夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

トキワツユクサ

2007年07月02日 22時00分54秒 |  あなたの鼓動、華
以前、多摩川の河川敷にしろ、岬にしろ、トキワツユクサが普通になってきて、昔は当たり前だった普通の青花の露草を見なくなっているって書いていましたけど、知人(多摩川の植物をブログにしていらっしゃる方)がその返事を書いてくださいました
tettsuanさんありがとうございます。



これで謎は解決しましたけど、トキワツユクサが今や昔の露草を席巻しているのですね。
このようなケースとして他の例も挙げられていましたけど、いちいち思い当たるものばかり。
国際化の波の中で、日本の自然も大きく変わって行っているのですね。
さて、それをどうするのかは、、、


多摩川散歩 070702 カンナ   無一物中無尽蔵

2007年07月02日 19時40分32秒 |  多摩川散歩


覚えていらっしゃいますか、ずいぶん前に、「私の理想の終の棲家」というのをアップしました。

散歩の途中でそばを通りましたら、ブルーシートの家の花壇にはカンナが咲き誇っていました。なんという生き様でしょうね。こだわりを棄て、しがらみを棄てるところにこのよき日がある。これこそ「無一物中無尽蔵」の境地なのでしょうね。







普段はカンナってそんなに好きな花ではないのですけど、今日は格別な思いがいたしました。




多摩川散歩 070702 ハクセキレイ、燕返し、コサギ    

2007年07月02日 19時17分21秒 |  多摩川散歩


さて、お次は鳥ですけど。鳩や、シジュウカラ、カワウやカラスはもういらないでしょうね。ということで、ハクセキレイちゃん。


「綺麗だね~」っていいながらトップの写真を撮りましたけど、
「ほんとに、私って綺麗?」って聞いてきました。
「ねぇ、私が何故寂しい晩年をおくっているのか知っている」って聞きたいですよ。
「私って綺麗?」って聞かれたときに、
「え~っと、あのさ~、その、、、、ってちゃんと答えなかったので、女の子がみんな私から離れていったんだよ。答えが決まっている質問に答えるのって嫌なんだから。お願いだからそんな質問しないでよね」って言いましたら、、、、、
飛んで行っちゃいました。 sigh



一人になってやることがなく、仕方なく、以前の宿題「燕返し」を思い出して再度挑戦です。
失意の怨念のこもったシャッターチャンス、、どうだ!



でも、世が世であれば、今頃はこんな風景を自分が演じられたのにね~



多摩川散歩 070702 蝶、蝶、蝶    

2007年07月02日 18時09分54秒 |  多摩川散歩


私の知人たちは朝の5時に散歩をする人や、雨が降っても一年中散歩を欠かさない人がいます。常々、見習わなければと思っておりました。今日は小雨の後、曇天、散歩日和で~すということで、ポンチョに雨ズボン、長靴といういでたちで多摩川の河川敷まで出かけました。いや、ほんとは土砂降りならどうしようと悲壮な覚悟だったのですけど、結局雨は降りませんでした。でも、さすがにポンチョは脱ぎました。暑くて死にそうになりましたものね。
曇天だから写真は撮れないかと思いましたが、どうしてどうして一回では収めきれないほど写真を撮ってきました。

まずは、蝶、、、、
土手の草はまだ雨水を溜めて、光っていました。



蝶たちは、小さな身体にあんな大きなセイルをつけているのですから、風や雨、雫に濡れたらたいへんだろうと思うのですけど、どうしてどうして、彼女たちが一番元気に飛び回っていました。



元気すぎて、ガールフレンドの後を追っかけまわしているのもいましたけど、、



でも、儚げな色を背負って孤高を保っているのもいましたよ



こちらはもういつもお会いするお仲間たち



彼らもとても元気でした。



ツメクサがお気に入りのようですね







山帰来と紫陽花  雑感、、、

2007年07月02日 10時00分35秒 | 私も作ってみました


知人が山帰来を活けてアップされていた。
生花にも使われるし、和洋どちらにもあうし、鄙びた感じにも、はでやかな感じにもなれる、不思議な植物。

昔々の大昔、東京に出てきて間もないころ、クリスマスのリースにこれが使われていて、その華やかさに都会らしい雰囲気を感じ、他の木の実とはちがうとても気になる存在でしたので、なんだろうと調べてみて、サルトリイバラという名前に行き当たりました。
この棘が猿でも動けなくするということから名前がつけられたという説明を見ながら、そういえば裏山に入るとこれが一杯赤い実をつけていたなぁと懐かしく思い出していました。

祖母が座敷に、葉っぱが枯れ始めるころのこれを活けていたことも思い出しました。リースで使われているときとはまた別な、鄙びた顔を見せていましたけど、私はこちらも好きでしたね。

それにしても、これを書きながらふと思いました。田舎に残された花器は活花の花器。祖母は私に茶道をやらせるときにも、自分では教えないで、自分の兄弟のところへ毎週追いやっていた人。祖母がお茶を点てているのを見たのは数えるくらいしかない、そんな人だったので、活花の方がむしろ当たり前なのに、祖母が活けていた花は詫びの極限みたいな花ばかりでした。

確かに、座敷や普段はふすまが外してある次の間の前には、庭があり折々の花が咲いています。だから座敷には華やかな花は要らないのかもしれないけど、座敷に入ると正面の床にちょっとした野の花や、花材がちょんと活けられている。それが庭の華やかさ、明るさとは別な雰囲気を座敷一杯に作り出している。
今でも思い出します。決してその花は主張していないのに、部屋の隅で結界を作り出しているような、子供心にもそんな感じを受けていたことを。

軸が変わると説明を受けていました。でも子供にはそんなしち面倒くさいことはわかるわけはない。香炉が置かれていても、香がたかれていることはまずなかったし、小学校に上がる前の小さな子供でもわかるのは活けられた花が作り出す雰囲気でしたから、余計にそれを感じたのでしょうね。

祖母の姐のお茶室では、広間で若い綺麗なお弟子がたくさん入れ替わり立ち代わりお茶を点てていました。これが私に染み付いて、永遠の20歳未満の憧れになって行ったのでしょうね。当然花も立華、いまだにお茶になんとなく華やかさを感じる私なのです。

またまた、脱線、、、華やかなお茶って書いて、また脱線です。
家は代々表のお茶をやっています。祖母もなんの疑問もなく表だと思っていました。母は裏だったのですけど、ちがう、習いなおしなさいって言われて、天邪鬼にも、平戸のお茶をやり始めたのです。そのことを知って私は母の子だねって思いましたけど、、、
でも祖母ももしかしたら元は平戸のお流だったのかなとふと思いました。それなら母が平戸のお茶といったときにすんなりとその希望が受け入れられたのもわかります。それに先代の雲の上の方のお嫁さんは確か平戸のお流でしたよね。その方は祖母の同属だし、その可能性はあるんですよね。

だとすると私が見稽古に通わされていたのはもしかして平戸のお流? なら学生のときにお茶をやりたいといったら母がすぐに平戸のお家元に連絡を入れたのも判る気もするのです。母には祖母は素晴らしい先達でしたから、、、

まあ、表だとか裏だとか、平戸だとかは別にしても、道を間違いましたね。祖母がお茶へ行けというときに、頑強に祖母に教えてもらえれば、祖母風のもう少しきりっとした、侘びたお茶やお花を勉強できたでしょうに、、、、


と、歳をとると寄り道が多くなりすぎて、、、
ところで、その、昔読んだ本にはサルトリイバラの別名は山帰来と書いてありそこで、引っかかりました。

疑問は、別な本には山帰来は台湾などのもっと暖かい場所に生息する植物で、サルトリイバラとは別なもの。それに山帰来には棘がないとのことでした。
もう一つの疑問は、台湾より北の沖縄には山帰来があったような気がするというのも頭をよぎりました。

知人は日記に、山帰来は棘がたいへんな材料なのにこれには棘がないって書かれていました。
その方は猿を飼われていらっしゃる、だから猿を手に入れるときに山帰来を使われて、棘がなくなったのかと、、、
(モトイ、猫でした、だからこの仮説は成立しない)
なら、猿は取れないからサルトリイバラじゃないのではないかな??? サルトリイバラには確か何種類か似たようなのがあるから、、、なんてことでググってみました。

ところが、今の情報には山帰来はサルトリイバラの別名としか出ていないのですね。
では私の頭にある、紫陽花の名前を日本で他の花につけて、それが紫陽花と定着したのと同じように、山帰来は中国の植物でサルトリイバラはそれに似ているので、山帰来の名前をつけられた別種という情報は間違い? 

完全に忘れていた、疑問がまた復活してきました。たくさんの人が、折に触れていろんなことを書き込んでいるブログの世界ってどこで、何が触発されるかわからない。面白いですね。

岬にいれば、すぐにでもサルトリイバラの写真をアップできるのでしょうけど、ここでは探してみても徒労に終わるでしょうね~