十一月十一日(木)晴れ。
愚妻のギブスがまだ取れないので、相変わらず「主夫」状態が続いている。早く起きて子供の弁当を作ったり、食事の片付け、掃除洗濯、それから様々なお付き合いや仕事やらをこなしている。家族が気になって、家を空けることもできない。愚痴をこぼすわけではないが、本当に大変である。家政婦でも雇いたいくらいだ。それでも、そのせいで毎日、六時半には起きるので、一日がとても長く感じる。しかし、九時を過ぎると眠くなるのには困ったものだ。
この時期、小春日和が続くと、鎌倉散策などしてみたくなる。我が家からは、横須賀線で北鎌倉までは二十分ほどで行く。駅を降りてから鎌倉駅までの散歩コースは、アジサイの季節も良いが、私はこの時期が好きだ。さだまさしの歌で有名になった「縁切寺」や「アジサイ寺」更に元寇の役で亡くなった日本と蒙古の兵士を供養している建長寺など有名な古刹を訪ね歩くのは楽しい。特に、建長寺には人間爆弾「桜花」の搭乗員など、いわゆる海軍神雷部隊の戦没者を祀った慰霊碑がある。私は、建長寺に行くと、まずそこを訪れて手を合わせる。
小町通には、菊岡久利先生の遺児、ノンコ、エシナさん姉妹の経営する和紙のお店、「社頭」がある。随分前に、ノンコさんにお世話になって、鎌倉を歩く会を催したことがある。
先日、古いアルバムを整理していたら、中学の三年生の時に行った遠足の写真が出てきた。鎌倉の「葛原ケ岡」で撮った写真なのだが、その時の記憶が全くない。その場所に行った事がどうしても思い出せないのだ。他の写真の事は、おぼろげな記憶があるのに、葛原ケ岡に行ったことを思い出せない。そんなこともあって鎌倉散策を思いついたわけである。
鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は
美男におわす 夏木立かな
という与謝野晶子が鎌倉の大仏様を詠んだ歌が好きだ。大仏様の裏に歌碑がある。でも、大仏様は釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来である。与謝野晶子の心を詠んだ歌なので、教育委員会はそのままにしているとか。それを教えてくれたのは、確か川端康成の「山の音」であったと思うが、定かではない。
※昭和40年10月8日、葛原ケ岡にて。私は、担任の先生を除いて、上段の右から十人目です。ここに写っている同級生は、皆今年還暦となりました。ちなみに私は早生まれなので、来年です。