白雲去来

蜷川正大の日々是口実

友達づきあいは、季節の花と一緒。

2015-09-07 15:06:07 | 日記
九月六日(日)曇り。

歳を取ると人づきあいがつとにめんどくさい。人生の持ち時間が少なくなってきて思うのは、嫌な奴とは付き合わない。ということだ。仲の良い、気の合う特に飲み友達だけと付き合う。これが長生きの秘訣と思い、実践している。野村先生も「人づきあいというものは、季節の花と同じで、その時々の付き合いがあってもよい」と言っていた。私もそう思う。昔は、友人、知人の類であっても、久しく連絡を取っていないと心配になり、電話や手紙で近況を伺ったものだが、最近は、連絡がないのは、その程度の付き合いと割り切っている。何か用事のある時は、会うこともあろうし、それ以外では会っても会わなくても私の人生に何の影響もないのだから、会わない方が精神衛生的に良いかもしれない。

有難いことに友達には恵まれていると思う。もちろん「嫌だな」と思うものも何人かいるが、良い友達の方が圧倒的に多い。だからこうして浪人生活を続けられるのかもしれない。

午前中に事務所に行き、遅れ遅れの機関誌の印刷を行った。そういえば、どこで調べたのかある印刷機メーカーのセールスマンが来て、印刷機を勧めて行った。なんでも印刷をして、丁合(頁を揃える)し、中綴じではなく、袋包みをして、余白切りまで一度に行う最新の機械らしい。データーさえ入力すれば、後は、自動的にポンと本が出来てしまうすぐれものらしい。ふーん。それで値段は、「五百万円です」。条件反射でげんこつが飛び出しそうになった。あんたねぇー、どこでうちの会社を調べたのか知らないが、会社と言うのは名ばかりで、ほとんど趣味みたいなものでやっているのね。五十万だって大変なのに、五百万円なんて逆立ちしたってあるわけないよ。「勉強させていただきますから」。勉強も説教もいいから、私の存在を忘れてね。と言ってドアを閉めた。家族にこの話をしたら、皆大笑いをしていた。

事務所の帰りに、スーパーに寄ったら、美味そうな「牛タン」のスライスがあった。肉とカツオには目が利く私である。二パック買っていそいそと家に帰った。ねぎをみじん切りにして、ごま油とコショウで和えておき、牛タンが焼けたら一緒に食べる。ヨーロッパの難民問題から中国の軍拡、日中韓の首脳会談や安保法制まで、喧々囂々、侃々諤々、口角飛泡でレベルの高い議論をしながら、(すみません嘘です)こうして非生産的なアホバカな酔狂亭の夜は更けてゆきました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タダより高いものはない。

2015-09-07 14:26:31 | 日記
九月五日(土)晴れ。

上の子供が「母の日」に電気の量販店に行った際に応募した懸賞に当選した。賞品は、「修善寺日帰りバス旅行」。もちろんおひとり様である。愚妻は一人で行くのはつまらないと言って、上の子供の分の料金、七千五百を払って出かけて行った。私は、見ず知らずの人と一緒にバスで旅するのも苦痛なのでパス。

帰ってきた二人に聞くと、まず東名の入り口近くにある、何とかと言う宝石屋に連れていかれたそうだ。もちろん、バス旅行に行ってそんなものを買ってくるほど愚妻や子供はアホではないので、冷やかしてきただけだが、その後ほとんど土産物屋巡りが続いたそうだ。タダより高いものはない。と昔の人はうまいことを言う。

夜、我が酔狂亭で一杯やっていると虫の声が聞こえた。私が足で床をドンと叩くと、一瞬虫の声は止む。しばらくするとまた鳴きだす。そしてドン。静かになり、また鳴く。としばし虫と遊んだ。秋を感じた瞬間だった。「秋は夕暮れ― 日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」とは「枕草子」の冒頭である。

七時近くに二人が帰宅。我が家で安着祝い。土産の本わさびでマグロを食す。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする