新婚間もない両親は、第2次大戦中の東京大空襲をのがれて疎開した
羽田の対岸にある川崎市で、私は戦後の食糧難の時代に生を受けた。
小学校、中学校、高校時代を過ごした。
東日本大震災発生後、
50年近い昔に一緒に学んだ中学校の同級生から連絡を受けた。
遠く離れた被災地にいる昔の同級生を思いだし、深く心配してくれていたのだった。
あこがれの先生を中心としてまとめ続けてくれた彼の電話は、
被災者を思いやる日本の心を直接に受け止められた瞬間でもあり、
被災後支援の手が届かず、
疲労の蓄積で寂しく落ち込んできた気持ちに明かりをともしてくれた。
震災発生後の時間が経っても、お見舞いが届いた。
病院の患者にも、
孤立して生活している集落に支援に行っている同僚にも
高級なハムを味わわせていただいた。
遠く離れた50年昔の、あこがれの先生を中心としたつながりが、
震災直後も、時間がたっても、萎えてきそうな気持ちに元気を与え続けてくれている。
支えてくれている、孤立していない