妻と一緒なので、早目に自宅に戻った。


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