夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

夜來風雨聲   雨も風も、地震まで、、、

2013年10月26日 09時40分15秒 |  岬な日々


なんでもありますね~
台風襲来。大騒ぎしているので、この家に来て初めて、ベランダの雨戸を閉めました。
サッシの、ほんらいするする動くはずの雨戸ですけど、使ったことないから渋くって、たった6枚だけなのに、往生しました。
でも、大雨洪水警報で避難準備が出ていた割には、風も雨も大したことなく、よかったよかった、、、、なんて思っておりましたら、ちょうど台風のピークに地震。そして津波注意報、、、、

昨日の記事のレスにも書いてましたけど、嫌な揺れでしたね。ドカンって来る地震だったら「さあ殺せ」って覚悟ができるけど、ゆるゆるゆるゆる、おまけにちっちゃな休みまであって長~く続くと、怖くなってなかなか覚悟が決められない。。。。

地震だ~  と、変な津波情報???  追記あります

2013年10月26日 02時23分34秒 |  岬な日々


台風の雨風がピークを迎えているころ、今度は地震で目がさめちゃった。
3分くらい、揺れていた。
津波警報まで出ていますね。
なんでもあるんですね~


昨日の「台風来てみろ、猫パンチだ~」の写真をもう一度使いますね。
「津波来てみろ、猫パンチだ~」ですね。


ところで、いすみ市にも津波注意報が追加で出されたけど、二つ疑問。

一つは、大雨洪水警報でいすみ市には避難準備指示がでて、我が家の近くには避難所が公民館に開設されているんだけど、津波が来るとするとここは低いところなのですよね。雨や洪水のために避難した人は集団で、今度はこの雨の中を津波のために高いところに移動するのでしょうか? しかたないといえば、しかたないですけどね~
この辺、商店街や、市役所などのすぐそばまで山が張りだしてきているんですけど、狸や狐さんの運動場をお借りして、避難所兼のコミュニティセンターを建てても、今度はアクセスが悪くなっちゃうしね~

二つ目は、津波注意報が、地震の規模が大きく変更されたために、津波の一波の到達時間の後からさらに広い範囲に追加で出されたけど、いすみ市の防災メールでは第一報で津波注意報と、それが解除されましたというのが同時に書かれてました。(文面は下につけてますね) テレビでは解除されたというのは言ってないけど、どう解釈すればいいのかな。


From: いすみ市防災メール <resident-isumi@city.isumi.lg.jp>
Date: Sat, 26 Oct 2013 02:51:28 +0900
To: XXXXX
Subject: 津波情報

津波警報・注意報の発表状況をお知らせします。

■発表された津波情報
千葉県九十九里・外房 津波注意報

■解除された津波情報
千葉県九十九里・外房
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このメールの後、3時15分ころに津波注意報が発令されているから注意しろというメールが入ってきた。ということは津波情報は解除されていないのですね?

追記:
この件の問い合わせにいすみ市の危機管理課からお返事を頂きました。
いや、台風の大雨や洪水の避難準備が出されて、おまけに地震というあのどたばたのさなかにお返事いただけたのは、全て収まってからでもよかったのにってほんと恐縮しています。

26日午前2時10分に発生した地震により、2時14分に千葉県九十九里・外房
地域に津波予報(海面変動が観測される程度)が発令されていましたが、2
時51分に津波注意報(1m以下の津波が襲来する可能性がある)に切り替え
となりました。
気象庁から発表されたまま転送しているため、このような分かりにくい
表記となっております。
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このような緊急情報は、情報を入手したらそのまま再発送されると思っておりましたので、それを裏付けるお話ですね。
   (ちなみに、いすみ市の危機管理課からは、その後2度にわたって、注意報は継続中であるというメールが出されてました)

気象庁としては一方で狭い範囲に注意報を出して、後で広い範囲にさらに注意報を出したので、最初のが解除。そして次のが(改定)注意報発令ってことなのでしょうか。でも拡大された範囲の自治体で受け取る情報は、発令⇒解除って情報なのですよね。

昨日のようにテレビが傍にあれば、注意報は継続中というのが分かりますけど、例えば海傍でこの注意報だけを受け取ったら、解除されたって受け取るのが、私たち一般人の常識じゃないかしらね。
これはいすみ市や他の自治体の問題じゃなくって、気象庁の発表の仕方、それがどんな風にエンドユーザーに届けられるかの検証が十分じゃないという問題じゃないかな。表現の仕方を変えて欲しいな~

それから地震の話なので、蛇の足で、前にも書いたけど、地震の揺れの発表
いすみ市(を含む房総半島一帯の市町村)に置かれている地震計に関してですが、地震があって、ブログやそれにリンクさせているSNSなどで、「大きかったね」とか、「寝てて飛び起きた」なんて書いてますと、市原から勝浦あたりまでの読者から、「すごかったね」というような同意するようなコメントを貰うのですが、発表を見てみるとそれらの町を含めて、いすみ市や長者町(私の最寄は長者町と表記されていますので、岬庁舎でしょうか)では震度0とか1と表記されていることがほとんど。最初は我が家の地盤が特異なのかと思いましたが、賛同するコメントを見ていると、いすみ市を含む房総半島一帯の役場(地震計が置いてあるところ)は地盤の格別いいところに建てられているのじゃないかと、揺れの実態から離れていることがあるって感じがしてないのですよね~ もちろん、自治体の担当者はそのことをお分かりだと思うのですけど、ユーザー・アンフレンドリーなお役所にその情報が行ってまとめられた時に、どうなるのかなってちょっと心配ですけど。





紅玉をゲット

2013年10月25日 07時24分15秒 |  食べるために生きる


先日、オランダの知人がお店に並んでいるリンゴの話をしていて、日本では酸っぱい系の果物が少ないね~なんて話をしておりました。
昨日、近くのスーパーで、「山形産紅玉」としてビニール袋に詰めたものが山積みになっておりましたので、即、ゲット。
まずは試しとばかりに、生食で一個、、、

酸っぱみは十分なんですけど、なんだか新鮮さがもの足りないのかな~
十分に新しいと思うのですけど、
ナイフを入れた時、皮をむいた時のピッと感じる新鮮さが少ないのです。
普通の流通過程を通って来るとこんなものかな~って、少しばかりがっかり。

パリッと新鮮だったら、もう昨日の段階で、ジャムになってたかもしれませんけど、
さぁ、なにに使おうか、、、
焼きリンゴにしても、作るだけで食べないだろうしな~
結局、生で食べて終わりかな??

Happiness is,,, by Miyuki Onitake

2013年10月24日 20時21分39秒 | 芸術・文化


怪鳥さんから鬼武みゆきという人のCDを送ってきた。サイン入りだよ。
フライヤーを読んでいて思い出した。横浜ジャズプロのSさんが去年かその前に、凄いピアニストがいるから岬まで連れて行くから、ピアノがあるかって聞かれて、「ないよ」って答えて消えちゃったあの話の人じゃない。
ヨーロッパで流されていたどこかの家電(たぶん)メーカーのCMの音楽を作曲して、弾いていて好評だったんだって、、、

弟からグランドピアノをあげるなんて話は来たこともあるけど、我が家に入れるなら根太を直さねば、、、それに除湿機も常時オンにしておかなければ。狂うなんてもんじゃない、1週間も置いていたら黒いピアノが青くなる、、、カビでね。(楽のお茶碗で一度やったことがあるんですよ。朱色だったのがカビがびっしりで緑色になっちゃった。陶器は使ったら一週間ほどは乾かさないと駄目ね~ でも、ピアノも同じでしょ)
ピアノは欲しいけど、湿気も温度差もあるところだから、しょっちゅう調律も必要になるだろうし、その除湿機も40畳の部屋を常時除湿させていたら、食費も払えなくなって、おいちゃん、餓死するのは必定。
だからピアノは無理。欲しかったけどね~ 
弾けるのかって? とんでもない、私は聴く人。可愛い弾く人を見つける人ねっ。
なんてことは別にして、

この鬼武って言う人の曲、大活躍のプロのことを素人が何を言っても仕方ないけど、綺麗ですね~ 流石ですよ。それにこの笛の音、私好み。

ただただ、ほんとにほんとに私の個人的な好き嫌いから言えば、この人のピアノ。早い曲、ビビッドな曲は素敵だけど、遅い、感情を込めた曲の場合、テンポももう少し微妙に遅いのが私は好き、それにメロディではなく、一つ一つの音をもう少し歌って欲しかったな。もちろん下品になるのは最悪だけど。ほら、バレリーナが手を伸ばす、直線じゃなく、柔らかい円を描きながら、、、伸ばしきる、、普通はそれで終わりだけど、そこでほんのちょいのもうひとつのほら、なんていうか、なんかの調味料とか「ため」が欲しいのよね。それがお客の心にグサッとくる、、、、なんて。素人がこんなことを言っちゃいけません。私が赤が好きだからって人に押し付けることをしちゃいけないんだってば。
それをやるから、「けぶい」って敬遠されちゃうんだ。でもさ~ いつかの発表会の時のショパンのエチュードの1番、あれに比べれば今回のリストのヘンデルのアルミーラによるサラバンドとシャコンヌ。ぜんぜん違うじゃん。まあ、前回は急にあの曲に代えたのだろうし、幕間の演奏って違いはあるけど、なんてことを言うからますます煙たいか。

それにこのCD、その辺のプロだって鼻を高くしている人たちのレベルからすれば、曲も演奏もはるかにいいものですよ。Sさんだって聞くことのプロだもんね。それが凄いって言っているのがよくわかるレベルの話ね。




ハピネスイズ・・・
クリエーター情報なし
Eternal Music

物想う

2013年10月24日 10時46分03秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


先日も、松阪牛を毎日食べさせてくれる里親さんを募集したけど、問い合わせすらなかった。
恋人のユキちゃんも岡山なんてところへ行っちゃって、会えないし、、、

物を想って胸が熱くなるのは、少しでも可能性があるからなのかな~
何にもできないのが最初から分かっていれば、胸は冷えるばかりだよ~

今日のお客様 台風じゃないですよ、、

2013年10月24日 08時00分35秒 |  岬な日々


台風が二つも日本に近づいていますね。
南の島ではかなり強い風が吹いているみたいですね。

遅い台風なので、発生してから、まだまだのろのろと近づいていますので、雨や波の影響が長く続くみたいです。
天気もここのところずっと曇りから雨が多くって、ぱっとしませんね。

どうなりますことやら。。。。

オリジナルを知ることの難しさ、、、、かな

2013年10月23日 10時55分36秒 | 芸術・文化


この前に弟の発表会のことを書いていましたが、発表会とは直接関係が無いのですけど、その中にバロックの演奏があって、それを聞きながら考えてしまいました。
弟のチェンバロにはバーがあり、それをスライドすることでバロックピッチにできるのです。それにオリジナルピッチの弦楽器のカルテット。要するに一言でいえばバロックアンサンブルですね。

私自身、オリジナルを知る、その時の音楽、そしてそれを作った作曲家の思い描いた曲を知ることはとても大切なことなんて平気で言ったりしていますけど、あの演奏を聴きながら、それがどれだけ難しいことなのかって事を考えさせられたのです。

例えば、プリバロックまで遡ると、それをやれる合唱団、アンサンブルはたくさんあります。楽器もそこそこにそろう(っていっても木管のあの何が出てくるのか分からないような楽器の山が全部そろう、そして吹ける人がいるってのはかなりハードなことですけど)としても、 物理的に演奏できるホールがない。あの残響がなければ、すかすかの音楽とも言えない代物しか出てこないんですね。
ちなみに長崎市と絡んでいた数年の間、事あるごとにバロックがやれるホールをって騒いでいたんですけど駄目でしたね。長崎みたいな小さめな中都市でも、市が管理しているホールって幾つかあるんです。特に小ホールを改築するときに、バロック、プリバロックをやれるホールにしたらって、他の都市なら言いませんけど、あのカトリックの伝統のある長崎だったら一つぐらいそんなのあってもいいじゃないって騒いでいたんですけど、届かなかったですね~

バロックになっても同じです。最初にピッチの話をかいていますけど、たしかにそれはどこのバロックアンサンブルでも気にしていること。でも、日曜日の演奏を聴きながらはたと思いました。どこもピッチだけを合わせればそれでよしとしているんじゃないかって。
もしかしてそれ以上に大切なのは、テンポじゃないかな~なんて思っちゃったりして。ピッチを合わせても、テンポが今のテンポじゃしょうがないでしょうなんて思っちゃうのですよ。
それに音量。先日のホールでも、バロックを再現するには大きすぎる。コンチェルト・グロッソならともかく、小さなアンサンブルを再現するなら、あのホールでは響かせない。バロックバイオリンの音が汚いって言うのも、本来あんな音量で弾く楽器としては考えられてなかったからなんですよね。

じゃ、ロマン派ならいいのかってことになっても、そうかな~
前期の音楽って、今考えられている以上にバロック的な音だったんじゃないでしょうかね。楽器だって、今の楽器ではなかったし。チェンバロは音が小さ過ぎる、でも今のピアノはまだ出て来てはいない。ピアノフォルテだって、今のと比べると「小さな音量で素晴らしい音色」ってことですからね。

少し時代がさがっても、ピアノの詩人、ショパン。彼がこだわっていたブレイエルだって、あの当時の楽器の中では彼に一番合った楽器だからということなのだと思います。小さいけど(特に中音域の)綺麗な音。指を離したときの響きも短かったんですよね。
それよりも大きな音が欲しかったリストが使ったピアノだって、今のコンサートピアノに比べれば赤ン坊みたいなもの。
だって、大きなコンサートホールができ始めたのは、それよりだいぶ後の話ですから、彼らにはそんな環境の中の音楽って想像もつかなかったのでしょうね。

楽器も、それが演奏される環境も今とは全く違う。
そしてもっと大きな問題は、、、バッハの楽譜にあるのかも。
四角四面のバッハの音楽。だからバッハを弾くのには皆さん沐浴して、神様に祈って、、、顔をしかめっ面して、、、、バッハはこうあるべきッてのたまいながら恭しく弾くのですよ。。。。
でも、そうだったのかな~って思いがあるのですね。だってあの頃の演奏家は皆即興の大家。楽譜があってもそんなのは「たんなる参考ね」程度なんだったのじゃないかな。
眉をしかめられるかもしれないけど、ジャズの演奏。あれに必要なのはきちんとしたメロディライン。それがあれば皆勝手に弾いて行きますよ。だから、そのメロディは単純、明快なものじゃなきゃいけなかったんですよね。複雑怪奇にしたらそれから即興なんてできないものね。
よく口にしているM.リンデ。彼が興に乗って弾き始めた時のアンサンブルなんて凄過ぎ、楽譜を見ていてもどこを弾いているのか分からないくらい。でも、彼の演奏を聴きながら思うのですよ。バッハの時代の音楽ってこんなもんだったんだろうな~って。
バッハはその環境の中で、それを当たり前として彼の譜面を書いたんだろうなってね。

でも、念願叶って、きちんとオリジナルの音楽が再現できたとして、それがなんだって言う人があっても、私としてはそうだろうなっていうしかない。だって環境が変わり過ぎているんだもん、当時のものが分かっても、当時の作家が考えたものが分かっても、今の価値観からは評価できないかもね。弟の発表会、ピアノを441に合わせたのだそうですけど、子供たちからは低くって気持ち悪いって悪評たらたらだったそうです。いつもは442に合わせてるんだけど、文部省関係の予算なんかがついているとこ、管轄に入っているところは、必ず終わりに440に戻させるのだそうですね。それもまた変だけど。

いや、みなさん、ありがとうございました。
思いにふけられるだけでも、毎日日曜日で刺激もなく、何も考えなくなった年寄りにはとても大切な時間でしたよ。





弟の発表会でした

2013年10月23日 10時13分21秒 |  岬な日々


20日にもお伝えしましたが、日曜日は弟の教室の恒例の発表会。



アンサンブルを重視している弟のお弟子さんたち、相変わらず見事ですね。
とにかく、毎回、前回よりも伸びたな~って感じさせる子が多くって、聞いていて嬉しくなります。



それに持ち替えのすごさ。小学生にもならないような子供たちが、あるときは難しいヴァイオリンの曲を弾いているかと思うと、ビオラ、チェロ、そしてピアノまで、、、何の違和感もなく持ち替えるのですよね。



以前も、数字付きの楽譜を初見で弾いていたり、伴奏の子が熱を出して出られなくなって代役で譜面もなく伴奏したり、オケ譜を見ながらピアノを弾いていたり、弟の曲、右手と左手の調や拍子が違っていたりする変てこな楽譜。音大でのインストラクターが弾けないのを笑いながら初見で弾いちゃったり、、小さい時からやっているとこんな風な音感が育つのかと、、、



羨ましいですね~