爆心地から長崎駅へ行く途中に夾竹桃が何本か植えられていた。
原爆公園にも、原爆の中心地の塔の脇にも。
長崎の私と同世代かそれより上の人々には夾竹桃は特別な感情を揺り動かす木、そして花。
原爆の日に咲いていたということだけではなく、原爆の後、もうこの地には何百年も人は住めないのだという噂が流れているときに、焼け焦げた夾竹桃に芽がでて、花を咲かせた。
この被爆した土地にも生命が生まれるのだという勇気を与えてくれた花だった。
治療方もなく原爆病院のベッドに何年も、何十年も寝かされ、背中が床ずれでなめし革のようになった患者さんたちを見ながら、私もいつかは発症してこうなるのだろうと思いながら、帰り道で見上げた花も夾竹桃だった。
長崎の夏は、とても暑かった。
多摩川の河川敷にも夾竹桃が何本か花を咲かせている。
その花を見ながら、八月の声を聞くと、なんとなくおセンチになってくる。