白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今月二度目の結婚式に出席。

2010-11-01 01:23:49 | インポート

十月尽(日)曇り。

 台風一過の晴天、とはいかずに、空は今にも泣き出しそうである。日曜日だというのに、上の子供は学校の行事で出掛けて行った。俄身体障害者となった愚妻のために、下の子供に手伝って貰い朝食作りと、食後の片付けを行なう。正午過ぎまで、原稿書き。ようやく「実話時報」の連載を脱稿。やれやれである。

 

 今日は、三時から、町内の友人であるオグリンさんの長女の結婚式が、中華街のローズ・ホテルにて行われるので出席。本来ならば、愚妻に送ってもらうのだが、片腕では運転もままならず、バスで関内駅まで行き、運動のためにそこからホテルまで歩いていった。

 

 サリーから電話が入り、愚妻を見舞ってくれると言う。恐縮してご辞退をしたのだが、仲良しのナリポンこと成田功君と一緒に我が家に向っているとのこと。入れ違いになって残念だが、友情に感謝。また、多くの社友の方より、お見舞いのメールを頂き、恐縮致しております。

 

 中華街のローズ・ホテル。以前は、ホリデーイン・ヨコハマという名前だった。宿泊と宴会だけの、さして特徴のないホテルだが、立地条件が良いせいか、いつも賑わっているようだ。新郎新婦や、ご両親、親しい方にご挨拶している内に時間となり、ホテルのバスで、山手の教会へ移動。港の見える丘公園を過ぎて、韓国領事館のすぐ先の小さな教会。良く通る道の、こんな所に教会があったのかと、少々不思議だった。

P1000021 ※こんな感じの教会でした。

 今月は、教会の結婚式に出席するのは二度目である。私は、仏教徒(浄土真宗)であるせいか、どうも教会での式が馴染めない。前回の牧師は毛唐、いや外人で、恐れおののいた。更に、賛美歌などを歌うと、心が洗われるどころか、魂が奪われそうで、思わず緊張してしまう。キリスト教徒や参列者に恨みもつらみも、決して偏見もないが、賛美歌は苦手で、いつも江戸の儒学者であった藤森大雅が瀕死の病床での中の作と言われている漢詩を呪文のように、心の中で反芻する。

  叱々(しっし)、叱々、又叱々

  汝、西洋の犬耶、咄(とつ)!(咄は、舌打ちし、叱る声)

  何すれど我が内地を横行する

  叱々、天山是絶筆(天山は藤森の号)

  

 決して、差別主義者ではありません。ただ教会と賛美歌を聞くと、月に向って吼えたくなるので、悪しからず。と言うのは、八割がた冗談です。

 

 式が終わって、ホテルに戻るのかと思ったら、教会のすぐ隣にある瀟洒な建物に移動しての披露宴。へぇー随分とオシャレじゃん。と感激した。乞われて、乾杯の音頭をとった。受けを狙って、「こなさん、みんばんは。もとい、皆さんこんばんわ」とやったら受けたのでほっとした。そのあとは真面目にやりました。

 最後のセレモニー、新婦の両親への挨拶では、歳のせいかいつも涙腺が緩む。いい結婚式だった。

 

 終了したのが、八時過ぎ。ビールを舐めただけで、後はウーロン茶にしたので、長かったこと。新郎新婦に「お幸せに」とご挨拶して自宅に戻った。


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