白雲去来

蜷川正大の日々是口実

島ラッキョウがどかーんと届いた。

2014-04-09 11:11:28 | インポート

四月七日(月)晴れ。

そういえば、五日の「清明」の日は雨だった。清明で雨となれば、杜牧の漢詩しかないだろう。 漢詩の読み下しも良いが、ここは訳で読んでみて下さい。

清明節だというのに冷たい雨がしとしと降っている。路を行く旅人はすっかり落ち込んでしまい、家畜を放牧していた子供に「この辺に酒屋はあるかね?」とたずねると、牧童は黙って杏花村を指さした。

杜牧さんも子供などに聞かずに、私に聞けば「やまと」へでも案内したのに。共産党体制の今の中国には全く興味もないが、中国の歴史と漢詩は好きだ。

午前中に、沖縄から嬉しいものが届いた。かつて野村先生の運転手兼秘書をしていた金城薫氏から「島ラッキョウ」が二キロも届いたのである。そういえば、過日、金城氏と沖縄の怪人、林史人さんや元キックの選手氏らが飲んでいる時に電話を頂いた。ちょうど私も飲んでいる最中だったので、つい甘えて「島ラッキョウ」をリクエストしたら、どーんと二キロも届いた。いくらなんでも愚妻と二人で二キロは食べられないので、「やまと」とカメちゃんにおすそ分け。でも考えてみると、金城、林の両氏は下戸である。ウーロン茶でよからぬ相談をしていたのかもしれない。

随分前のことだが、作家として活躍している中野ジローさんのお世話で、松本佳展君と一緒に沖縄に遊んだ。その際に紹介していただいたのが林さんである。彼は、沖縄生まれではないにも関わらず沖縄の人たちも驚くぐらいの沖縄の達人で、美味しい店、美味しいものを売る店、米軍基地内のレストラン等、めちゃくちゃ詳しいのである。大好きな嶺吉食堂やそーきそばの名店「すーまぬめー」なども林さんの紹介である。また林さんはご遺骨の収集作業のベテランでもある。あーあ沖縄に行きたいなぁー。金城、林の両氏に感謝。

Dscf4206※公設市場にて林さんと。

Dscf4178※金城氏と松本君。

夜は、酔狂亭にて、島ラッキョウときのこ鍋で月下独酌。

 

 


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またウォーキングを始めた。

2014-04-09 10:36:22 | インポート

四月六日(日)晴れ。

食事療法だけではすぐにリバウンドしてしまうことは今までで経験済み。三年前ぐらいまでは、これでもかと思うくらいに歩いていたが、ある時、心が折れてしまいずっーとサボってしまった。

先月の断食を機会にまたウォーキングを始めた。あんまり頑張りすぎると後が続かないので今日は四十分にした。中学と高校で陸上競技をしていたこともあって、体を動かすのは嫌いではないが、年々そういった気持ちが失せて行く。来月には、フルマラソンの世界記録に挑戦してみたいと思っている。なに走るのではなく、世界記録の時間だけ歩いてみるつもり。

下の子供のお付き合いで、みなとみらいに出来た「マークイズ」という大型のショッピング施設に行った。こういった場所には、私のようなオヤジ、いやジジジイの興味をそそるような物はほとんどない。従ってウインドショッピングにもならないからつまらない。と思っていたら一階にアウトドアー関係のお店が何軒もあった。そのうちに一人でのんびりと来たいと思った次第。最近はキャンプに行く機会もなくなったが、ノースフェイスの一人用のテントを見て、うううう欲しいー。と思ったが「キャンプにも行かないのに道具ばかり買って」と家族の冷たい視線が集中するのは分かりきっているので、忘れることにした。

何も買わないのも失礼なので、ふなっしーのストラップを買った。

Dscf6475※頑固にガラ系です。

Dscf6477※誕生日に貰ったストラップだが、パソコンのバックにつけるつもり。

夜は、上の子供の同級生が来訪。女性ばかりに囲まれて和やかな食事会となった。

 


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朋、遠方より来たり。

2014-04-07 19:30:56 | インポート

四月五日(土)雨のち曇り。

一度もまともに桜を見ずに、葉桜となっては寂しいので、上の子供が午前中に学校から帰ってくるのを待って、南区の下町を流れる大岡川沿いの桜見学と桜の下での家族写真を撮りに行った。

京急の弘明寺あたりから「みなとみらい」の近くまで、運河沿いに八百本もの桜が植えられ、この時期には、露店が出たり、夜にはライトアップがされるなど、春の横浜の名所となっている。我が家も、九年前から家族で桜の下で写真を撮るのが年中行事としている。しかし、考えてみるといつ頃から大岡川沿いに桜並木が整備されたのだろう。私は、中学時代に大岡川に沿って通学していた。その頃はまだ黄金町や日ノ出町の川沿いにはバラック小屋がたくさん建っていて、桜などを見た記憶がない。子供のころの大岡川の景色で記憶にあるのは、怪しげな?商売をしていたバラック小屋と柳の木である。

とにもかくにも、桜好きな日本人にとっては、桜並木の整備は華やいでいい。大した桜もないのに桜木町という駅もある。

Dsc_0155※まだこんなに咲いています。

Dsc_0156※このような桜の景色がずっーと続いています。

夜は、伊勢神宮の「お白石持ち行事」にてお世話になったI氏が、私の友人でボクシングジムを経営しているカシアス内藤さんの所へ弟子を連れて練習に来ているとのことで会いに行った。内藤氏のジムへ顔を出すのは、久しぶりのことだ。このジムのオープンの時に、作家で内藤氏のドキュメンタリー「一瞬の夏」を書いた沢木耕太郎さんなどと共に、発起人に名を連ねた。内藤氏とは、様々な所で会うが、進行性の癌と戦いながら頑張っている彼を見て、いつもこちらの方が励まされる。そういえばご子息が、今年の二月にスーパーフェザー級の日本チャンピョンとなった。内藤氏にご挨拶をしてI氏と共に「颯」へ。

松本佳展君と小枝さんご夫妻が合流。遅れてカメ&アコちゃんも合流。楽しい食事会となった。余り酒の強くないI氏を松本君に送って貰い、いささか酩酊気味のカメちゃんたちと別れて、一人で「やまと」へ。何と満席でやっと座れた。いつものご常連さんと一緒に先日、ここで撮影された「おんな酒場放浪記」を見る。顔と態度がデカイと皆に冷やかされた。しばらく飲んでから帰宅。

 

 

 


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「どうしやうもないわたし」がいる。

2014-04-05 16:54:27 | インポート

四月四日(金)晴れ。

昨日に続いて山頭火のことを少々。古い同志の長谷川光良氏が下田に隠遁している頃に、友人と連れ立って良く下田に遊んだ。私が、戦線復帰を果たした平成二年に少々体調を崩し、静養の場に選んだのも、長谷川氏のいる下田だった。その下田で良く利用していたのが「いず松陰」という料理屋。何しろ安くてうまい。今でも下田と聞くとイコール「いず松陰」と頭の中でつながる。久しく行っていないが、過日FBの友人がそのお店のことをアップしていたのを読んで懐かしくなった。しかし「伊豆」で「松陰」なのに、なぜか店の入り口には山頭火の「伊豆はあたたかく野宿によろし波音も」という句碑がある。

その句碑は、伊豆の臨済宗建長寺派のお寺で泰平寺にあるものを写したのだと思う。泰平寺のものは大山澄太の書によるもの。また句の内容は忘れたが、下田駅のすぐ近くの蕎麦屋にも大山澄太が書いた山頭火の句の色紙が飾ってあったのを覚えている。山頭火の句で私が好きなものを列記してみる。

沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ

分け入つても分け入つても青い山

啼いてわたしも一人

どうしやうもないわたしが歩いてゐる

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

風の石を拾ふ

年とれば故郷こひしいつくつくぼふし

松はみな枝垂れて南無観世音

越えてゆく山また山は冬の山

うしろすがたのしぐれてゆくか

鉄鉢の中へも霰

うつむいて石ころばかり

ころりと寝ころべば空

まっすぐな道でさみしい

雨のふるさとははだしであるく

歳を取らなければわからないものがある。例えば「蕗の薹の天ぷら」。若いころ、連れていかれたお店で初めて食したとき、「こんなまずい葉っぱに金を出して食うなんて馬鹿じゃねぇの」と正直思った。それが今では、その蕗の薹の「えぐみ」と言おうか、味わいのある苦味に、「春ですねぇー」とか言うようになった。俳句もそうかもしれない。山頭火の俳句も若いころよりも還暦を過ぎて、ある種の無常観に苛まれる時、山頭火の俳句が心に沁みるのである。

夜は、伊豆高原の干物屋の名店「山幸」で買った「さわらのみりん干し」と茗荷をたっぷり添えた「冷奴」で独酌。そうか、最近忘れっぽくなったのは茗荷のせいかもしれない。

 

 


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うしろ姿のしぐれてゆくか。

2014-04-05 16:06:05 | インポート

四月三日(木)雨のち曇り。

CMで何とかというイケメンが、山頭火の俳句を語るのを見た。中々出来の良いCMで個人的には好きなのだが、山頭火の人と俳句をどれだけの人が知っているのか、少々疑問に思った。今の若い人たちは山頭火と聞いたら、ラーメン屋か酒の名前と思うかもしれない。かくいう私も二十代の前半ごろまでは山頭火を中国の人だと思っていたので、余り偉ぶったことは言えない。山頭火の俳句を興味をもって読んでみようと思ったのは、野村秋介先生の句集「銀河蒼茫」の中の句、「砂塵捲く 木枯の夜は山頭火読む」を知ってからだ。

「銀河蒼茫」の初版は昭和五十二年に野村先生が「経団連事件」を起こし、東京拘置所にて公判を待つ間に、故阿部勉さんのご尽力によって出版された。装丁はイラストレーターの黒田征太郎氏だ。(現在弊社から発売されているものは新装版となっている)遅まきながら私が山頭火を知ったのは、その時で二十六歳だった。考えてみれば二十六歳まで自由律俳句の第一人者である山頭火や尾崎放哉、あるいは荻原井泉水などを知らなかったのだから、若い頃、いかに無為な日々を送っていたのか反省しきりである。

本当かどうかはわからないが、以前読んだ本によれば、アメリカで一番人口に膾炙されている俳句とは、芭蕉や一茶や蕪村の句ではなく山頭火の「まっすぐな道でさみしい」というものだそうだ。私も、その句を読むと、その昔アメリカのテレビドラマで見た「ルート16」が浮かぶ。 英訳は「too straight a lane too lonesome」とあったが、私が聞いたのとだいぶ違う。誰か知っている人がいたら教えてください。

山頭火の俳句は、彼の人生や生きざまを知らないと分かりにくいかもしれない。いや山頭火の生きざまを知って読むからこそ彼の句が心に響き、感動もする。尾崎放哉の句もそうだ。幸いに放哉の方は吉村昭の「海も暮れきる」(講談社文庫)という良い本があるので未読の方は是非。

山頭火に関しては彼の熱烈なファンでもあり、山頭火を世に出した大山澄太の山頭火に関する本がたくさんある。山頭火や尾崎放哉のようにある意味で破天荒に生きた人たちを、その昔は愛する度量のある人たちが多かった。もちろん右翼浪人に対してもだ。今では破天荒に生きる人は敬遠されてしまう。多くの日本人が型にはまったブロイラーのようだと思うのは、私のひがみだろうか。

一日、真面目に原稿書きと事務所の書棚の整理。思い切って書棚の本の並びを変えた。通信で古書販売もやるつもりなのでジャンル別に本を入れ替えている。まあ暇を見つけて、気分次第でやっているので遅々として進まないが。夜は酔狂亭で月下独酌。


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