豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

気概と志と行動力で…函館市~北斗市

2013-04-24 18:06:00 | ファース本部
高田屋嘉兵衛と言っても全国的には、誰もが知っている有名人ではないようです。
しかし、この高田屋嘉兵衛の生き様を見ると私達の生き方が実に甘ったるく感じます。
高田屋嘉兵衛は、兵庫県淡路島で農民の子として生まれながら、直ぐでも稼ぎになる漁業に従事して船に乗るようになったようです。その廻船業を志し、船で淡路島の物品を大阪に運ぶ仕事に就きます。

船主からその仕事ぶりが評価されて船頭となり、北前船で紀州から山形県などにミカンや鰹節などを商いするようになったと云います。その後、庄内で1700石積みの北前船を建造し、当時の蝦夷地、北海道まで商いの先を拡大して行きます。間宮林蔵など幕府役人とも親交が出来て彼らの信頼を得たことから、蝦夷地交易を正式に許可されます。

高田屋嘉兵衛は、北方領土のエトロフ航路を開き函館に、北洋漁業の礎を構築し、その後の漁業振興に大いなる貢献を果たすことになります。また、この当時に国後航路を見出し択捉島の尽力します。
北方領土はこのような歴史のもとに我国固有の領土となっています。
高田屋嘉兵衛は、この北方領土開拓の功により33歳で「蝦夷地常雇船頭」を任じられたと云います。

1806年の箱館大火で町の大半が焼失した時、高田屋は被災者の救済活動と復興事業を率先して行ない、市内の井戸掘や道路の改修、開墾・植林等も自己資産を投げ打っての資金で箱館の基盤整備事業を実施したと言われます。
函館山の麓、嘉兵衛旧宅跡を通る高田屋通りのグリーンベルトには高田屋嘉兵衛銅像(写真)が建ち、函館市内を見下ろしています。

私達北斗市の弊社本社近くには「道内水田発祥地」と云う史跡があります。
また私達の周辺に「高田」さんと云う名字の家が多く存在します。
いずれも祖先の方々が高田屋嘉兵衛を慕って開拓開墾に勤しんだ人々で、その高田姓を名乗るようになったと。

貧農の小倅で生まれ、特別な教育を受けた訳でなくとも「気概と志と行動力」で多くの人々に富と夢を持たせる偉人になれることが高田屋嘉兵衛は証明しているようです。
さて、今日は終日の曇天でした。明日は家庭裁判所での調停業務の後に道東に移動予定です。

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