白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私の友人には、共謀どころか、顔が凶暴な奴がいる。

2017-05-25 09:57:10 | 日記
五月十九日(金)晴れ。

朝食は、家族が皆出かけた後に独りでゆっくりと食べる。我が家は、とても日当たりが良かったのだが、欲深い不動産屋のせいで、二メートルぐらい前に家が建ち、余り陽が当たらなくなった。コンチクショウメ。

朝食は、サニーサイドアップのハムエッグス。ハムはポークハムが好きだ。それにキャベツの千切り(専用のスライサーを買って使っているが、良く切れてキャベツの千切りがとても美味しい)に、マルちゃんのワンタンスープ。(面倒な時はいつもこれ)それに自家製山芋の糠漬け。食後は、パソコンをチェックしながらコーヒータイム。テレビは点けずに、以前盟友から誕生日プレゼントに頂いた、BOSEのCDコンポで音楽を聴いている。ジャンルは中森明菜からBBキングやMJQまで東西のナツメロ様々だが、さすがに朝は演歌は聴かない。

共謀罪が衆議院で可決したとか。「これでも法治国家ですか」とのたまっていた民進党の議員の怒りのコメントの後に、画面が切り替わって、「次は、パンダの妊娠」だって。あまりのギャップにひっくり返りそうになった。

共謀罪に関して、民進党や左翼の市民団体が騒いでいるが、国会での民進党の議員の下らん質問を聴いていると、それが国民の共謀罪への関心を薄めていることに気が付かないのだから、本当にずれている。金田法相の答弁も噴飯ものだが、くだらない質問に、とりあえず答えているのだから、仕方がない。まあどちらもどちらだ。国民が共謀罪に関心が薄いのも仕方がないことで、例えば共謀罪の「対象」となる「二七七の罪」(検索してみてね)を見たって、一般人が抵触するような物はほとんどない。例えば、「クライスター弾禁止法」、クライスター爆弾の「製造」や「運搬」を普通の人がやるかい。私だって、出来ないよりも見たこともない。

確かに、共謀罪は危ないと思うが、国会前で騒いでいる連中と共闘して反対しようとは決して思わない。あの連中は、生理的に受け付けない。民進党や共産党だって、自民党政権下での成立が嫌なだけで、自分たちが政権を取ったならば、きっと同じような法整備をするに違いない。考えてみたって、北朝鮮は論外だが、中国やロシアにはもっと厳しい法律がある。民進党や共産党は、中国やロシアの人権侵害に対して声を上げたことが一度でもあるのか。民主主義などなくとも、「民主主義人民共和国」などと名乗っている国があるのだから始末が悪い。

かつての暴対法や暴排条例の時は、民進党(当時は民主党か)や共産党は、反対したのか。対岸の火事と思って、何の反対もしなかった。あの時に、過去二つの悪法を潰しておけば、共謀罪の成立もなかったかもしれないのだ。まあ革命や維新、すなわち時の権力に抗するならば、どんな法律があったとしても、恐れるに足らず。そう言う覚悟が無くして、社会の変革など出来ようもない。野村先生は、「信念を貫けば、十字架が待っている」と言われた。個人の思想信条を法で縛ることが出来る。と考えた時点で、行為者として敗北だと私は思う。私の友人には、顔を出しただけで共謀、いや凶暴罪となる奴が何人もいる。マイケル冗談ですが。

夜は、松山の矢野隆三さんが来訪。久しぶりに狭斜の巷で傾城と傾国に酔う。十時にはヘロヘロとなる。お互いに弱くなったものだと嘆息しつつ別れた。矢野さん横浜泊。

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「叛骨」と書いて「ごじゃもん」と読ませる山平さんの本。

2017-05-23 11:55:29 | 日記
五月十八日(木)曇り後雷雨。

朝起きて嬉しいことがあると、「地球の上にィー、朝がぁー来るゥー。その裏側は~夜だろう」と、ついこの鼻歌が出てしまう。まあ浪人の私にとって、「嬉しいこと」と言っても、大したことではない。雨戸を開けた時に天気が良かったり、朝食のおかずに好きな物があったり、そして送った本や機関誌の入金があった時ぐらいだ。

朝食は、アジの干物、自家製のキャベツの糠漬け、冷奴に、青森は十三湖で取れたシジミの味噌汁。夜に向けて肝臓は宜候(ヨーソロ)だ。昼は、原稿書きで忙しかったので、「緑のたぬき」。夜は、サンズンかシゾウ程度のカツオに筍の唐揚げ、ナス焼き。お相手は、友人のビッグ・バンブーから「呑み過ぎにきおつけて下さい」と頂いた「黒霧島」を特製バカラ(多分)のロックグラスで楽しんだ。こうしてアホバカ老人の一日が過ぎて行くのである。しかし今日の午後の雷には驚いた。

昨年、山平重樹さんが上梓した『激しき雪ー最後の国士、野村秋介』(幻冬舎)以後、また山平さんの新刊本が書店に並んだ。山平さんが、「私にとって山口組を題材にした実録小説と言うのは今回が初めてのことであった」。と書いているように、数ある実録小説の中で、珍しく山口組関係の本だ。フェイスブックなどで、その本が発売されたと聞き、伊勢佐木町の有隣堂に行ったが、売り切れ。仕方がないので、注文して帰った。先日、サリーズバーのパーティーの折に、山平さんから、その新刊本をサイン入りで頂いた。二冊になってしまったが、囹圄の友に送ってあげた。(許可になるかは分からないが)。

主人公になっているのは、山口組の四代目組長の竹中正久の実弟の竹中武氏。「その暴れっぷりから”ごじゃもん”と恐れられた竹中武。実兄でもある四代目山口組組長・正久が凶弾に斃れると、五代目体制の発足にともなって山口組を離脱。比類なき巨大組織の猛攻にさらされながらも、自身の信念を貫き通した」人のドキュメントである。六十四歳で亡くなるのだが、読み続けていて、その亡くなる場面では不覚にも涙がこぼれた。山平さんの本に感動と完敗をした。この軟弱な時代にあって、是非とも「男」を感じる本をご一読頂きたい。

夜は、酔狂亭で独酌。「黒霧島」とズブズフの関係から抜け出せん。

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烈士は暮年になるも壮心已まず。

2017-05-23 11:23:38 | 日記
五月十七日(水)曇り。

朝食は、ハムエッグス(卵二個にポークハム二枚)にキャベツの千切り添え。そして自家製キュウリの糠漬けとシジミの味噌汁。私が、十代の頃、ガールフレンドと行ったのが、山下町のホフブロイと言うレストラン。(今もあるが、昔は、シルクホテルのすぐ並びにあったような気がする)そこで、オーダーしたのが、モーニングのハムエッグス。その時に、お店の人から、「卵の焼き方は」。と聞かれて、?マークが頭に三つぐらい回った。ハムエッグと言えば、イコール、目玉焼きにハム、と思っていた。焼き方があるなどとは、全く思っていなかった。

そのお店で、いわゆる「ハムエッグ」は、単に、卵とハムの料理であり、目玉焼きにしても、サニーサイドアップや、両面焼きのターンオーバー、さらにスクランブルエッグなど、それらの卵料理にハムを添えれば、皆、ハムエッグであることを教えて貰った。今でも、ハムエッグを作ると、その頃のことを思い出す。

今日は、私が役員の末席を汚している大行社の役員会議あり、東京行き。早めに終了して、四時半より、近くの居酒屋で、大行社顧問の本宮清一氏の傘寿のお祝い。友人を代表してご挨拶をさせて頂いた。

三国志の曹操の漢詩に、「老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すも志は千里に在り 烈士は暮年になるも壮心已まず」と言うものがある。意味は、「老いたる名馬は厩に寝そべっていても、千里を走ることを夢み、烈士は晩年になっても気概を抱き続ける」。かくありたい。

八時前に自宅に戻る。

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なぜ五月の蠅はウルサイの。

2017-05-19 14:45:08 | 日記
五月十六日(火)晴れ。

子供の頃には、あんなにたくさん見かけたハエが、最近ではほとんど見かけなくなった。下水処理や道路が舗装されて「水たまり」がなくなったせいだろうか。何年か前に、野村先生のメモリアルツアーで、フイリピンはマタブンカイという海岸のホテルに泊まった時、食事時にハエが沢山いて煩わしかった。五月の蠅と書いて「うるさい」と読む。これは五月のハエが特にうるさい所から来ているそうだが、なぜ五月の蠅がうるさいのか。散々調べたが、やっとあった。気象予報士の「あまたつ」さんが書いていた。

「気象的に、ハエが活発に活動するのは摂氏二十五~三十度で、湿気が多いほど元気なんだそうな。しかし五月の全国的な気温は二十五度以下で、六月のほうが五月蝿い季節だという。ではなぜ五月? 五月蠅いの五月は旧暦の五月で、現在の六月にあたるという。現代ではこれからハエがうるさい季節」。と言うことでした。

世は、共謀罪、北朝鮮問題、韓国の新大統領の寅さん、いや文さんか、そしてトランプさんなどの問題で侃々諤々、喧々囂々と本当に五月蠅い。それなのに私は、五月蠅いのウンチクか。まあ機関誌と違ってお金を頂いている訳ではないので、勘弁して下さい。機関誌と言えば、読者の方々にアトランダムに「日米安保に、賛成・反対」「辺野古移設に、賛成・反対」というアンケートを行い、ご意見があればメールか原稿用紙でお寄せ下さいと、お願いしている。単純に賛成・反対とは決めかねるのは承知している。それでも、読者が安保に対してどう考えているのか、が理解できて興味深い。

生魚にアニサキスとか言う虫がいて、その虫のいる魚を食べると恐ろしいことになるらしい。カツオ好きの私としては、本当に恐る恐る口に入れている。そんな訳で、今日は、焼き魚にしました。

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大夢祭

2017-05-19 13:41:07 | 日記
五月十五日(月)晴れ。

良く寝た。六時に起床。風呂に入ってから、ホテルで朝食。と言うと、何か豪華な感じがするが、ところがどっこい、安いビジネスホテル。ツインで一泊八千円。シングルだと五千円の安宿である。だが部屋は清潔で、この値段なら二重丸。酔っぱらって寝るだけなら十分である。

朝食。これも文句も言えない。ご飯は、おにぎり、汁物は、味噌汁とオニオンスープの二種類。おかずになりそうなものは、ウインナーとポテトサラダと野菜のサラダ。他にパンやフルーツがチラホラ。まっこんな物でしょう。ただ、朝食を一日の一番大事な食事としている私にとっては、人生の大切な一食をダメにした感じがした。チョット大げさか。

十時に、ロビーに全員集合。皆で細川医院を表敬訪問。細川先生にご挨拶をしてから護国神社へ。まず花房東洋先輩にご挨拶。ご子息の仁さんもお元気そうだ。神社の境内には胡蘭成の書による「大八洲」の石碑が目をひく。(こらんせい=浙江省に生まれる。汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。一九五〇年に日本に政治亡命。一九七四年、台湾の中国文化学院(現在の中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、一九七六年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪曼派の保田與重郎、川端康成等々と親交を結んだとされる。一九八一年、東京都福生市で永眠)

正午より、大夢祭斎行。祭文奏上は坪内隆彦氏。奉納演武などあって一時間で終了。その後、大夢館へ移動して直会。出席者を代表してご挨拶をさせて頂いた。一時間ほどしてお暇する。岐阜から名古屋へ。新幹線にて新横浜。自宅に戻ったのは八時を回っていた。

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