豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

東京下町情緒が変貌する…函館市~北斗市

2012-05-22 17:57:38 | ファース本部
浅草は私の大好きな街です。
昭和42年に上京し現在の仕事を創業したのもこの下町と云われる浅草周辺でした。
トビ職の仕事を終え、銭湯に入って浴衣を着流し、雪駄を履きこの浅草に出掛けて行きました。ビートたけしや泉ピン子などを浅草ロック通りの舞台で、生で見た記憶があります。

雪駄をはいて着流し、そして小雨の時は、蛇の目カラ傘をさして闊歩した時代です。
当時21歳のときですが自分だけではなく、そのような男の姿が浅草には多くありました。
その浅草から見上げんばかりの東京スカイツリーは、今日、開業したようです。

「東の隅田川より鴻之台を眺め、西は箱根連山より富岳本山を望み、南の東京の市街を一覧し、北は吉原及び千住戸田近郊を脚下に見下ろす絶景なり」。
これは毎日新聞のコラムの記述で明治20年に、東京日日新聞(毎日新聞の前の前)に載った、浅草公園展望台「富士山縦覧場」の開場宣伝文だそうです。
この浅草に出来たこの「富士山縦覧場」は木造骨組みで富士山を象り高さ33mの建物で、屋上に望遠鏡、天文鏡が置かれていたようです。

浅草は当時、東京一の歓楽街で、仁丹塔と呼ばれたタワーがありました。
私自身もこの仁丹塔を毎日のように目にしてきました。
つまり浅草に「塔」すなわちタワーは、ランドマークとしてきた歴史がありそうです。

この浅草から東側、隅田川の対岸に開業したスカイツリーは、木造はりぼての「富士山縦覧場」建造から125年目になるそうです。浅草から歩くと遠いのですが、634mの高さは浅草寺の隣に位置するような存在感です。(写真はブログ投稿者からのコピー画像)
昨年の3・11大震災で東京タワーのアンテナの一部が曲がる被害がありましたが、このスカイツリーは、何の問題もなく、まさに日本建築技術の素晴らしさを具現化したようです。

このスカイツリーから雪駄と着流しで闊歩した浅草や、東京タワーの在る東京都内越しに見る富士山は、「富士山縦覧場」から見た姿とどのように異なるかの想像を…
明日はその東京出張ですが、浅草でなく東京タワーの近くで研修講話を行う予定です。
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