「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」を読んで
《 李 信恵×安田浩一 「世界」11月号 》
吉田 等
☆ 安田さんは89頁で、ヘイトスピーチを「言葉の暴力」と考えていたが、そんな生易しいものでなく、暴力そのものだと初めて実感した、と言っています。なぜ「暴力そのもの」と言ったかというと、ヘイトスピーチは「ある意味で肉体的な傷より深く心臓をえぐるような行為」(90頁)だと痛感したからです。
安田さんは、鶴橋のヘイトスピーチに対するカウンターデモに李さんと共に行った際に、彼らに顔を知られている李さんが直接的な攻撃を受けるのではないかと恐れていました。それがなくてほっとした安田さんが思わず「よかったね」と言ってしまったのに対して、李さんが何が「よかった」のかと涙ながらに抗議した「あの鶴橋での一件」(90頁)によって、この認識の深まりが生み出されました。
そして彼は「これまでは、なぜヘイトスピーチを吐くようになるのかという取材をしてきましたが、これからはより一歩踏み込んで、ヘイトスピーチを制止するための仕事をしないといけない」と述べ、「私たちの社会はなぜ被害者が矢面に立たないと問題が解決できないのか。忸怩たる思い」だと言っています。
安田さんの、言論人としての責任とそれを担っていく決意に私はけだかさと頼もしさを感じました。
☆ 「差別で金を稼ぐ輩」(92頁)の存在は私が考えもしなかったことでした。李さんは、インターネット上の「まとめサイト」と言われる「保守速報」の管理人も提訴しましたが、それは彼が「差別的な文言を連ねてアクセスを集めて、アフィリエイトつまりネット広告などで金を稼いでいる」からです。
☆ 「カウンターは、ぎりぎりのところで在特会の暴走を食い止めてくれた」「とはいえ、主張そのものへの賛同者はまだ少なく」ない。「保守派、右翼とされる人の中にも路上で「死ね」「殺せ」と叫ぶ在特会には賛同できない」が「在日の特権――そんなものがあるはずがないのですが――には反対という主張そのものは正しいと考える人間も」いる。「このことにもっと危機感を持った方がいい」(93頁)という指摘は私もその通りだと思います。私たちはこのことをしっかり把握して、どういうことをどのように誰に対して言うのかをはっきりさせてものを言わなくてはならないのだと感じます。
☆ 安田さんは「身近な問題に目を向けることなく、国家を借りてきて話をする人が増えている」(93~94頁)と言っていますが、確かに私もそう感じています。いつごろから増えてきたのでしょう。「正義でなく国益で語れ」(産経新聞)などあまりにも露骨で、意図がはっきり見えますね。また、政策に盛んに「戦略」という戦争用語を用いたり、「撃ち方やめ」などという比喩を使うのも同じ病根でしょうか。