旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

ぐるり台湾 松山→花蓮

2010-09-12 00:00:00 | 台湾日記

精緻中西式自助早餐

民國99年7月30日星期五、台北のホテルで目覚める。辛亥革命のあった清宣統3年(1911)の翌年が中華民國元年(1912)で、今年は99年である。台湾では西暦(西元)とともに使われている。そして星期五は金曜日。月曜日から星期一、星期二と、漢数字が使われている。しかし日曜日は星期日である。さて、このホテルの最も安い料金の部屋には窓がなく、朝日が差し込むこともない。そして部屋には時計がない。時計がないのは台湾の他に泊まったホテルもそうだった。今回の旅行には新しい目覚まし時計を持参している。電波時計だが、電波を受信しない設定も出来るので、勝手に日本時間に戻ってしまう事はない。旅先では早起きなので、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。台湾のテレビを見ながら漫然と過ごし、シャワーを浴びてすっきりしてから朝食に向かう。これは宿泊代金に含まれている。

食堂の女性に食券を出し、「早」と声を掛ける。おはようの意味である。食堂は最上階で、窓からは街が見下ろせる。ここの朝食についてインターネットで事前に調べたところでは、お粥かパンという事だったので、食パンを2枚取る。そこへ「Good Morning!」と元気よく若い女性が2人入ってきた。どこの国の人かと思ったら関西人だった。関西人のねえちゃんが話しているところ、白飯もあるという。何っ?よく見れば炊飯器に白米、それに魯肉飯の肉もあるではないか。食パンなんか取るんじゃなかった。取ったパンを返す訳にもいかず、極(ごく)軽盛(かるもり)の魯肉飯にしてみた。味付けはよい。なかなかいいホテルではないか。食後にコーヒーを飲み、食器とお盆を返す時に「ご馳走様」と「謝謝」と言って部屋に戻る。途中、扉の開いている料金の高い部屋をかいま見る。そちらは大きな窓がある。部屋でテレビをつけると、NHKワールド プレミアムで「みんなの体操」を放送している。実際に体操してみると結構きつい。日本時間で午前10時となったが、台湾では上午9時。そろそろ荷物をまとめ、無料のペットボトルの水も頂きチェックアウトする。


萬事達旅店 松山店 (台北市信義區松山路)

ホテルの入口は全家FamilyMart(ファミリーマート)の横。1階がコンビニエンスストア、2階以上がホテルと、夜食の調達には申し分なかったが、チェックインからチェックアウトまで一度も外出する事はなかった。近くに有名な夜市もあるようで、また利用してもいいホテルだ。


前の駅舎は取り壊されていた! (台北市信義區松山路)
ここまで民國99年(2010)7月30日撮影

昨夜は暗くてよく判らなかったが、旧駅舎は駅の地下化に伴い、無くなっていた。5年前、初めての台湾旅行で訪れ、3年前にも利用している。


松山車站の旧駅舎 (台北市信義區松山路)
民國94年(2005)7月15日撮影


臺灣鐵路管理局 縱貫線 松山車站台北市信義區松山路
再びこれより民國99年(2010)7月30日撮影

これが現在の駅舎。1階は入り口で、地下1階に切符売場や改札があり、地下2階にプラットフォームがある。冷房が効いていて気持ちがいい。自動販売機でよく冷えたコーラ(30元)を買い、自動改札機から入場する。


車票 自強1086次 松山→花蓮


月台(プラットフォーム)は地下 (松山)

先行する莒光號の遅れを受けて、後続の自強號も遅れている。列車の乗り継ぎがあるので遅れは困るが、莒光號が出発するとすぐに自強號は入線してきた。切符にも発車案内にも「自強」の表示のみだが、太魯閣號の車両で運転される。同車両は日立製作所の製造で山口県作られている。山口県人としては乗っておきたいところだが、ようやく念願かない乗る事が出来る。

東部幹線 自強1086 松山(9:37)→花蓮(11:40) 40TEM1023

乗車して切符の席に要ってみるとお婆さんが座っている。おや、太魯閣號は無座票(立席券)は発売しないはずだが。ご家族らしい女性がいたので、お互いの切符を見せると、お婆さんの席は隣の車両になっている。自分が中国語を話せないのがわかると、英語で「My Mother 云々…」、ようは席を替わって欲しいようだ。一人だけ離れた席の切符しか確保できなかったのだろう。切符は花蓮までとなっているので取り替えて、「没関係」と言って隣の車両に移動する。替わった席に行ってみると、窗邊(窓側)である。しかも元の席は山側だったが、今度は海側である。替わったほうが良かったのだ。列車は地下区間から出て高架線を走っている。松山以東は初めての台湾旅行で基隆まで乗った時以来だから5年振りである。当時は高架は工事中だった。コーラを持参のコップに移して飲みながら車窓を楽しむ。コーラは500mlではなく600mlである。そういえば台湾のペットボトルは大抵600mlだった気がするが、コーラ600mlはちと多い。

松山の次の停車駅、七堵に停車する。今度は子供を含むご家族が乗ってきて、女性が自分の切符を見せてくれという。見せると納得していたが、すぐに席を替わって欲しいと言ってきた。どこかと尋ねるとひとつ後ろの席という。窓側且つ海側という条件は変わらないので構わないが、終点の花蓮まで席は確保されているのか確認したかったが、当方の語学力が貧弱ゆえ、「Family Ticket 云々…」と言われて確認できなかった。まあ途中駅で降りるようなら、持っている切符の席に戻ればいい。しかしひとつの列車で二度も席を替わるのは初めてである。乗車率が良くて、纏まった席が取り難いのかも知れない。七堵を出発し、隣駅の八堵を通過すると、列車は縱貫線から宜蘭線に入る。初めて乗る区間だ。基隆河に沿って列車は走る。ちょっと山陽本線本郷-河内間の沼田川沿いを思わせるが、川底にははっきりとした地層が見えている。三貂嶺で平溪線が分かれている。後日ここは訪れる予定。列車は基隆河を渡ってトンネルに入る。淡水河水系から雙溪水系へ。この先の台湾最東端三貂角の根元を草嶺隧道で抜けて台北縣から宜蘭縣へ入る。青い太平洋と龜山島が見える。なるほど、亀さんのように見える。


太平洋岸に出て、龜山島を望む(福隆-石城?)

気持ちの良い海沿いを列車は走り、10時43分に宜蘭到着。松山から1時間06分、台北から1時間13分だが、高速道路に雪山隧道(12.9km)という長大なトンネルがあり、高速バスが1時間ほどで結んでいるという。振り子式の太魯閣號でこれに対抗している。宜蘭を出発すると6分で羅東に停車する。基隆市の七堵から宜蘭まで48分間の無停車だったので意外な感じがするが、主要駅なのだろう。羅東を出発すると終点の花蓮まで再び48分間の無停車。宜蘭線の終点の蘇澳方の路線と、花蓮方の北迴線が分岐する蘇澳新は通過となる。臺鐵全線制覇を企むからには、いつかは乗りに来るぞと左へ別れる線路を見つめる。宜蘭線は大正13年に全通しているが、北迴線は民國69年(1980)の全通。昭和11年の宜蘭線の時刻表を見ると、臺北發8時43分の101列車は、松山發8時52分で、宜蘭著11時27分、羅東發11時43分、蘇澳著12時03分となっている。線路は蘇澳までである。北迴線は新しく、直線的でトンネルが多い。太魯閣號は容赦なくとばしている。宜蘭縣から花蓮縣に入る。長いトンネルを抜けたところで後方の車窓を見る。清水斷崖かと思うが定かではない。太魯閣峽谷に程近い新城を通過し、東台湾最大の都市、北迴線の終点の花蓮に定刻に到着した。




metro 太魯閣號で花蓮站到了symbol6


東部幹線 自強1086次 〔太魯閣號〕 [TEMU1000型車両] (花蓮)


太魯閣(Taroko)は沿線の景勝地、太魯閣國家公園に因む
ここまで民國99年(2010)7月30日撮影

なお、臺鐵の太魯閣號[TEMU1000型車両]は、JR九州の885系車両がベースとなっている。日本、台湾の両列車に乗る事が出来、念願がかなった。 (つづく)


特急〔ソニック38号〕 3038M列車 [885系車両] (杵築)
平成21年2月16日撮影