白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「秋味」は、ビールではなくて「鮭」。

2020-09-28 11:35:05 | 日記
9月1秋味3日(日)曇り。

いやはやあっという間に秋が追い付いてきた。朝、寒くて厚手の毛布を出した。日曜日なので、家族ともどものんびりと起きた。昼食を兼ねた朝食は、カレーライス、目玉焼き添え、とろろこぶスープ。夜は、近所の魚屋で買った、マグロ、カツオ、天ぷらうどん。〆はお供は「黒霧島」。

ビールに「秋味」と言うものかある。普通「秋味」と言えば、すぐに頭に浮かぶのは、北海道で初秋に獲れる「鮭」のことだ。『松前追分』に、
秋味とれだしゃウスウス寒い
やがて野山に霜が降る
お女郎高くて及びもないが
せめてお多福ハナまがり

といものがあるそうだ。「ハナマガリ」とは、鮭は産卵期になって川をのぼると、雄のアゴが敵を脅かすために、戦闘的な獰猛な形に変わってくるのを表現した言葉だそうだ。(「歳時記」より)味噌仕立ての「石狩鍋」もいいが、たっぷりとバターを使った、サーモンソテーが好きだ。これから食欲の秋を満喫することが多くなる。

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波勝岬は純情岬。

2020-09-23 13:38:42 | 日記
9月12日(土)曇りのち雨。

BSテレ東の「昭和は輝いていた」という番組が好きだ。特に、私が十代の頃に流行った歌や歌手が特集されると録画して何度も見て、家族から顰蹙を買っている。その影響で、最近、いしだあゆみ、伊東ゆかり、本間千代子のCDを買ってそっと車で聞いている。何も「そっと」聞くこともないが、あいみよんだのししゃもなどの歌が流れる我が家で、コンポで我が青春時代の、それも懐メロの仲間入りをした歌を流すのは、少々憚れる。

年に一度、盟友のお世話で伊豆高原に断食に行く。断食と言ってもほとんど自由時間なので、ドライブに出ることもある。一度、本間千代子のヒット曲の中に歌われた波勝岬へ行った。「コバルト色の波も散り。波勝岬は純情岬」の歌詞が浮かんできて、この歌が流行った頃のあんな子、あんな奴のことを思い出した。歌のタイトルですか、恥ずかしくてとても書けません。

夜は、古いおつきあいのK高夫妻と西横浜の「オアジ」にて一献会。思い出話に花が咲き、飲んだビールが五万本。とは大げさですか、楽しい時間でした。

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秋の季節の色は白だって。

2020-09-23 11:57:31 | 日記
9月11日(金)晴れ。
歳時記によると、季節を色で表現するのならば、秋は白で、白秋。春は青で青春。夏は赤で朱夏。冬は黒で、玄冬ということになっているそうだ。まあ普段からそんなことを意識して生活している訳ではないけれど。

朝は、アジの干物、鶏肉とジャガイモの煮物、キュウリの糠漬け、ワカメの味噌汁。昼は抜いた。夜は、小エビの天ぷら、玉ねぎのフライ、鶏手羽の塩麴蒸し。酔狂亭にて月と影とを相手に独酌。まんまるお月さんが気持ち良くて、エィヤッと「伊佐美」を開けた。

午後に、事務所に行き、金にもならない仕事をこまごまして、お礼の手紙を三通書いてから帰宅。事務所も本と資料で獅子てんや、わんや(古いか)のようになっている。アマゾンで買った「いしだあゆみ」のCDを聞きながら帰宅。一日、何の生産性もない仕事をして、夕日に追い立てられるように帰った。



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秋の思い。

2020-09-21 06:57:21 | 日記
9月10日(木)曇り。

野村先生の『銀河蒼茫』の「秋の句」の中に、「拝啓と書いてしばらく聴く時雨」と言うものがある。好きな句である。時雨とは、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨である。時雨が降る天候に変わることを「時雨れる」ともいう。先生は、この時、誰に手紙を書こうとしていたのだろうか。日々の生活の中に何の感動もなく、単に日にちを消化して行くだけの獄中生活の中で敏感に感じるのは季節の移ろいである。

娑婆では、なし崩しに季節が変わって行くが、獄中では、季節と季節の間に区切りがあって、そのドアを開けるといきなり秋色に包まれるのである。秋思と言う言葉がある。いい歳をした男が使うと、何か気恥ずかしいが、人生の中で、その思いを一番実感するのが獄中ではないかと思っている。ちなみに「秋思」とは、秋に感じるものさびしい思い。

 克明に夜の蟲鳴く 別離以後
 秋風の 夜汽車は壁を ひた走る
 あるときは無聊 野分を聴くばかり
先生の句である。

李白は、西域に従軍している夫を思う妻の気持ちを「秋思」と題してこう詠んだ。
 
燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。
海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。
胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。
征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

秋に感じて、酔狂亭にて独酌。酒が避けられない。

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まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ

2020-09-20 12:43:15 | 日記
9月10日(木)曇り。

朝に秋を感じるようになった。野村先生の句集『銀河蒼茫』の「秋の部」の最初の句は、「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」てある。残念ながら今日は曇り。「天の濃さ」が見えない。その天の彼方にある外国にもこのコロナ禍で当分行けそうにもない。もう若くはない。元気でいるうちにもう少し旅をしてみたいものだ。

私が海外旅行に憧れたのは、五木寛之氏の本、『青年は荒野を目指す』を読んだ十代の後半の頃であったと思う。しかし、その頃の外国は本当に遠い存在で、今のように気軽に行けるような環境も整備されておらず、個人的にも海外へ行くという経済的な余裕もなかった。笑い話などではなく、一九六〇年代、知り合いや近所の人が海外旅行に行くと聞くと、餞別を届け、羽田空港の見送り場で万歳を三唱したものだ。確か、日本から外貨(ドル)の持ち出しが千ドルまでと決められていた時代である。

その頃から私が憧れる外国と言えば、ハワイやニューヨーク、あるいはパリやローマといったヨーロッパの国々よりも、なぜか上海であった。それは、私が中学の時に放映された、馬賊の伊達順之助をモデルにしたテレビドラマ『夕日と拳銃』の影響が大きい。そのテレビドラマに影響され、戦前に日本人が中国で活躍した本を読んでいるうちに、「魔都」とも別称された上海と言う街が醸し出す妖しげな魅力に惹かれたのである。

もちろん戦後の上海に、児玉誉士夫先生や伊達順之助らが関わったであろう特務機関や、上海のマフィアであった金黄栄や杜月笙などが存在するはずもないことは知っていた。しかし、そういった人達が暗躍した街並やホテルが残っていることを知り、いつの日かその街を歩いてみたいと言う思いを抱いていた。

その上海行きの夢が実現したのは、五木寛之氏の本を読んでから四十年も後のことで友人のご厚意で万博の開催されていた上海を訪れた。※2010・6月。上海、ガーデンブリッジにて。

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