白雲去来

蜷川正大の日々是口実

名古屋の名店から岐阜の名店へ。

2017-05-18 12:10:55 | 日記
五月十四日(土)晴れ。

明日、開催される「五・一五事件八十五年 第四十四回・大夢祭」に出席のために岐阜行。今回は、花房東洋先輩とお付き合いのある、サリー夫妻と愚妻、そして仕事が終了後に、駆けつける大熊雄次、松本佳展の両氏、六名での参加である。

新横浜駅にて、サリー夫妻と待ち合わせ。「のぞみ」に乗って十一時過ぎに名古屋着。社友の竹田忠正さん推薦の、蕎麦屋「伊とう」でまず昼食。蕎麦好きの私としては、ここに来るのが楽しみだった。そのお店は、名古屋の中村区大門という所にあるのだが、竹田さんによると、ここはかつての遊郭街だったそうだ。そこに、「日本の”しつらい”を今に残した和風家屋。なつかしい落ち着いた雰囲気の中で、ひととき、都会の時間を忘れ 挽きたて、打ち立て、茹でたての伝統の味わいをご堪能ください。 こだわりの旬の料理・ワインもご用意いたしております」(お店のHPより)。あらかじめ竹田さんが予約を入れてくれて助かった。

席に着けば、当然「蕎麦前」。桜エビの唐揚げや金華豚のサラダで、焼酎を。飲み屋ではないので、各々二杯程度で蕎麦へ。このお店の自慢と言う「二八蕎麦」を食べた。もちろん美味しかった。食後に、岐阜の細川先生に連絡をして、岐阜へ。駅前のホテルに荷物を預けて、昼呑みスタート。まずは、前回も行った、「なかとら」へ。まだ明るいと言うのに、お店は、たくさんのお客さんがいる。一時間ほど飲んでから、もう一軒。今日のメインの夕食、「潜龍」に行くのに、余りたくさん食べてはいけないとセーブしていたが、お腹よりも、酔いが回ってきたので、予約を一時間早くして頂き、長良川沿いの「潜龍」へ。

ここは初めての店だが、最高だった。お店のHPによると、「お座敷肉料理 潜龍 は、1966年に故・金子澤児が創業しました。潜龍の建物(本館)は、明治末に生糸問屋丹下氏の別荘として建てられたものです。後に縁あって金子澤児がこれを購入しました。そこへ時の政界の実力者であった河野一郎氏から、若い政治家育成のための庵として借りたいとのお話しがあり、澤児はそれに相応しい建物の名前を色々と考えた結果、「潜龍」と名付けました「潜龍」とは、易経に由来し、“天に飛び立つために力を蓄えて潜んでいる若い龍”という意味があります。いつか力を発揮するために研鑽する政治家の卵たちに相応しい名前でした。(しかし建物が実際に使用されることはなく、構想に留まりました)。その後、澤児がここで肉料理の店を創業するにあたり、建物に付けていた「潜龍」という名前をそのまま、自らが研鑽を積んでいく決意を込めて屋号とし、現在に至っております」。更に「潜龍の本館は明治時代の建物で百年を経過しております。別荘風の建物の構造をそのまま変えず、部屋の中央に卓をおいて御座敷肉料理を営んでおります。本来の日本座敷の凛々しさと、時を経た木と土の枯れた美しさは一朝一夕には作り出し得ない空気を醸しています」。しかし河野一郎ゆかりのお店で、野村先生の門下生の私が座っている。奇遇ですな。

目の前は長良川が流れ、そのせせらぎを聞きながら、お座敷で飛騨牛を味わう。いやはや贅沢でした。目の前で焼いて頂いた、ステーキを堪能し、私だけがホテルに戻り、爆睡。皆さんは、その後二軒転戦したとのこと。

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鰹節箱を知っていますか。

2017-05-18 10:55:46 | 日記
五月十三日(土)晴れ。

くだらん話で恐縮だが(あっ、いつもか)朝食が何より好きだ。目が覚めると、すぐにご飯が食べたくなる。二日酔いでも寝ぼけていても、だ。朝食にトーストなどは論外で、最低、ご飯に味噌汁におしんこがないと、朝食と言う気がしない。みそ汁は、昆布と鰹節でダシを取る。馴染みの居酒屋のおやじが、「うちよりいい昆布を使っている」とたまげていた。何のことはない。北海道に社友や同志が多いので、家で使う昆布のほとんどが頂き物だ。

子供の頃は、母が、鰹節を削っていた。俳句に「鰹節を削るも厨(くりや)の朝の音」というものがあるように、昔は、何処の家にも「鰹節箱」があった。箱の上に鉋(かんな)を裏返しにしたものがあって、鰹節を削ると、下の箱にたまる、と言うものだ。良くその手伝いをさせられたが、母がカンナの刃を研がないものだから、シャキシャキの連続とは言えなかった。今では、そんなことをする家庭も少なくなったのではないだろうか。小さくなって、もう削れなくなったかつお節を口に含んで柔らくなってから食べるのが好きだった。正に昭和の風景である。最近は、鰹節もパックになったり、味噌も「ダシ入り」が主流になった。また鰹節箱を買ってみるかな。

夜は、弊社の札幌支局長の梶浦直樹さんから送って頂いた「山わさびの醤油漬け」を友人に届けるために「やまと」にて待ち合わせ。相変わらず、早い時間は常連さんばかり。「一刻者」で酔った。

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泣いてすがった、年上の人。

2017-05-16 13:03:10 | 日記
五月十二日(金)晴れ。

私のソウルフードは「ソースチャーハン」である。玉ねぎと赤ウインナーを適当な大きさに切って、炒めてから、ご飯を入れて、また炒めて、ウースターソースで味付けをする。朝食の時に、我が家に常備の「中農ソース」が切れたので、子供たちが、ハムエッグスに「ウースターソース」をかけていた。その匂いがした時に、俄然、ソースチャーハンが食べたくなって、みんなが出かけた後に、ひっそり、ふふふと作って食べた。そう言えば、十日はおふくろの命日だった。

その昔流行った森進一の歌に、「年上の女(ひと)」と言うものがあった。一番の歌詞は、「だから分かってほしいのと、そっとからんだ白い指。だめよ、だめだめつらいのと、泣いてすがった、年上の人」。この歌を聞くと、フランスのマクロンさんの奥方が浮かぶ。ご存じのように、フランスの新しい大統領のマクロンさんの奥さんは、何と二十四歳も年上とのこと。大統領が高校生の頃にデキてしまい、怒った両親が彼を遠く離れた学校に転校させたとか。日本だったら未成年への淫行罪で捕まっちゃうかも。どちらが「泣いてすがつた」のかは知らないが、いかにもフランスらしい純愛?のエピソードかも。

やはりフランスのジョークに、家に帰ったら女房が見知らぬ男と、ベッドにいた。アメリカ人だったら、その場で撃ち殺す。フランス人だったら、一緒に参加する。日本人だったら、名刺を渡す。と言うものがあった。ほんとかい。

マクロンさんの実家はケーキ屋で、一番人気がマカロンだって。これはホントの話。

夕方に、床屋へ。大して切るほども髪もないが、そこは身だしなみ。夜は、酔狂亭で月下独酌。

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愛鳥週間だって。

2017-05-16 12:45:54 | 日記
五月十一日(木)晴れ。

珍しく、スーバに秋刀魚があったので、この時期にか・・・と思ったが、買ってみた。塩焼きにして食べたが、まあ、一尾、百円程度では文句も言えない。サリーから頂いた重慶飯店の大ぶりの焼売にキュウリのおしんこ。そしてわかめの味噌汁。相変わらず脈絡がない。

朝食後に事務所へ。注文を頂いた代引きや書籍を発送したり、機関誌の入金の礼手紙を書いたり、原稿を書いたりしていると、あっという間に夕方。いそいそと自宅に戻る。

昨日から一週間が「愛鳥週間」とか。まったく鳥などに興味もなく、種類と鳴き声は、烏に鳩にホトトギスくらいしか区別がつかない。テレビで、勝手に捕獲や飼育が禁止されているメジロを捕まえて、何やら「鳴き合わせ」とか言う、風流?な事をして捕まったと言うニュースを見た。メジロと言えば、すぐに頭に浮かぶのが目白にお屋敷のあった田中角栄だ。「愛鳥週間」なら、せめて焼き鳥屋も休業させたら。と相変わらずアホなことを考えて、千鳥足の日々を過ごしている私です。

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十日は、頭が痛い。

2017-05-13 13:33:38 | 日記
五月十日(水)雨。

花の雨 けむる祖国のさみしさよ。野村先生の句で、好きな句の一つだ。毎月、今日の十日と二十七日は頭が痛い。つまり支払いの日なのだ。危機が迫ると、砂の中に顔を入れて、現実から逃避しようとする鳥?がいるそうだが、その気持ちがよく分かる。

私が発行しているのが『燃えよ祖国』。その最新号(二三〇号)の編集後記に、いわゆる「森友問題」について、少し書いてみた。社友で宮崎在住の福田秀春さんが、FBに紹介しているが、FBや私の機関誌を読んでいない人のために、掲載してみたい。

いわゆる「森友問題」がまだ尾を引いている。先日も篭池何某が、民進党のヒアリングに応じて、小学校建設に際しての土地取得で財務省側との交渉をテープに取っていたことが明らかになった。なぜ財務省との交渉で、内緒で録音などする必要があるのか。普通考えられることは、もし交渉が上手く行かなかったならば、そのテープをネタに圧力をかけようと思った。そう思われても仕方がないだろう。強請り、たかりが失敗したら、今度は正義感ぶって、告発する側となる。そういう連中の常とう手段でもある。都合の良い時は、権力に擦り寄り、目的のためには、総理や総理府人までも利用する。それが破たんするとなると、なりふり構わず、お世話になった人を、堂々と反対勢力側に売り、窮地に貶める。これが教育者の姿なのか。幼稚園の子供に教えていたという「教育勅語」。その精神と真逆の立場の民進党に協力する。教育者どころか、人としての誠意や信念のかけらも感じられない。他人の子供に「人の道」を説くことよりも、自らが、「仁義」や「筋」を身に付けたほうが良い。この男のせいで「教育勅語」のイメージが随分と悪くなってしまった。それだけでも万死に値すると思うのだが。 

異論もあるかもしれませんが、私の正直な気持ちです。夜は、今日もおとなしく酔狂亭で独酌。岐阜の細川先生より「呑んでますかぁー」とメールが入る。「マンセー」と返信をした。※機関誌『燃えよ祖国』の最新号です。

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