白雲去来

蜷川正大の日々是口実

菊の節句か・・・。

2020-09-19 14:13:53 | 日記
9月9日(水)晴れ。重陽の節句。

起床後に、玄関にあるミニチュアのお地蔵さんや野村先生の遺影に手を合わせる。いつも欠かさず活けているのはスプレー菊。今日は、五節句の内の重陽、菊の節句である。五節句とは、江戸時代に定められた5つの式日(今でいう祝日)をいい、1月7日の人日の節句(七草粥)。3月3日の上巳の節句(桃の節句/雛祭り)。5月5日の端午の節句。7月7日の七夕の節句。9月9日の重陽の節句。

古来、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、めでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、不老長寿や繁栄を願う行事をしてきた。

幾度か書いてきたが好きな漢詩に王維の「九月九日憶山東兄弟」(九月九日山東の兄弟を憶う)がある。毎年、この日になると、王維の誌と共に、北の果ての一足早い秋の訪れの中に赤く色づいた「ほうき草」とコスモスがセットになって甦る。

独在異郷為異客 
 独り異郷に在って異客と為り
毎逢佳節倍思親 
 佳節に逢う毎に倍ます親を思う
遥知兄弟登高処 
 遥かに知る兄弟高きに登る処
遍挿茱萸少一人 
 遍く茱萸を挿して一人を少くを

野村先生の句に、白菊の白があふれてとどまらぬ。がある。ニュースで、元ゴールデンカップスのマモル・マヌーの訃報を知る。別段彼と個人的な付き合いがあったわけではないが、横浜がまだヨコハマであった頃から彼の歌を聞いていたように思う。

朝からどこにも出かける気にならず、月が出てから冷蔵庫を漁り酔狂亭にて独酌。






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親指を隠す癖。

2020-09-19 13:39:57 | 日記
九月8日(火)晴れ。

昼に下の子供と食事に出かける約束をしていたので、朝は、おにぎり一個。昼は、伊勢佐木町のインドカレーの店「モハン」へ。バター・チキンカレーとナンのランチ。午後に子供が約束があるというので直帰。そうそう有隣堂で、「商業車シリーズ」の第一巻を買うと思ったら「完売しました」の立て札が・・・。がっかりす。ミゼットのそれだけ欲しかったのに、思いは皆同じか。

夜は、エビフライにキャベツの千切り添え、ピーマン炒め。お供は、ノンアルのヒールを二本飲んでから、「黒霧島」のソーダー割りへ移行。家族が「ノンアルビールを飲む意味がないじゃん」。ごもっともです。おとなしく酔狂亭にて月下独酌。

そういえば、子供と車で「モハン」へ行く途中に霊柩車とすれ違った。今でも思わず手を握って親指を隠してしまう。子供の頃に、霊柩車を見たら親指を隠さないと、「親が早死にする」あるいは「親の死に目に会えない」とか言われ、その頃から、霊柩車を見ると反射的に親指を隠した。考えてみれば、私の両親はすでに亡くなっているのにも関わらず、今でも手を握って親指を隠してしまう。気が付いて一人苦笑することが度々ある。最も今では「家族が無病息災でありますように」との思いで、親指を隠す言い訳にしている。

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三渓園の蕎麦屋へ。

2020-09-15 14:25:45 | 日記
9月7日(月)晴れ後雨。

大型の台風が九州地方に上陸とか。台風が年々大型化し、それに伴い被害も大きくなって行く。コロナに台風や大雨による水害。日本人は辛抱強いから良いけれど、どこかの国のように不平不満がすぐに暴動に結び付き社会不安に陥る。日本は良い国だ。

朝食は紅鮭、AOKIの餃子、ワカメの味噌汁。昼は、焼きそば、夜は仲良しさんのご夫妻と一緒に本牧は三渓園の蕎麦屋「江戸清」にての一献会。

本牧や三渓園はある意味で横浜の陸の孤島である。交通機関がバスしかなく行くのがとても不便である。我が家からは、関内駅までバスで行きJRで山手まで。そこからタクシーで千円かかって三渓園。かつて賑々しくオープンしたマイカル本牧もあっという間に、町場の大型スーパーとなってしまった。オープン当時はホテルや大型レストラン、フランド品を扱うお店もあったのに。やはり交通が不便と言うことが関係しているに違いあるまい。何でも、本牧まで地下鉄が通るという計画に乗った、という噂もあったが。

開店当時にあった画廊で、わたせせいぞうのリトグラフを二点買った。我が家の階段の壁に掛けてある。彼の絵本も好きだ。天気の良い日にお茶をしながらその絵本を読んでいると、何かとても幸せな気持ちになる。

その蕎麦屋の「江戸清」だが、酒の魚がとても多く安い。そして美味しい。好きな浅草の「甲州屋」を思い出した。六人でガンガン食べて、ボトルを二本空けて、生ビールやらワインやらで六人で2万6千円。家から近かったら毎日行きたいと思った次第。

その後、皆さんと久しぶりにサリーズバーへ転戦。楽しい一日でした。

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秋風や民主主義という隠れ蓑。

2020-09-15 14:25:45 | 日記
9月6日(日)晴れ。

朝食は、鶏のから揚げ、ワンタンスープ、レタスサラダ。昼食は、小チキンラーメン。夜は、マグロの刺身、鶏手羽のから揚げ、餃子にキュウリの糠漬け。「伊佐美」をお供に酔狂亭にて月下独酌。

朝食後にPCに詳しい愚妻を伴って、修理したハードディスクを受け取りに行く。新しいハードディスクに復旧したデーターを入れてもらい支払いは、約5万円。いろいろな意味で高い勉強代となりました。

立憲民主党に国民民主党と聞いたときにすぐに頭に浮かんだのが、旧社会党と民社党。左派の社会党と中道左派の民主党。そして55年体制以後の自民党と長い間、三つ巴が続いた。あっ共産党もいたか。自民党の正式な名前は自由民主党。かつて自由党と日本民主党が合併(保守合同)して自由民主党となった。民主、すなわち民主主義政党と言う意味だが、自民党や国民民主はまあそれなりに民主主義政党とは思うが、立憲民主の民主は何か暮れ蓑にしている人が多いように思えてならない。北朝鮮だって正式の国名は朝鮮民主主義人民共和国だぜ。

秋風や民主主義という隠れ蓑。


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思い出のANAホテルへ。

2020-09-15 13:55:33 | 日記
9月5日(土)晴れ。

土日は家族がのんびり起きるので、それに合わせて朝食が昼食と一緒になることが多い。私は早く起きるが、空腹を我慢してのんびりと新聞を隅から隅まで読んでからメールやフェイスブックをチェックしたりしている。コオヒイが好きなので、大体午前中に二杯ぐらい飲む。今は暑いのでもっぱら無糖のアイス・コオヒイである。昼食は、コロッケ、ベーコンエッグ、キャベツの千切りにジャガイモの味噌汁。

午後から東京行き。赤坂の旧全日空ホテルで、阿形充規先生、犬塚博英先輩や某出版社の方たちとの懇親を兼ねての食事会。このホテルに来るのは本当に久しぶりである。平成5年の10月20日、ホテルのラウンジでお茶を飲み朝日新聞社に行く先生を見送った。「行ってらっしゃい。集会には遅れないようにお願い致します」。「じゃあな。行ってくるからな」。これが、先生との最後の会話となった。

その時も犬塚先輩が一緒だった。当時と、ラウンジもホテルの内装も変わっていたが、食事の会場となる二階へ上がるまで、しばし佇んで27年前の記憶を呼び戻していた。

食事会は、珍しく寡黙で引っ込み思案の犬塚先輩が良い酒と料理、そして良き人たちに酔ったのか、先輩の独演会のようになったが、和気藹藹で安堵した。終了後に犬塚先輩にゴールデン街へと拉致されて行く若い記者を阿形先生と笑いながら見送ってから帰路に就いた。

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