暗いニュースの多い世の中で、日本酒の世界で純米酒だけは確実に花開いてきた。今の時代ほど日本酒が多様に高品質で飲まれる時代はかつてなかった。これは、日本酒全体では減少しつつも、その中で質量ともに伸び続ける純米酒が生み出している現象である。つまり純米酒だからこそ多様な味を生み出し、多様な飲まれ方に応えることができるのである。
純米酒普及推進委員を続けて16年が過ぎた。来年はそろそろ引退をしようと思っている。日本酒の完全復活とは言えないが、不振をつづけた日本酒業界にあって、純米酒をここまでの地位に引き上げた一端を担ったとひそかに自負している。そして、日本酒の未来は純米酒が背負っていくであろうと確信している。
ただ一つだけ、解決のめどの立たない悩ましい問題が残っている。それは、日本酒(清酒)の定義の問題である。われわれは日本酒を「米の醸造酒」と定義する限り、純米酒をこそ日本酒とすべきとするが、国の規定は醸造用アルコールやその他政令で認める添加物を加えたものも日本酒としている。それらの添加物を加えたものは、すくなくとも醸造酒とは言えず、世界的な基準から言ってもリキュールなどに分類さるべきである。ところが国はこれを認めず、多くの日本人も、それら添加物の混じったものを日本酒として飲んでいる。醸造酒という意識があるかないかは別として。
日本人は、戦時中の米不足を醸造用アルコールや糖類の添加により酒を増量して凌いできた。これは大変な智恵であったが、戦後の米余り時代を迎えてもその増量を改めず、それらマゼモノ酒(醸造酒とは言えずリキュールなどに分類しべきもの)を日本酒(清酒、本来は醸造酒)として認めてきた。
加えて、その後の酒造技術の発展が、添加アルコールの量を限定しつつ清酒の味も生かした「大吟醸酒」などという優れたアルコール飲料を生み出し、これは、むしろ「日本酒の華」とまで言われてもてはやされるようになった。これが一層悩ましい問題を生み出してきたともいえる。
私のこれまでの取材などによれば、多くの大吟醸酒のアルコール添加量は「米1トンにつき100%アルコール70~80リットル」と聞いている。普通酒には最大約600リットルまで、本醸造酒でも約120リットルまでの添加が認められており、それに比べれば少量だが、米1トンからは350リットルのアルコールが採れるとされているので、7、80リットルといえども20%以上の添加で、これはやはり醸造酒とは言えないだろう。日本酒としてどこで線引きするか。
しかし、いまや大吟醸酒を、いわゆる日本酒から除くのはかなり難しい実情があろう。では,米の醸造酒というこだわりを捨てるか。これまた世界的にも権威の面でも問題が生じよう。
この悩ましい問題でいつも悩む。今年もまたそれを抱えて年を越す……
木下さんの菊(12月11日撮影分、今はもうない)