夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

オクラの花

2011年07月23日 14時37分32秒 |  あなたの鼓動、華


オクラって健康な食品として評価が高いですけど、オクラの花をご覧になったことがありますか?
なかなかないのじゃないかと思いますので、こちらでご紹介。



花は知られていない?
では、名前の由来は?
実はオクラの英語名 okraから来たんですよ。
英語なんですね。
お勉強になった? でも、相変わらず日常の役には立ちませんよね~



アオイ科のトトロアオイ属

トロロアオイ(黄蜀葵、ところで道草。紅蜀葵ってのもあるんです。別名双葉葵ですね。)の花も綺麗ですよ。チャンスがあったら、見てくださいね。
もう一つ、葵も最初は野菜として入ったのですけど、お仲間のオクラも食用メインですね。(もっとも花オクラなんてのもあるみたいですけど) 綺麗な花なのに。
ちなみに、学名のAbelmoschus esculentus はesculentusは食用になるの意味ですから、どこまでいっても野菜なんですね。Abelmoschus はトロロアオイ。

またまた余計な情報を頭の中に入れちゃった。おかげさんで必要な情報が押し出されて消えてしまっちゃうんですよ。なに、最初から何も入っていないじゃないかって? まあ、物には見方ってもんがありますし、言い方ってものもあるんですよ。


アマサギ

2011年07月22日 19時49分58秒 |  岬な日々


今年はまだアマサギを見ておりませんでした。
半分諦めておりましたら、今日、いつものカワセミ・スポットの近くで一羽見ました。



カメラを取り出して、シャッターを切ろうとしたら、パッと飛びだし、それにつれて周りのサギも飛びだしました。



なんと、それらも全てアマサギでした。
4~5羽はいたと思います。



残念ながら、全部を撮ったものはぶれておりまして削除。泣

お客様 その2

2011年07月22日 10時16分50秒 |  求める魂と与える心


友人のお宅を訪問しておりましたら、まいりましたよ、先日ご紹介した猫ちゃん
相変わらず人見知りしないでとてもフレンドリー。そして凄くやんちゃ。

あのときの写真をポスターにして、あちこちに里親募集の張り紙をしたのだそうです。何件か引き合い(?)は来たのだそうですけど、いまだに決まっていないとのこと。

この子も、「このお姉さんがいい」って感じで、べったりとくっついています。お姉さんとしては「それは困るのよ」っておっしゃっておりましたが、たぶん、このままずるずるとこのお姉さんのところに居ついてしまうのではと思いました。
まあ、それも縁なんでしょうね~

次に来るもの

2011年07月22日 08時54分53秒 |  岬な日々


一年のこの時期、岬の家の周りは次に来るものの期待と、生命力に溢れます。
それはもう、見ているだけでまぶしいくらい。


私のお腹を満たしてくれるもの。胸だけでなく、お腹も期待に膨れます。



青いうちに採って、スライスして砂糖漬けにしてみようかな。



それとも、熟するまで手元に置きましょうか?



食べられなくとも、利用できなくても、愛されるものもあります。



双葉よりもかんばしいはずのもの。
でも、ほんとうに噂どおりなのかな?



これから来る時を期待し、胸を膨らませながら、大きくなっていくこの子たちを見ていると、それだけでも、命の力を分けてもらっているような気分になれます。
無機質な人工の産物とはその辺が違いますよね。
天の恵みの素晴らしさかな、、、

これらが大人になっていくころ、どんな世界が待っているのでしょう。
知る由もない私には、それがいい世界であることを心から願うだけ。

生きるために食べる   パンを焼いたぜよ

2011年07月21日 23時16分52秒 |  食べるために生きる


このブログには「食べるために生きる」ってカテゴリーがありますけど、今回は、生きるために食べる。

医者から塩分を控えるように言われています。
血圧や脈拍が上がると、傷んでいる心臓や大動脈に過度な負担がかかり、前回ですら、あの状態で生きていられるのは2割もないって医者を驚かせておりました。だから次回はないってことね。
おまけに、血に飢えて手術をやりたくって仕方がなかった医者連中をなだめすかして逃げ帰りましたので、しばらくは大人しく忠告に従わなきゃ。
なんて殊勝なことを口にするけど、なに、「タバコは絶対に駄目よ、、」「はいはい」なんて言いながら帰りには一カートン買って帰るような人ですからね。まあ、大人しいといっても高が知れている。

ただ、タバコは吸えなきゃこの世も終わり。生きている意味がないよ。タバコ様命だからまだ許せる(?)きゃも。
ばってん、パンは売っているパンは塩分が強すぎるんですよ。
なんせ塩分は一日6グラム。一食たったの2グラムなんて言われているので、これはチョト困る。

なんて思っておりましたら、たまたま知り合いになりました方が、自宅で石窯でパンを焼かれているということで、試食させていただきました。
これが実によくできている。
まあ、このレベルに達するまでには最低でも10年くらいの試行錯誤は必要だろうけど、その百分の一でもいいじゃないかってことで、ホームベーカリーなるものを買いまして、今日始めてのトライ。

上の写真みたいにできました。
うん、食塩控えましたけど、なかなかどうして、これが結構いけるのですよ。
やっぱり、ぼくちゃん、天才なんだ~

今までは塩分控えめということで、コーンフレークやオートミールを食しておりましたが、もう一つオプションが広がった。
これは大進歩。
だって、チビ太だって、毎回同じドッグフードだと、鼻をくっつけるだけで食べようとしない。
おいちゃんはれっきとした人間(と、本人は思っておりますが)
少なくとも食べるものに関してはチビ太と同様、毎回同じものを食べるなんてことは、避けなければ。
ねぇ、人間としての矜持がありますでしょう?







筑波嶺のさ百合の花の夜床にも    山百合

2011年07月21日 10時14分01秒 |  気になる詩、言葉


昔の日記

道の辺の草深百合の花笑に咲まししからに
  妻というべしや
     万葉集
     7-1257

を紹介しておりました。



最近も式子内親王の

涼しやと風のたよりをたづぬれば
    繁みになびく野辺のさゆり葉

載せていましたが、この時期の野山では百合の花が満開。
一番目を誘う豪華な宝石ですね。



ただ、どこかで書いたことがあると思いますが、写真は山百合。関東あたりではこの百合が野山を飾っていますが、上代の詩に詠まれているのはもう少し控えめな笹百合とか姫百合が多い。関西ではそちらが普通に見られる百合なんですね。

昔から笹百合を紹介しようと思うのですがこちらではなかなか見られないので、間に合わせの山百合で御免なさいです。



ということで、こちらの詩をご紹介いたしましょう。
こちらは関東の百合。おそらく山百合でしょうから。


筑波嶺のさ百合の花の夜床にも 
      愛しけ妹ぞ昼も愛しけ
         大舎人部千文
         万葉集 14-4370


夜の床で筑波の百合の花のようにかわいいお前は昼も可愛い、、、、
なんちゃって、
まぁ、男というものは、なんでもかんでも手当たり次第に口説きますんでね~ 
そうずら、おみゃ~はん。おみゃ~はんの心の中は手に取るように分かるんだよ。
なんせ私も現役は卒業したけど、一応昔は男だったもん。
今はね~~~ (泣)
      

もう飛ぶまいぞ この蝶々

2011年07月21日 09時42分44秒 |  気になる詩、言葉


もう飛ぶまいぞ、この蝶々
夜も昼も花の心を惑わす
罪作りなこの蝶々
花の心を惑わす
罪作りなこの蝶々
   モーツアルト、フィガロの結婚


イケメンの小姓ケルビーがご主人さまから軍隊に行けって言われてしょげているのを見て、フィガロがからかって詠った歌ですね。

この詩とはちょっとちがいますけど、
花を求めてせわしく飛び回る蝶々にも、羽を休めなければならない時があるのですよね。

さまざまな行動を制限されて見ると、
昔が懐かしい、、、、
なんちゃって。

台風

2011年07月20日 20時08分12秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本


台風が来ていますね。
テレビでは四国や関西、そして東海地方での台風の被害を知らせています。典型的な雨台風。風よりも雨による被害が大きいですね。

でも、いすみはほんの短い間には激しく降ることがあっても、小雨。薄日がさしたりすることもあるし、風もむしろ少ない。
遠くのうねりを伝えるはずの波も、予報では6メートルクラスの波って言われているけど、今日はむしろ普通。昨日の方がいくらか高く。一昨日はもっと高かった。
あるテレビ局は鴨川の激しい波なんて画像を放映していたけど、私が5月にあそこにいた経験から言うとごく普通の波じゃんって感じ。

カメラマンも、激しい波を撮ってこいって言われると、「普通の」波でも激しく打ち付ける波ってことにしないと、上の人に怒られるんでしょうね。
でも、そんなレッテルを付けて局に送れば、画像をきちんとチェックしないで、「激しく打ち付ける」波ってことで通ってしまうってのは、日本の社会の特性なんかしらね~

風車は台風の印を探して、岬を飛び回りましたけど、何もなかった。
「何もありませんでした」なんて報告したら、即、首ずら?

孫文と梅屋庄吉    梅屋別荘 いすみ市

2011年07月19日 14時29分29秒 |  岬な日々
    梅屋庄吉と孫文の展覧会が東京国立博物館で開かれます。
    展覧会の詳細はこちら
    以前の日記にこのことを追加し、タイムスタンプを新しくしました。


いすみ市の三門駅にまつわる話を何回か書きましたね。
三門駅と放浪記。そしてその途中にある森鴎外の鴎荘。三門駅とは関係がないけど、葵の話では大多喜の城主本多忠勝の立ち葵の紋、、、
みんなちょっと触れただけでしたけど。

鴎外の鴎荘の話のときに、このそばに梅屋の別荘があるんだけど、何も書くきっかけがないな~って思っておりました。
そうしたら、神様の思し召し、、、、今朝、長崎県のHPを見ておりましたら、孫文の写真が出てきまして、あら、そうか、、、梅屋は長崎の出身だったって改めて気がつきました。ほんと耄碌したくないですね。

まず、一つ目の蛇の足;
上の長崎県のHPで写真をご覧になった方。
写真の右に小柄な男性が写っているのを見られたと思いますが、この人が西郷四郎。なにか覚えがある? そうでしょう、富田常雄の小説、姿三四郎。「山嵐」で有名になった柔道家、姿三四郎のモデルになった人。
孫文の隣にいる鈴木天眼が「東洋日の出新聞」を創刊したときに、呼ばれて、編集長をしていて、中国にも行き、軍部に批判的な記事も書いている人。
長崎では「長崎游泳協会」の創設者の一人。今の競技水泳ではないのですけど、古流の水泳を長崎に根付かせた張本人。
おかげさまで、私の友人達の中には今でも、ドーバーを渡ろうとしている人がたくさん。
私も長崎湾の郊外の島を泳いで一周できなかったって、夏休みに水泳の特訓をさせられた。



私の実家の長崎の家は今の県庁と市役所の並びにあり、彼の実家であった梅屋商店は家から1キロも離れていない長崎の繁華街にあったのです。
たぶん、家の資料が残っていれば、梅屋との関係なんかが出てくるかもしれませんね。ほんとうに、あらら、、、です。

長崎の郷土史を研究しているグループに長崎楽会というのがあって、東京と長崎で自分たちが研究した成果を月例で発表したりしていますけど、こちらでも長崎人の旦那気質っていうのが時々出てきます。長崎の人に言わせると、幕府のキリシタン防止策の一環で仏教のお祭りを盛んにした(これには中国の葬祭の賑やかさも一役買ったのでしょうね)ということと、長崎を通じての貿易の利益の一部が竈金として市民に振舞われたからというのもあって、長崎人はお祭りが好き、そして旦那気質。
梅屋庄吉もその一人。借金を取り立てに行って、相手の窮状に涙して、借金を棒引きにして帰ってきたり、、あげくに相場に手をだして中国に逃げていきます。

中国に逃げるというのが長崎人らしいですね。
戦前の長崎にとっては大阪や東京は遠い町。でも上海は隣町だったんです。
それに長崎に住み着いて何百年も立つような中国人でも、本国との絆はちゃんと持っているので、中国のことはよく分かる。
私の母親(中国人ではありませんけど)が東京に来て、日暮里のことを「ヒグレサト」なんて読んで笑われていましたけど、その母親に上海の事を聞けば、あそこの交差点の三軒目のお菓子屋さんの何が美味しいなんてことは手に取るが如く分かってしまったかもしれません。
長崎ってそんな町だったんです。

その庄吉が上海から、香港に移り、そこで映画の仕事に手を出します。
そこで知り合ったのが孫文。孫中山です。

またまた蛇の足。
中山というのは孫文が日本に来ていて、そのときに近くに中山ってお屋敷があって、それが気に入って自分の名前にしたらしいのです。
その中山って、、実は明治天皇の母親の実家の名前だったそうです。
孫文の業績は本土の中華人民共和国でも、中華民国でも評価されていて、たとえば両国を代表する大学、中山大学(共和国) 国立中山大学(民国)も孫文の名前から取られていますけど、それが実は明治天皇の母方の名前だったってのを知っていて使ったんでしょうかね~ なんて心配しても仕方がないですよね。



庄吉は孫文の資金面を援助していました。
そして帰国してからは日活(の前身ですけど)を興し、映画人として活躍しました。日比谷公園の中にある松本楼も庄吉が創立したお店ですね。(松本楼のHPで左側に孫文と松本楼というのもありますよ、興味がある方はクリックしてみてください)
彼は、孫文の夫人(宋慶齢)や、蒋介石の夫人(宋美齢、慶齢の妹)との結婚も仲立ちしています。

これまた蛇の足。
宋姉妹に関しては、大分前に、ドラマができていたと思いましたけど、ほんのとびとびにしか思い出せません。(ググって見ました。「宋姉妹~中国を支配した華麗なる一族(宗姉妹)」 NHKと香港、カナダの共同制作で1994年の7月に2回シリーズで放映されていました。同じタイトルの本が角川からもでていますね。それと「宋家の三姉妹」というDVDがポニーキャニオンからもだされています)



1934年、梅屋庄吉は中国問題について広田弘毅外相から意見を求められその会議に出席のためにこの別荘を出て、その途中でなくなっています。



梅屋庄吉と孫文の関係は、NHKの「その時 歴史が動いた」の164回目の放送、秘められた革命工作 ~孫文を支えた日本人~(2004年1月14日)でも放送されたそうです。追加しておきますね。ジャンヌさん情報をお借りしました。ありがとう。


実は、長崎市の委員会のメンバーなどをして、その任期が終わったと思ったら、県からのお話で県と関係したりしていて、いろんなところで、長崎ってスペイン・ポルトガル・オランダだけじゃないでしょうって言い続けているんです。でも、私の場合はどちらかというとそれよりもずっと前に海外との交流があっているのだからって気持ちが強いのですけど、、、長崎の特異性がなくなった明治維新以降にも長崎や、長崎人が世界史の中で影響を与えていることが多々あると思うのですけどね、、、、、

それにしても、いすみ市のHP上では、この梅屋別荘でも、この前の鴎荘でも、放浪記でも、検索をかけてみて何もヒットしないって不思議。
社会教育とか文化課とか、教育委員会などのページで何らかのヒットしてもいいと思うのだけど。
もっともいすみ市のHPって、いつかも大雨が降って、市内で土砂崩れなどがあっても、情報は何も出てこなかったし、千葉県のHPでは回りの町の避難所情報がでていても、いすみの分は出てこなかった。
いすみ市ってテレビが映らないところが結構あるんですよ。何かの折にはHPで情報を見るしかないってことを知っていて欲しいな、、、
だって、あのスピーカーの連絡網は風や雨のときにはまったく聞こえないし、晴れていても山に反射して何を言っているのか分からないから。
もしかしたら市役所って建物だけで人がいないのかもしれないですね。
なんて、田舎に隠遁した隠居がほざいても仕方ありませんね。