白雲去来

蜷川正大の日々是口実

食堂車が懐かしい。

2019-05-27 11:13:00 | 日記
五月二十二日(水)晴れ。

そう言えば、先日、新幹線で岐阜に行った折に感じたのだが、新幹線や特急列車から食堂車やビッフェが無くなってからどのくらい経つのだろうか。何かのニュースで見たが、そのうちには、カートでの車内販売も無くなってしまうとか。まあ、それほど頻繁に新幹線を利用するわけではないので、文句を言えたものではないのだが。普段はあまり使わないのに、無くなると「懐かしい」や「あれは良かった」などと言うのは、単なる懐古趣味かもしれない。

考えてみれば、新横浜から名古屋には、「のぞみ」にのれば一駅で、一時間二十分程度で着いてしまう。のんびりと食堂車で過ごすのもせわしく、またその分、普通の車両にした方が、人も多く乗せられるし、利益率も良い。夢ではあるが、一度のんびりと食堂車で料理と酒を楽しみながら、アラスカ辺りを旅してみたいものと思うこともあるが、英語も話せないし、かえって不便でストレスが溜まりそうだ。旅先にさっさと行って、安着祝いを楽しんだ方がよさそうだ。移動の電車の中では、内田百閒先生の『阿房列車』でも読みながら・・・。

午前中に、車で御徒町行。社友のKさんが、地方選挙の折に使ったハンドマイクのメガホンが不要になった。とのことであり難く頂くことにした。私が使うのではなく、やはり社友で札幌で活動している梶浦直樹さんに使ってもらうためである。久しぶりにKさんとお会いし、昼食を共にしてから別れた。ゆっくりしたかったのだが生憎、車で行ったので、我慢した。Kさんに感謝である。

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卯の花腐(うのはなたくし)

2019-05-24 11:07:07 | 日記
五月二十一日(火)大雨。

早朝から横浜は台風並みの雨と風。わが陋屋は、風雨が強いと雨漏りがする。この雨漏りと言うのは厄介で、乾いてしまうと何処から雨が漏っているのか分からない。誰のエピソードかは失念したが、奥さんが、旦那に、「寝室に雨が漏っているから修理を頼んで下さい」と言うと、「家は広いのだから雨の漏らない部屋で寝なさい」と言ったとか。生憎、我が家は、そんな余裕がない。この風雨がうらめしい。

朝食の後に、雨が酷いので、二人の子供を駅まで送って行った。こんな日は、うっかり出かけられない。大体、いつも雨の落ちてくる場所は同じなのだが、それでも油断は禁物である。「雨音はショパンの調べ」という好きな歌があるか、そんなロマンチックなものではない。タイトルだけで言うならば、「悲しき雨音」である。仕方がないので、事務所に行かずに酔狂亭でパソコンに向かう。やらなければならないことは山ほどあるのだが、ファイトが湧いてこない。テレビを点けると、気になるので、BOSEのコンポで、耳障りにならない程度に「ブルーノート」のオムニバスCDを聞きながら仕事に精を出す。

子供の頃に習った「夏は来ぬ」という歌がある。アホだった私は、その頃は、別段何の感慨も感じなかったが、大人になってから、そのメロディーや歌詞がとても素晴らしいと感じるようになった。特に今の季節には、その歌が、何度も頭の中でリフレーンする。

卯(う)の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ。その卯の花とはウツギのことで、アジサイ科の落葉低木。茎が中空のため空木(うつき)の意味ともいわれ、卯月(旧暦四月)に咲く花の意とも言われる。ということを知ったのは、四十歳を過ぎてからのこと。「歳時記」によれば、陰暦四月の異名を「卯の花月」といい、このころに降る雨のことをいったもの。降り続く長雨が垣根の卯の花を腐らせてしまわないかとの意を含んだ言葉として「卯の花腐(うのはなたくし)」がある。

夜になって、雨が止んだ。家族が揃って今日の雨談義。夕食は、ポークピカタ、手羽餃子、焼売、筋子。二十度の「黒霧島」のロックを家族の目を気にしながら、恐る恐る、それでもしたたか飲んだ。

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貴方たち、ちょっと「五月ハエよ」。

2019-05-23 11:40:07 | 日記
五月二十日(月)晴れ後雨。

今朝は、マグロの刺し身に筋子にタラコ。朝から浪人には不釣り合いなぜいたくな食事だ。送ってくれた人に感謝しつつ食した。そう言えば、古代の中国では、冬至から百五日目あたりを「寒食」といって、一切火を使わないで食事をする日があるそうだ。(その故事が好きだが、長くなるので省略)。我が家の今朝の食事も、それに倣ったものではないが、ただ切るだけで、火を使わなかった。我が家流の「寒食」の日だ。

そう言えば、最近都会では「ハエ」を全く見なくなった。良いことだが、下水やごみの処理が良くなった証拠だろう。私の子供の頃は、ハエが飛び回る頃になると、電球の下に「ハエ取り紙」を吊るしたものだった。何年か前に、野村先生のメモリアルツアーで、先生の愛したフイリピンのマタブンカイという鄙びた海のリゾートに行ったことがあった。食事の折に、ハエが飛びまわっていて、手で追い払いながら食事をするという、煩わしい思いをした。本当に「五月蠅い」存在だった。

五月の蠅と書いて「うるさい」と読ませるほど、その昔、この時期のハエは人や食卓につきまとった。随分前にテレビのドラマの中で、若い女性の俳優が「貴方たち、ちょっと、ごがつはえよ」。と言って、思わず笑ってしまったことがあった。台本に「五月蠅い」と書いてあったのを、そのまま「ごがつはえ」と読んでしまったのだろう。町からハエがほとんどいなくなった今、「五月蠅い」と言う漢字も消えて行くのだろうか。

ニンジンが好きで、天ぷらやマリネにして良く食べる。夜は、そのニンジンのマリネに新生姜の甘酢漬けに、朝の「寒食」で最後の「茜霧島」をお供に、酔狂亭にて独酌。

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さつま揚げからスキャンスナップまで。

2019-05-23 10:52:44 | 日記
五月十九日(日)晴れ。

家族揃っての朝食は、親子丼に大好きなさつま揚げ。さつま揚げは便利で、甘辛く煮ても良し、軽く焼いても良しく、そしておかずにも酒の肴にも合う。浪人の味方でもある。もう一品は、今が旬のアサリの味噌汁。食後は、事務所にて機関誌の編集。リースのプリンターの調子が悪く、だまし、だまし使っている。以前使っていたヒューレットPが良いのだがリース代が少々高いので二の足を踏んでいる。また、昨年暮れに、便利だった「スキャンスナップ」が壊れて修理に出してみたら、新しいものに交換するのと変わらないと言われ、ナメンナヨ。結局、以前から使ってるエプソンのスキォナー「GT-X820」で何とかしているが、このスキャナーは性能が良いが、一枚ずつしか取り込めないのが難点である。

今は、便利になって、このエプソンのスキャナーと「読み取り名人」というソフトを組み合わせて使うと、印刷した活字がワードに入れてから変換が出来る。そしてほとんど誤字がない。聞けば、このシリーズで手書きの文章も取り込み、変換が出来る「手書き名人」とかいうソフトも出ているらしい、どうしようかと考え中である。手書きの原稿を頂いた時は、直接パソコンに打ち込むのではなく、「ドラゴン・スピーチ」というソフトを使って「読み上げ」で入力している。しかし、これはかなり古いソフトなので、識字率が八割程度だ。これもそろそろ交換しようかと思っている。

機関誌の創刊当時は、まだパソコンがそれほど普及していなくて、ワープロで入力したものを、別紙に割り付けして印刷所に持って行ったものだ。もっと前は、活版で「活字拾い」をして機関誌を作っていたのだから、正に隔世の感がある。便利にはなったが、写真の加工ソフトの「フォトショップ」などを入れようと思うが、毎月使用料を支払わなければならない。大した金額ではないのだが、毎月というのが、恐ろしい。フリーソフトもあるようだが、使ったことがないのでちょっと怖い気がして使っていない。そのうちにどなたかこういったことに詳しい方がいたら、アドバイスを受けようと思っている。

夜は、我が家の家族と、仲良しさんご夫妻とで、藤棚のお好み焼屋「ポン吉」へ行った。初めてのお店だが、中々良かった。

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読書の「連鎖」。

2019-05-21 14:45:59 | 日記
五月十八日(土)晴れ。

読んだ本の中に、著者が読み、参考になった本が紹介されていることがある。作家やその内容にもよるが、アマゾンなどで取り寄せてみると、大体良い本が多い。先日も、三十六年ぶりに再読した、向田邦子さんの『霊長類ヒト科動物図鑑』の中に、今の季節ではピンと来ないかもしれないが、新しいカレンダーに取り換える時の気持ちが書いてあった。

「感慨と言えるほどご大層なものではないが、やはりご不浄のタオルを取り替えるのとはわけが違う。多少しんみりした手つきになって、古いカレンダーをすぐに紙くず箱に叩き込むには忍びない」と書いている。我が家のは、日付の下に書き込めるようになっている実用的なもので、知り合いの建設会社の方から頂いたものを使っている。ひと月ごとに、捨ててしまうので、向田さんのような感慨はなく、ポイっと捨ててしまう。過去のことを調べるのには、このブログや、毎日つけている「食日記」があるので、過ぎた月のカレンダーに用事はないが、向田さんの気持ちも分かる。

その文章の中に吉屋信子の「手のつかぬ月日ゆたかや初暦」という句が紹介されていた。「車谷弘氏の名著『わが俳句交遊録』の中でこの句を見つけた」とあったので、早速取り寄せた。今は、便利で古書を探すのに古書店めぐりをしなくて済む。新刊本はなるべく書店で買うようにしているが、古書はネットで探すのが便利で良い。二日程で届いたが、向田さんが「名著」と紹介していただけあって、とても良い本で、何か得をしたような気持ちになった。吉屋信子と言えば、入ったことはないが鎌倉に記念館がある。記憶が違っていなければ、確か葦津珍彦先生のご自宅のすぐ近くではなかったか。野村先生のお供をした時に、「あれ。こんな所に」と思った記憶がある。

読書の「連鎖」とでも言おうか、こうして本が増えて行くのは楽しいことだ。ただ残念なのは、私の場合、酒で頭が少々腐ってしまい、読んでも知識が身に付かないことだ。

夜は、我が酔狂亭にて月下独酌。肴は、小エビとキノコの「アヒージョ」、海のない所に住んでいる友人が送ってくれた「マグロ」。お供は、「いいちこ」を凍らせたレモンを氷代わりにしてのソーダー割。何となくいい一日だった。

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