夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

オリジナルを知ることの難しさ、、、、かな

2013年10月23日 10時55分36秒 | 芸術・文化


この前に弟の発表会のことを書いていましたが、発表会とは直接関係が無いのですけど、その中にバロックの演奏があって、それを聞きながら考えてしまいました。
弟のチェンバロにはバーがあり、それをスライドすることでバロックピッチにできるのです。それにオリジナルピッチの弦楽器のカルテット。要するに一言でいえばバロックアンサンブルですね。

私自身、オリジナルを知る、その時の音楽、そしてそれを作った作曲家の思い描いた曲を知ることはとても大切なことなんて平気で言ったりしていますけど、あの演奏を聴きながら、それがどれだけ難しいことなのかって事を考えさせられたのです。

例えば、プリバロックまで遡ると、それをやれる合唱団、アンサンブルはたくさんあります。楽器もそこそこにそろう(っていっても木管のあの何が出てくるのか分からないような楽器の山が全部そろう、そして吹ける人がいるってのはかなりハードなことですけど)としても、 物理的に演奏できるホールがない。あの残響がなければ、すかすかの音楽とも言えない代物しか出てこないんですね。
ちなみに長崎市と絡んでいた数年の間、事あるごとにバロックがやれるホールをって騒いでいたんですけど駄目でしたね。長崎みたいな小さめな中都市でも、市が管理しているホールって幾つかあるんです。特に小ホールを改築するときに、バロック、プリバロックをやれるホールにしたらって、他の都市なら言いませんけど、あのカトリックの伝統のある長崎だったら一つぐらいそんなのあってもいいじゃないって騒いでいたんですけど、届かなかったですね~

バロックになっても同じです。最初にピッチの話をかいていますけど、たしかにそれはどこのバロックアンサンブルでも気にしていること。でも、日曜日の演奏を聴きながらはたと思いました。どこもピッチだけを合わせればそれでよしとしているんじゃないかって。
もしかしてそれ以上に大切なのは、テンポじゃないかな~なんて思っちゃったりして。ピッチを合わせても、テンポが今のテンポじゃしょうがないでしょうなんて思っちゃうのですよ。
それに音量。先日のホールでも、バロックを再現するには大きすぎる。コンチェルト・グロッソならともかく、小さなアンサンブルを再現するなら、あのホールでは響かせない。バロックバイオリンの音が汚いって言うのも、本来あんな音量で弾く楽器としては考えられてなかったからなんですよね。

じゃ、ロマン派ならいいのかってことになっても、そうかな~
前期の音楽って、今考えられている以上にバロック的な音だったんじゃないでしょうかね。楽器だって、今の楽器ではなかったし。チェンバロは音が小さ過ぎる、でも今のピアノはまだ出て来てはいない。ピアノフォルテだって、今のと比べると「小さな音量で素晴らしい音色」ってことですからね。

少し時代がさがっても、ピアノの詩人、ショパン。彼がこだわっていたブレイエルだって、あの当時の楽器の中では彼に一番合った楽器だからということなのだと思います。小さいけど(特に中音域の)綺麗な音。指を離したときの響きも短かったんですよね。
それよりも大きな音が欲しかったリストが使ったピアノだって、今のコンサートピアノに比べれば赤ン坊みたいなもの。
だって、大きなコンサートホールができ始めたのは、それよりだいぶ後の話ですから、彼らにはそんな環境の中の音楽って想像もつかなかったのでしょうね。

楽器も、それが演奏される環境も今とは全く違う。
そしてもっと大きな問題は、、、バッハの楽譜にあるのかも。
四角四面のバッハの音楽。だからバッハを弾くのには皆さん沐浴して、神様に祈って、、、顔をしかめっ面して、、、、バッハはこうあるべきッてのたまいながら恭しく弾くのですよ。。。。
でも、そうだったのかな~って思いがあるのですね。だってあの頃の演奏家は皆即興の大家。楽譜があってもそんなのは「たんなる参考ね」程度なんだったのじゃないかな。
眉をしかめられるかもしれないけど、ジャズの演奏。あれに必要なのはきちんとしたメロディライン。それがあれば皆勝手に弾いて行きますよ。だから、そのメロディは単純、明快なものじゃなきゃいけなかったんですよね。複雑怪奇にしたらそれから即興なんてできないものね。
よく口にしているM.リンデ。彼が興に乗って弾き始めた時のアンサンブルなんて凄過ぎ、楽譜を見ていてもどこを弾いているのか分からないくらい。でも、彼の演奏を聴きながら思うのですよ。バッハの時代の音楽ってこんなもんだったんだろうな~って。
バッハはその環境の中で、それを当たり前として彼の譜面を書いたんだろうなってね。

でも、念願叶って、きちんとオリジナルの音楽が再現できたとして、それがなんだって言う人があっても、私としてはそうだろうなっていうしかない。だって環境が変わり過ぎているんだもん、当時のものが分かっても、当時の作家が考えたものが分かっても、今の価値観からは評価できないかもね。弟の発表会、ピアノを441に合わせたのだそうですけど、子供たちからは低くって気持ち悪いって悪評たらたらだったそうです。いつもは442に合わせてるんだけど、文部省関係の予算なんかがついているとこ、管轄に入っているところは、必ず終わりに440に戻させるのだそうですね。それもまた変だけど。

いや、みなさん、ありがとうございました。
思いにふけられるだけでも、毎日日曜日で刺激もなく、何も考えなくなった年寄りにはとても大切な時間でしたよ。





弟の発表会でした

2013年10月23日 10時13分21秒 |  岬な日々


20日にもお伝えしましたが、日曜日は弟の教室の恒例の発表会。



アンサンブルを重視している弟のお弟子さんたち、相変わらず見事ですね。
とにかく、毎回、前回よりも伸びたな~って感じさせる子が多くって、聞いていて嬉しくなります。



それに持ち替えのすごさ。小学生にもならないような子供たちが、あるときは難しいヴァイオリンの曲を弾いているかと思うと、ビオラ、チェロ、そしてピアノまで、、、何の違和感もなく持ち替えるのですよね。



以前も、数字付きの楽譜を初見で弾いていたり、伴奏の子が熱を出して出られなくなって代役で譜面もなく伴奏したり、オケ譜を見ながらピアノを弾いていたり、弟の曲、右手と左手の調や拍子が違っていたりする変てこな楽譜。音大でのインストラクターが弾けないのを笑いながら初見で弾いちゃったり、、小さい時からやっているとこんな風な音感が育つのかと、、、



羨ましいですね~


これなんでしょうね

2013年10月23日 08時53分03秒 | 調べなくっちゃ


隣家に生えている蜜柑。高さを測ったら15センチもありました。
最初は文旦かと思いました。味も似ている(記憶では、、、何年か前に一度食べただけなので、おぼろげですが)のですが、文旦は皮がこんなにでこぼこしてませんよね。
なんなんでしょう。お分かりの方教えてください。