夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

何とかしてよ ソニーさん

2007年07月18日 15時04分20秒 |  岬な日々
先日から撮影旅行を企画していたらカメラが故障しメーカーに出し、友人からサブカメラを借りたらそれもまた故障したことを書いています。
故障していなければ台風の大波を撮りに海岸に行くか、福島あたりから新潟への高速をまだ通ったことがないのでそちらに廻って、いずれにしろ波にさらわれるか、地震でハンドルを取られてろくな結果にはならなかったかもしれません。
知人からは運が強すぎるって非難ともつかないレスを頂いたりして(期待を裏切って、ごめんなさいね)いました。

ところでそのときには書かなかったのですけど、実は岬においてあるミニコンポも故障していたのです。メーカーから引き取り、今度こちらに運んできました。
ところが電源が落ちてしまう最初の現象がまた起こっています。プラグを何度か抜き差しして、今は落ち着いていますけど。。。
あら、またオフになってしまいました。

岬のお気に入りの椅子、ここに座って外の緑をみ、鳥の声を聞くのも一つの楽しみですけど、ここでしかできない楽しみもあります。
それは大音量で音楽を聴くこと。東京のスタジオではマンションですから望むべくもない。前後、左右、上下の部屋から苦情が殺到するでしょう。
横浜のうちはすかすかですから、ここでもやはり文句がでてくるのは十分に予測可能。大家と仲の悪い地主が目の前にいるのですからその関係をこれ以上悪化させることは慎まなければ。
ということで岬ならそれが可能。文句をいうのはせいぜい、崖の下で鳴いている蛙か、近くの木にきている鳥たちくらい。(あと、狸の家族がいましたけど、お家はちょっと離れているみたいだから大丈夫でしょう)

音量が全てとは言いませんけど、小さな音で聞いていると通りすがりに家の中からもれてくるピアノの音とか、遅れてついたホールの外で聞くオケの音とか、、、鳴っているのは判るけどってレベルですよね。

もう少しボリュームを上げると、そら、胸をときめかせてホールのドアを開けたときの音。音がホールに充満して、艶と張りのある音が聞こえてきます。

さらに上げると、あたかもオケのメンバーでステージにいるかのような音と空気の触れが感じられます。岬のいいところはリビングが広いこと。多分25坪以上はあるでしょうか、そのリビングが音で満たされ、木の壁からの反射が私の体を包みます。ティンパニーの音、チェロのフォルテが体を震わせます。好きな曲を流して、お気に入りの椅子に腰を落ち着けていると、これもまた岬にいてよかったって思えるときなのです。

その楽しみがミニコンが故障で駄目になりました。電源が入らない。修理にもって行きました。メーカーから読取装置が弱くなっているって連絡。ちょっと待ってください、電源と読取装置は関係ないでしょうって言うと、コンピュータが各部をチェックしてエラーがあると電源が入らないとのこと、でもコンピュータがチェックしている間はディスプレーにいろんなメッセージが流れますけど、それもない。そんなことを伝えましたけど、工場ではそういっていますってことで、そのまま修理の続行をお願いしました。引き取りに明細を見るとベルトまで交換してある。
音楽を聴くのは好きだけど、岬でゆっくりとしている時間はこの数年を合わせてもそんなにない。このミニコンを聞いている時間は通算しても何十時間くらいでしょう。なのになぜ読取装置がおかしくなったり、ベルトが伸びたりするのだろうって質問しましたけど、要領のいい返事はもらえませんでした。

で、岬について、音楽をかけました。でもすぐに電源が落ちる。今までよりかは電源が入るだけはよくなったけど、使えない。ソニーさんもう少しきちんと整備してください。読取装置やベルトの交換はむしろ不要な作業であったのじゃないでしょうか。それへお金を払うのも嫌だけど、横浜から今度の修理も含めると4往復もすることになる。貴方のところの作業料金でそれを計算しても結構大きな額になるのではないですか。前回の修理代と、往復代で、新しいミニコン一台買えちゃうよ。
 



干物女が増殖中? 社会の趨勢じゃない

2007年07月18日 10時30分33秒 | 芸術・文化
「干物女」ただいま増殖中! (ゲンダイネット - 07月17日 10:00)によればドラマ「ホタルノヒカリ」が話題なのだそうだ。
>>
主人公は20代の女盛りなのに恋愛に興味がなく、枯れていることから“干物女”と呼ばれている。干物女は決して特殊な存在ではない。...家でゴロゴロするのが何より好きで、部屋は散らかり放題。休日は昼間から缶ビール――こんな女は実際に増えている。「働いてるのに、自炊や掃除なんてできないっスよ。外で気を張っている分、家ではダラダラしてもいいでしょ? 一人暮らしのOLなんて、みんなこんなもんよ」... でも「一人暮らしの干物女はまだ救いがある」と言うのは、女性心理に詳しいライターの大野宏美氏だ。「自分のだらしなさを認識しているから、何かのきっかけで立ち直る可能性がある。... 好きな男ができたら化粧してデートに行くし、いつ部屋に来られてもいいように掃除だってしますよ。
本当にマズいのは、実家暮らしの“隠れ干物女”。隠れ干物は放置しておくと発酵して“くさや化”し、手の施しようがなくなります」... 散らかしても親が片付けてくれるため、自分が干物女だと気づかない。それが結婚後に表面化し、“くさや主婦”になってしまうのだ。... 夫は出社前に洗濯、帰宅後は片付け、たまの休日は掃除やアイロンがけに明け暮れる羽目になる。...
「干物女は表面を取り繕うのがうまく... 一見それとわかりません。一人暮らしなら、部屋に上がって水回りの汚れをチェックすれば一目瞭然ですが、実家暮らしだと判別が難しい。見破るには、細部をよーく観察すること。マニキュアがはげていたり、ムダ毛の剃り残しがあったり、いつも同じピアスをつけっ放しの女は要注意。干物女はパッと見さえ取り繕えればいいため、細かいところまで気が回らないのです」
(途中、ちょっとはしょったところがありますけど)

仕事に明け暮れ、家は寝て、着物を換えるだけってのは男だってそうですよね。確かに昔はオスは外でマンモスと戦って、外敵から家族を守り、食料を得てきた。メスは出産、育児という大事業があるので、巣の中を守り、疲れたオスを癒して、また兵士として、働き蜂として送り出す役を担っていた。生物進化学的に言えば、それが生物としてのDNAに深く刻まれてきたのでしょうね。

それは戦い方にも現れているように見えるのです。
オスは獲物を持ち帰る家族をしょって戦うから、常に自分のリスクと成果を天秤にかけた戦い方をする。オスが自暴自棄になるのはオスとしての生存価値を問われるような場だけなのかもしれない。
メスが戦うのは家族を死守するとき、常に後の無い状態での戦いになるから、最初から全てをかけて敵を倒す。「されど母は強し」の状態になるのですね。

人間の知識や技術でかってのような危険な作業はなくなってきている。出産、育児も命を賭け、一生を捧げる仕事ではなくなってきた。おまけに子供を産まない方法も進化してきた。もうオスや家族に縛られる必要もなくなってきたのかもしれない。だから女性がもっと自由をと叫ぶのは歴史の必然なのでしょうか。

そんなには長い年月ではないにしても千年、あるいは何百年かかけて、人類の社会はだんだんとそのような新しい環境に慣れてきている。そして過去50年くらいにそのレベルが急速に高まってきていると思う。ただ、個人的、社会的な意識にはまだ古い感覚がどこかに染み付いているので新しい環境、それから生まれる生活、道徳観念に馴染まないところが多いように思われるけど。

女性が自由になり「好きな男と寝て何が悪い」って開き直れば、オスの守護から外れてしまう。でももうその必要性も薄れてきたのだから、家族やしきたりからもっと自由に生きたいという考えはどんどん染みとおってきたのだろう。今はまだ自分が古い考えに反した新しい考えで自由を謳歌しているという段階なのかもしれないけど。「好き」のレベルも、生きるために食べるから、単にお腹がすいたから目の前の食べ物が何でも好きに見えるような、その場の感情だけのレベルでの判断に落ちてしまっていることなのかもしれない。昔の愛とか恋といったものはだんだんとなくなっていくのでしょうか。

赤ちゃんポストの問題のときにその根底にあるものとして、ほんとうはこんなことも書きたかったけど、でもあのときは現場での命を守ろうとする悲痛な叫びだったし、急を要する問題でもあったのであえてここまで話を紛糾させることは無いと思ってはしょってしまった。
安易な衝動で産まれた望まない子供を死なせたり、捨てたりするのはむしろセックスというものに対する価値観が薄まってきた、命を賭け、生涯をかける大事業ではなくなってきた時代を表すものかもしれませんね。だとしたらこれはこれからもどんどんと広がっていくのだろうかと心の隅で思っています。その末路を見なくてすむのは嬉しいような気がしますけど。

アーティスト イン レジデンスという活動を1980年からやってきました。若い作家たちが何ヶ月も滞在しているのですから最初から男女の問題がいろいろとあることは覚悟していました。でもそれがあまりにも目立つと何のために来日したの、何のために私はあちこちで頭を下げてお願いしまくっているのって活動への意欲が減退してくるのも確かでした。

最初とその後数回来日した男性作家は行く先々で恋人を作って帰国の前後にはその後始末がこちらに廻ってきたりしてました。数年前に来日した女性のアーティストは異性問題でレジデンスのオーナーと問題を起こし途中で別なレジデンスを探すのに大騒ぎになりました。彼女は自分が必要なもの、協力を得るためには体を差し出すのも自分の意欲の表現として思っていたようです。ステージのアーティストにはどんなに練習をつみ、どんなにすばらしいプランを立てても舞台というチャンスがなければ単に空に書いたお城よっていうのが彼女の口癖でした。途中来日した彼女の旦那(彼も大きな劇場のアーティストディレクターでしたけど)もそのことでも特に驚いた様子は無かったのです。彼女のことで相談をしたある女性は、私が彼女にそのことで詰問したのかってきくので、「レジデンスのオーナーからクレームがついて、途中で止めることになったから」っていいましたら、「彼女が可哀相。こちらではそんなことはむしろ当たり前の出来事だから」って言っていました。でも彼らはまだ干物。自覚した上での行動ですね。

外国は日本とは違うって言わないでくださいね。
友人からの頼みで、恋人が文化庁の在外研修で一年の助成をもらい出かけるののお手伝いをしました。受け入れの施設の指導員は彼女の元彼。もともとは彼と一緒に住むために助成金をもらったというのが本音だったと思います。友人と付き合うようになって彼のことは過去の存在になった。でも私のためにいろいろと企画をしてくれるし、申請に指導員からの受け入れ状が必要だからって、元彼にはまだ愛しているよって振りをしながら、新しい彼氏には「協力してくれるから求められれば断れない。でも一年したら帰ってくるから待っていて欲しい」ってなんの不思議もなく言える人でした。最終的に私はどうしても彼女の考え方が判らないのと、彼氏の悲しみを見て協力を断りました。日本だって若い人たちの考え方(人類の歴史から見れば、ほんとに短い間ですけど)がもうわからなくなってきていると思います。このケースなんかもう「くさや」のレベルじゃないかと思います。だって彼女には自分のやっていることに対する自覚がまったく無いのです。協力を断るときに彼女にはっきりとこの考えを伝えましたら、びっくりして、人生の大きな夢が実現するということで自分を見失っていたって言いましたけど、とんでもないそれが一番の問題。自分の本来の姿がそうなのだということに気がつかなければこれ以上彼女に協力することは無意味だと思いました。アーティストとしては彼女は成功するでしょう。自分の行動を自分に都合のいいようにしか解釈しないのですから、何でもできるでしょう。でも、人が可哀相でしたね。
物事の判断が皮相、突き詰め方が上っ面だけ、だから自分の心の底も判る必要もない。だから自分が何をしているのかもわからない。

愛とか恋、使命、なんて人間の文化、芸術の根底にあるものが薄れてくれば、芸術なんか薄っぺらい紙切れみたいになってしまうかもしれないし、そんな社会での芸術なんて私には考えられないおもいです。

売春を悪く言う女性はたくさんいる。これは昔の倫理観がそれを悪いこととしているからその目で見るからでしょうね。でも売春をしている女性は何かの理由があってそうなっていったのかもしれない。そして自分たちのやっていることが社会の倫理観に反しているのは自覚しているのだろうとおもいます。だからその倫理観を持たない若い子たちには「楽いことをして、お金までもらえるのだから」何が悪いのってことになる。

自覚がある人は干物女なのでしょうね。それなら自分が干物になるだけですむけど、「くさや」女は相手まで腐らしてしまう。でも、そういえるのは私がいかに昔の倫理観に縛られているからって反応が来るのはわかっていますけどね。。。
私はオスだから、女性の事を書きましたけど、メスから見れば今の男性にだって言いたいこと山ほどなんでしょうね。