同門の後輩医師の闘病生活のエピソードから
悪性腫瘍に罹患したので、精神的、肉体的苦痛に思いいたすと、
彼女が苦痛に医師として向かっていた言動の端々が雄雄しく響きます。
医療施設の情報の手が入りにくいことを自ら体験し、改善策を模索し実践していったこと。
この体験を踏まえての医療を実践したいと、また自分が行なってきた医療の力も信じて
治療を続けたこと。
回復して、もっともっと医療の改善に力を尽くしてほしかった。
3年前、恩師宇塚善郎先生も1ヶ月の入院を余儀なくされました。
日ごろの言動から、入院後どうなることかとはらはらどきどきでしたが、実に模範的患者でした。、医師であることはおくびにも出さず、無用な抵抗、知識をひけらかすこともなく入院生活をされていました。
『排便はベッド上で介助でしたのですか』、と質問した私に、『今まで排便についてきかれなかったので、自らは訴えなかった。』と応えたものですから、消化器内科、糖尿病、血液疾患が専門で、毎日排便については看護師が確認するものと思っていたので、排尿排便をひけらかすものでは無いという日常健康なヒトの常識で、まさか10日間も排便を我慢していたとは思いもしませんでした。外科系と内科系の病棟看護師の意識の違いを悟ったものでした。そのことは予断として
『医師として院長として、患者に還元できることはないかという目的意識を持って入院生活をおくっているから』
『今までの仕事を文献として残すという目標があるので命を大事にしたい』
その2点をあげられました。
私齋藤淑子は、学業半ばで動けば激痛が走り、口は開くと痛いなど疼痛にさいなまれた期間は年余にわたり、いろいろな検査を受けるたびごとに、自らの体験から県債の苦痛を緩和するコツを獲得し、医療に反映させるべく努力してきました。
患者になって初めて気づき、医療者として改善点を訴えたり、実践したり、血の通った医療を目指すという、患者に対する愛があるからこそ医療は続けられるのかもしれないと思いました。