ずいぶん昔に碧巌録を買って、1ページ目で諦めてしまいましたけど、これまた碧巌録に出てくる言葉ですよね、確かどこかの日記でも使ったことがあるかもしれない、、、 続きも書いてましたよ。
「まあ、世の中の真理ば突き止めようちゅうときに、そげん頭からかっか湯気を立ててもしょうがなかでしょうが、お平らにお平らに、お茶でも飲んでいきんしゃい」ってことですよね~
今、ラブストーリーの再放送をしているけど、あのころの中山美穂は綺麗だったな~ でも、優香って子、もっと綺麗だな~ なんて、何の話? いやそれくらいのんびりといきましょうよって話、、、、話が違う? はいはい。
なんてことは別にして、喫茶去、、、
表千家の茶道がテレビで始まっていますね。
仕事をしていたころにはよく学芸員に自分の足元を見るのに茶道をやったらなんて偉そうに、上から目線(この前の日記で書いておりましたよね)で物を言っていたのですよ。
西洋物をやる、西洋の学芸員と話をする、同じような感じを受けていても、その評価って必ずしも一緒じゃないんです。一緒なのは論理的な部分だけ、美術史の流れの中での評価は一緒かもしれないけど、それを見たときの自分の中での評価は違うんですね。それを知るには自分の足元を見なければ分からない。自分の生きてきた環境、風土、文化、、、、、それを学ぶのに総合的な文化としての茶道が一番手っ取り早いなんて、偉そうに。
それで、私はって言うと、これがまた茶道のことも日本の文化のことも何にも分かっちゃいないんですよ。困ったことにね~
だから、茶道のお勉強なんていうとやってみたいとは思うのですけど、、、、
実は、本当にやってみたかったときもあるんですよ。
日本がまだ終戦から立ち直るかどうかってころ、祖母にお茶を習いなさいって毎週連れて行かれていたところがあるんです。闇米取り締まる立場の裁判官が配給米だけで生活して、餓死したってのが新聞記事になっていたころ、そこには綺麗な着物を着たお姉さん達がたくさん集まって、美味しいお菓子が食べられて、いや、ほんと、茶道って天国みたいなものだな~って、、、、
ほんとは、お裏をやってきて家に嫁に来た母親が、裏の所作を直されて、反発して平戸のお家元のところへ通いだした。それに反感をもった祖母が私を表を教えていた祖母の姉の所へ通わせた。今、韓流でやっている王権をめぐる葛藤そのもの、、、、もっとも家のケースでは、行き着くところはどうころんでも田舎の家の、鶏をどっちが獲るか位のことでしかなかったんですけどね~
おかげさんで、私にとっての茶道とは綺麗なお姉さんに囲まれることと、美味しいお菓子を食べることくらいしかの意味しか持たなかったな~
長じて、仕事でお訪ねしたところで、お茶を振舞われたりすることがあって、少なくとも飲むくらいは出来なきゃ恥だって、友人に飲むだけでいいからって頼んだのが間違いの元。点てられなきゃ飲めませんよって、、、、ずるずるとあの世界へ、でもボクちゃんは何かを習得しようとすることには先天的に反発を感じる人だから、、、、ここでも葛藤の時間。
そして、師匠のご友人のお茶事なんぞ、、、、
細かな所作が違うとご友人は客の前で弟子をなじっている。
東京の何たら会のかたがたもお見えの席で、私に恥をかかせる?
おいおい、、、、
弟子が間違うのはそのご友人の教え方が足りないから。
もう一人の友人は、間違っちゃって、「あら、違いましたっけ」なんてお客に聞いていたりして、こっちの方がよほどお茶らしいよね~
結局茶道をやれなかった私としては、お茶なんて、所作や、お道具じゃないんだと思うしかない。その時のお客様とどれだけ打ち解けた、心休まる時間を共有できるかなんだと思うけど、、、、
どこの師匠も、口ではそういうけどね~
ところで私の師匠はどうかってですか?
あの方は、私が違うやり方をすると、「昔は、そんな手前をしたこともありましたよね~」って懐かしがっていたり、「はて、あれが正式だったかしら」なんて延々と悩んでいるし、師匠の友人達のお稽古は、「えっと、どうするんだっけ」の連発みたいだから、、、、
あまり遠くないうちには、師匠のお名前は「アザラシ トド子」さんんですっていっても、そうなんでしたっけ、、、、になりそうな。。。
今日のプログラムはお濃茶。
このインフルエンザ最盛期に、ご苦労様ですね~
まあ、お平らにお平らに
それにしても、この前の日曜日、集まりがありまして、「ああ、風車さん、お茶をおやりだったんですよね~」って言われてしまいました。
この方、コンセルトヘボウの客員のソリストだったり、あちこちのアンサンブルのトップを吹いていたり、コンセルバトワールのフルートの教授を長年やってこられた方、、、、、これ以上言うとばれちゃうから止めね。
その方からは今使っているフルートの頭部管をいただいたりしているのですけど、「ああ、風車さん、フルートをおやりなんですよね」ではなかったですな~
ショック!
追加
でも、このブログ、書き手はペケだけど、読み手の方、素晴らしいですね。
いろいろとコメントをいただきました。
それに対する私のレス(多少文言を加えています)をいくつか紹介しておきます。
コメントまで見てくださる方は少ないでしょうからね。。。
その1
先生なら 間違いを指摘するべきでしょうね。ただそのTPOはあるとは思いますけど。
でも、お席で先生から弟子が叱られているのを見るのは、弟子もかわいそうだけど、それ以上に、先生がお茶というものを理解していないんじゃないかって思ったり。
客としてはそんなものを見せられるのは見苦しいですよね。
まあ、こちらは初心者なのでこんなことを言ってはいけないのでしょうけど。
その2
そうですね。私は所作や、道具は茶道には二の次なんていいますけど、茶道をやっていくことによって、何かあったときの恥をかかない程度の所作ができるし、物を見る目を養われていくんでしょうね。
ただ、技術ばかり、形ばかりにこだわって、お客をもてなす、お客と楽しい時間を共有するってことがついつい忘れ去られているような。
というのか、ほんとうのお茶というのがほとんどなく、あるのはお稽古のお茶会、お茶事ばかりだからなんでしょうね。
ところで、裏千家の許状のことはよくわかりませんが、高台って台天目のことですよね。
すごいですよね、私なんぞ、思いついたら、師匠のところにいって、「また、やらせてください」「はい、入門からね」ってことで、いつまでたっても何も変わりませんわぃ。
その3
追加です
ところで、技術や知識は二の次っていつも言っておりますけど、これまたちょっと問題ありまして。。。
よくジャズの人で、基礎ができてないけど、、自分が、聞いている人が楽しければ、いいじゃんって人たちもたくさんいます。
技術偏重のクラッシックだって、自分の気分で引く人たちがほとんど。
でもね、、、、ある部分基礎がしっかりしてないと、あるいはきちんとした知識で理解してからじゃないと、ほんとうにハイレベルなものは作り出せないし、楽しめないのじゃないかと、そんな気もしています。
矛盾している?
私は矛盾だらけの人だから、、、、
「まあ、世の中の真理ば突き止めようちゅうときに、そげん頭からかっか湯気を立ててもしょうがなかでしょうが、お平らにお平らに、お茶でも飲んでいきんしゃい」ってことですよね~
今、ラブストーリーの再放送をしているけど、あのころの中山美穂は綺麗だったな~ でも、優香って子、もっと綺麗だな~ なんて、何の話? いやそれくらいのんびりといきましょうよって話、、、、話が違う? はいはい。
なんてことは別にして、喫茶去、、、
表千家の茶道がテレビで始まっていますね。
仕事をしていたころにはよく学芸員に自分の足元を見るのに茶道をやったらなんて偉そうに、上から目線(この前の日記で書いておりましたよね)で物を言っていたのですよ。
西洋物をやる、西洋の学芸員と話をする、同じような感じを受けていても、その評価って必ずしも一緒じゃないんです。一緒なのは論理的な部分だけ、美術史の流れの中での評価は一緒かもしれないけど、それを見たときの自分の中での評価は違うんですね。それを知るには自分の足元を見なければ分からない。自分の生きてきた環境、風土、文化、、、、、それを学ぶのに総合的な文化としての茶道が一番手っ取り早いなんて、偉そうに。
それで、私はって言うと、これがまた茶道のことも日本の文化のことも何にも分かっちゃいないんですよ。困ったことにね~
だから、茶道のお勉強なんていうとやってみたいとは思うのですけど、、、、
実は、本当にやってみたかったときもあるんですよ。
日本がまだ終戦から立ち直るかどうかってころ、祖母にお茶を習いなさいって毎週連れて行かれていたところがあるんです。闇米取り締まる立場の裁判官が配給米だけで生活して、餓死したってのが新聞記事になっていたころ、そこには綺麗な着物を着たお姉さん達がたくさん集まって、美味しいお菓子が食べられて、いや、ほんと、茶道って天国みたいなものだな~って、、、、
ほんとは、お裏をやってきて家に嫁に来た母親が、裏の所作を直されて、反発して平戸のお家元のところへ通いだした。それに反感をもった祖母が私を表を教えていた祖母の姉の所へ通わせた。今、韓流でやっている王権をめぐる葛藤そのもの、、、、もっとも家のケースでは、行き着くところはどうころんでも田舎の家の、鶏をどっちが獲るか位のことでしかなかったんですけどね~
おかげさんで、私にとっての茶道とは綺麗なお姉さんに囲まれることと、美味しいお菓子を食べることくらいしかの意味しか持たなかったな~
長じて、仕事でお訪ねしたところで、お茶を振舞われたりすることがあって、少なくとも飲むくらいは出来なきゃ恥だって、友人に飲むだけでいいからって頼んだのが間違いの元。点てられなきゃ飲めませんよって、、、、ずるずるとあの世界へ、でもボクちゃんは何かを習得しようとすることには先天的に反発を感じる人だから、、、、ここでも葛藤の時間。
そして、師匠のご友人のお茶事なんぞ、、、、
細かな所作が違うとご友人は客の前で弟子をなじっている。
東京の何たら会のかたがたもお見えの席で、私に恥をかかせる?
おいおい、、、、
弟子が間違うのはそのご友人の教え方が足りないから。
もう一人の友人は、間違っちゃって、「あら、違いましたっけ」なんてお客に聞いていたりして、こっちの方がよほどお茶らしいよね~
結局茶道をやれなかった私としては、お茶なんて、所作や、お道具じゃないんだと思うしかない。その時のお客様とどれだけ打ち解けた、心休まる時間を共有できるかなんだと思うけど、、、、
どこの師匠も、口ではそういうけどね~
ところで私の師匠はどうかってですか?
あの方は、私が違うやり方をすると、「昔は、そんな手前をしたこともありましたよね~」って懐かしがっていたり、「はて、あれが正式だったかしら」なんて延々と悩んでいるし、師匠の友人達のお稽古は、「えっと、どうするんだっけ」の連発みたいだから、、、、
あまり遠くないうちには、師匠のお名前は「アザラシ トド子」さんんですっていっても、そうなんでしたっけ、、、、になりそうな。。。
今日のプログラムはお濃茶。
このインフルエンザ最盛期に、ご苦労様ですね~
まあ、お平らにお平らに
それにしても、この前の日曜日、集まりがありまして、「ああ、風車さん、お茶をおやりだったんですよね~」って言われてしまいました。
この方、コンセルトヘボウの客員のソリストだったり、あちこちのアンサンブルのトップを吹いていたり、コンセルバトワールのフルートの教授を長年やってこられた方、、、、、これ以上言うとばれちゃうから止めね。
その方からは今使っているフルートの頭部管をいただいたりしているのですけど、「ああ、風車さん、フルートをおやりなんですよね」ではなかったですな~
ショック!
追加
でも、このブログ、書き手はペケだけど、読み手の方、素晴らしいですね。
いろいろとコメントをいただきました。
それに対する私のレス(多少文言を加えています)をいくつか紹介しておきます。
コメントまで見てくださる方は少ないでしょうからね。。。
その1
先生なら 間違いを指摘するべきでしょうね。ただそのTPOはあるとは思いますけど。
でも、お席で先生から弟子が叱られているのを見るのは、弟子もかわいそうだけど、それ以上に、先生がお茶というものを理解していないんじゃないかって思ったり。
客としてはそんなものを見せられるのは見苦しいですよね。
まあ、こちらは初心者なのでこんなことを言ってはいけないのでしょうけど。
その2
そうですね。私は所作や、道具は茶道には二の次なんていいますけど、茶道をやっていくことによって、何かあったときの恥をかかない程度の所作ができるし、物を見る目を養われていくんでしょうね。
ただ、技術ばかり、形ばかりにこだわって、お客をもてなす、お客と楽しい時間を共有するってことがついつい忘れ去られているような。
というのか、ほんとうのお茶というのがほとんどなく、あるのはお稽古のお茶会、お茶事ばかりだからなんでしょうね。
ところで、裏千家の許状のことはよくわかりませんが、高台って台天目のことですよね。
すごいですよね、私なんぞ、思いついたら、師匠のところにいって、「また、やらせてください」「はい、入門からね」ってことで、いつまでたっても何も変わりませんわぃ。
その3
追加です
ところで、技術や知識は二の次っていつも言っておりますけど、これまたちょっと問題ありまして。。。
よくジャズの人で、基礎ができてないけど、、自分が、聞いている人が楽しければ、いいじゃんって人たちもたくさんいます。
技術偏重のクラッシックだって、自分の気分で引く人たちがほとんど。
でもね、、、、ある部分基礎がしっかりしてないと、あるいはきちんとした知識で理解してからじゃないと、ほんとうにハイレベルなものは作り出せないし、楽しめないのじゃないかと、そんな気もしています。
矛盾している?
私は矛盾だらけの人だから、、、、
間違った本人はきっと気付いているから、そんな場で恥をかかすことなんてないんですよね。
私もお点前の後に、間違ったことに気付き、正客だった師匠に謝りましたら、「気付いたんならよか」と言われたことがありました。
何度も同じ間違いを指摘しなかったことで続くのならば、注意しないといけないんでしょうけど、「教える」って仕事は難しいですよね~?
かわいい~
でも、お席で先生から弟子が叱られているのを見るのは、弟子もかわいそうだけど、それ以上に、先生がお茶というものを理解していないんじゃないかって思ったり。
まあ、こちらは初心者なのでこんなことを言ってはいけないのでしょうけど。
お正月に一匹貰われていきました。
もう一匹はどうなったかな?
欲しいけど、今の私の生活スタイルでは猫が可愛そうです。残念ですね~
今だったら、おみゃーの教え方が下手だからだろうと悪態つくのですが・・・その頃は、純粋無垢だったもので。。。あの頃から続けていたら、今頃はねぇ
でも、裏の袱紗捌き、綺麗なU20がやる限りにおいて、たしかに優雅です。
いつかも書いてましたよね、師匠と、裏はこう、遠州さんはこうって、やってたら、表はどうだっけ?になっちゃいました。
とくにあちこち横目で見ていると、唐物なんかが出てきた日にはまず、どうすべ~ってことになってしまいます。
でも不器用でよかったですね。
「あんなに無器量では、、、」じゃなくて幸いと思えば、この世はバラ色だったのに。
高校時代の友人がお茶屋さんの娘で『面白いわよ』と誘われて裏千家の師匠のところへ通いました。
穏やかな先生でしたが、教え方はしっかりされていたのでお弟子さんもしっかりしたキャリアウーマンが多かった。
高台までやったかな??
一つ、覚えた事は茶道には無駄がないというか合理的で美意識を常に持つ、ということ。
お茶時も普段の食事や出かけた際の作法としてとても勉強になりました。
今は基本的にお茶を頂く作法くらいしか残っていませんが、やっておいて良かったなって、思います。
お茶時。
あれでけっこう美味しい和菓子、覚えたし。
しかし、茶席で弟子云々いうような師匠など、利休さん、あちらで嘆かれておいでのように思います。
そうそう、母いわく。
茶会用に作った着物、どーするの???
実家に置いたままなんですよね、今時、茶会くらいしか着物着る用もないし、どうしましょうね?!
ただ、技術ばかり、形ばかりにこだわって、お客をもてなす、お客と楽しい時間を共有するってことがついつい忘れ去られているような。
というのか、ほんとうのお茶というのがほとんどなく、あるのはお稽古のお茶会、お茶事ばかりだからなんでしょうね。
ところで、裏千家の許状のことはよくわかりませんが、高台って台天目のことですよね。
すごいですよね、私なんぞ、思いついたら、師匠のところにいって、「また、やらせてください」「はい、入門からね」ってことで、いつまでたっても何も変わりませんわぃ。
よくジャズの人で、基礎ができてないけど、、自分が、聞いている人が楽しければ、いいじゃんって人たちもたくさんいます。
技術偏重のクラッシックだって、自分の気分で引く人たちがほとんど。
でもね、、、、ある部分基礎がしっかりしてないと、あるいはきちんとした知識で理解してからじゃないと、ほんとうにハイレベルなものは楽しめないのじゃないかと、そんな気もしています。
矛盾している?
私は矛盾だらけの人だから、、、、