白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私の三冊。

2015-09-02 22:56:04 | 日記
九月二日(水)雨のち晴れ。

小針政人君が編集をしている大行社の機関誌『大吠』の第二九〇秋季号の締め切りぎりぎりになって入稿。私が連載させて頂いているのは、軽いノリの読み物で、タイトルは『暗雲・層雲・青雲』。今回は連載第四回で、『三冊の本』という題名で書かせて頂いた。私が、もし無人島に行ったら持って行きたい「三冊の本」は、という内容である。いくら何でも一冊ではさみしい。三冊なら飽きずに読めるからである。
その三冊の本とは、まず野村先生の獄中句集の『銀河蒼茫』、そして中国は唐の時代の詩を編纂した『唐詩選』。もう一冊も中国の本で、歴史家、司馬遷が編んだ『史記』の三冊である。

『唐詩選』の詩の総数は四百六十五首、詩人の数は百二十八人。作品を最も多く選ばれたのは杜甫の五十一首を筆頭に、李白三十三首、王維三十一首、岑参二十八首と盛唐詩に重点が置かれており、中、晩唐を代表する韓愈や白居易、李商隠、杜牧などの詩はなぜか選出されていない。

『唐詩選』は、白居易の社会詩などを全く無視して、懐古・送別・旅愁といった日本人ごのみの情感に訴える詩が多く選ばれていることが、多くの人たちに愛された理由ではないだろうか。
 そして、『唐詩選』の中の詩人の多くが、妬みや嫉み、あるいは上司の罪に連座して、辺境の地に左遷され、失脚し不遇のうちにその生涯を終えた人が圧倒的に多いのに驚かされる。その人たちの失意や絶望の中の叫び、あるいは一筋の希望を見出だそうとする思いが、国を越えて日本人の魂をゆさぶり、その情念や不屈の精神に共感したに違いない。ある意味で『唐詩選』は、私の人生の中の一冊と言っても過言ではない。

車に乗っていて、待ち合わせた時間に早く着いたときなど、時間つぶしのために置いてある本が白楽天詩の詩集である。難しい詩が多いのだが「読書百遍、意自ずから通ず」で読んでいる。

夕方から、上の子供と一緒に歯医者へ。下の子供も合流して夕食の買い物。愚妻を迎えに行き、帰宅。「鳥人間コンテスト」を酒の肴に酔狂亭で酔う。

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『宝島』が休刊かぁー。

2015-09-02 12:09:09 | 日記
九月一日(火)雨。

朝から雨か。そういえば、その昔に流行った歌に、太田裕美の『九月の雨』というものがあった。なぜかその歌を聞くと雨の、それも黄昏時の六本木の街並みが浮かんでくる。まあどうでもよいことですが。

また東京オリンピックにケチがついた。競技場と言いエンブレムと言い、何かすっきりしない。誰がどう関わっているのかわからないが、もう少しピシッとやってもらいたいものだ。エンブレムもあんまり凝ったデザインのものを作らずに、誰が見ても「日本」を意識できるように「桜」や「富士山」、あるいは「北斎」の版画などをデザインしたものにしたら良いと、素人の私は思うのですが。

家族に背中を押されて私専用のPCを最新の「ウインドウズ10」に更新した。お陰様でトラブルもなく、サクサク動いているが、二台つなげているプリンターの一台とつながらなかったり、インストールしてあるソフトが開けなかったりと、まだ完全な状態ではない。それは多分に機械オンチな私のせいでPCや「10」のせいではないと思うが、慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ。

四十一年間も続いた『宝島』が十月号で休刊するというので、旧知の編集長から最後の号をご恵送頂いた。このように段々活字の媒体がなくなって行くのはさみしい限りである。雑誌と言えば、昭和四十四年九月発売の『アサヒグラフ』を手に入れた。特集は「動き始めた右翼集団」というもので定価は百二十円。表紙がすごい。青年思想研究会が新潟の山中で武闘訓練を行っているものだ。グラビアは、十四頁にわたって青年思想研究会の訓練の様子紹介している。いわゆる左翼の七十年闘争に対して、右翼民族派はどう動くかという特集である。児玉先生や衛藤先生のお元気な姿があった。こうした資料を残すために古書店の形式で「民族派資料館」というものを作ってみたいと思ってはいるのだが・・・。

夜は、おとなしく酔狂亭で独酌。めずらしく『黒霧島』ではなく、頂き物の『明るい農村』を堪能した。

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