旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

2010年沖縄見聞記④ ・・・ 琉球ガラス体験記

2010-12-03 12:51:21 | 

 

 ひめゆりの塔などに立ち寄り「琉球ガラス村」に着く。ここは案内役S君の元の職場。工場を回っても売り場に立ち寄っても、従業員の皆さんがS君を懐かしがってみんな寄ってくる。トップセールスマンだったと聞く彼が、いかに社員の皆さんに慕われていたがよくわかる。営業仲間はもちろん、工場や裏方で働く人たちとも常に親しく付き合っていたというS君の人柄は、退職して2年を経ても忘れられることはないのであろう。

 アジア各地との貿易の中で、ガラス製品は早くから沖縄に持ち込まれていたようで、明治の頃には既に製造されていたようだ。琉球ガラスはいわゆる“吹きガラス”で、文字通り手製による職人芸の作品に魅力がある。
 戦後は原料不足の中で、アメリカ軍が基地で捨てるコーラやビールの瓶など雑多な空き瓶を集め、それを溶かして再生したことから始めたらしい。琉球の人々の叡智がそこにある。そうして沢山の工房が生れていったのであろう。
 その中で、私たちの訪れた糸満市の「琉球ガラス村(琉球ガラス工業協業組合)」は、1983年4月に設立された「手作りガラスの製造、販売(卸、小売)、ガラスショップ、美術館、レストラン」などを営む沖縄最大手のガラス工房。従業員148名、出資金43,200千円、売上高885.687千円(2009年度)の、まさに沖縄地場産業の最たるものといえよう。
 既に書いたが、沖縄の失業率は本土の2倍。3K産業(基地、公共事業、観光)に偏る産業構造は、本土ゼネコンに吸い上げられる公共事業や、ブームに明け暮れする不安定な観光事業など安定性を欠き、国の財政頼りで地場産業を育てきれていないところにも求人を生み出せない欠陥があるのであろう。
 琉球ガラスのような、まさに沖縄の職人芸を基にした地場産業の発展を祈って止まない。

  私もそこで得がたい体験をさせていただいた。友人の計らいから工場の中に入れて頂き、手袋などで身を固め、職人さんの焼いてくれたガラス球を吹きコップつくりを体験した。真っ赤に焼けただれたガラス玉を左手でまわしながら、右手の火バサミ状の金具でコップの口を広げていくのだが、右と左がバラバラで、出来た物は口が開き切れず、コップか花瓶かわからないような代物であった。イヤ~楽しかったな~

   
まず熱したガラスを吹き、 器具でコップの口を広げる


出来上った品はコップ? せいぜい鉛筆立て? 
琉球ガラスに失礼やなあ

 


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