夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

草木萌え動く

2008年03月01日 10時42分58秒 |  非・常識的茶道
今日から3月ですね。
ベランダに出てみても、陽射しは暖かく、日の光にも冬の厳しさはありません。
目の下に見える田んぼは朝霞に包まれて、その先の山肌だけがまるで高い山から雲海を見ているような景色でした。
気持ちもなんとなく暖かくなるような、、、
手足を大きく伸ばして、深呼吸をしたくなるような素晴らしい一日です。
そうもう少しで啓蟄、虫も穴から出てくるのですよね。

でも旧暦では今日は1月24日。
昔の人が元旦に感じた季節への思い。春の兆しを感じる思い、新春をいわる祝う言葉、それはそのまま生活実感であったわけでしょうね。(もっともかなりずれている年もあったみたいですけど)

元旦だけでなく、それぞれの季節に思いをはせるというのは今ではすっかりずれてしまっているのですね。
もっとも桃はそろそろ咲き始めるころ、桃の節句に間に合いそうです。端午の節句もあの時期の気候にすっかり慣れてしまって、あまり不思議を感じません。温暖化のせいなのでしょうか?

何度も書きましたけど、五月雨は梅雨のことだし、五月晴れは梅雨の合間の晴れ間のこと。梅雨寒の一日、お茶会に出られる方が、6月だから絽なのか紗なのかなんて迷われ、寒さに震えながら出かけられているのを見るとおかしくなってしまう。
8月15日の中秋の名月も新暦でやってあのうだるような暑さと湿度のなかでは何の意味もない。その後の重陽だって、9月9日には露地では菊なんか咲いていない。

季節に織り込まれた先人の気持ち、普段は無視をしてもいいのだろうけど、日本の古典に携わる人々には、特に日本の文化が季節と密接に結びついているだけに大変なんだろうなと、、、お察しします。


思い出しました。昔々、「風車様、雨が」って傘をさしてくれたU20がおりましたけど、春は1月から3月。旧暦とはいえ新暦換算で2月から4、5月くらいですね。
お茶人といわれる人たちは旧暦の日にちをそのまま新暦に当てはめようとするからとても変なことが起こる。よそ様のことだから傍で笑っていればそれでいいのでしょうけど。
そのときの春雨はいつのころだったのだろう。まさかお茶人的に新暦の1、2月じゃないですよね。今年の2月はずいぶんと雪が降りましたけど、下手をすれば春雨じゃなくて雪になってしまう。
なんだか抹消にこだわって、それに含まれている生活実感を忘れているような気がします。そのうちにお茶の世界では春雨に暖かい粉糠雨を想像するのは間違いということになりそう? 春雨が氷雨ではずいぶんとイメージが違ってきますね。



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