マラソンのオリンピック選手選考が話題になっている。福地選手が選考レースの大阪大会で好記録で優勝したにもかかわらず陸連の内諾が出ないため、最後の名古屋にも出場宣言をしたためだ。2大会続けて出場して夏に迫った本番前に故障でも起こせば、それこそ何のための選考レースかわからなくなるからだ。
そもそも、コースも条件も異なる複数回のレースを参考にし、順位と記録を勘案しながら本番で勝てそうな選手を選ぶなんていう選考基準では、不公平や不満が起こることは当然である。と言って一発レースとしても、その時の体調などで不運はつきものだろう。それらの不公平、不平、不満、不運を乗り越えて勝った者だけが、まさに幸運をつかむものと割り切るべきものだろう。福地選手も、名古屋で自分を上回る選手が出たらやむなし、と割り切るくらいの度量が欲しい。
それよりも情けないのは、男子マラソンの東京大会であった。村山謙太(旭化成)を除く日本人選手は一塊になって、前を行くアフリカ勢を追おうともしない。「あれは我々とは別の世界で、関係ない人たちだ」とでも言っているようだった。これでは、世界を相手にする「オリンピック出場選手を選ぶレース」にならないのではないか? 最初から「世界のトップレベルとは争わない」というのなら、オリンピックなど目指すな、と言いたい。結果は、10分を切る選手さえ一人も出なかった。
私はただ一人村山謙太に期待した。ついにつぶれはしたが、「最初からアフリカ勢に付くつもりだった」と言っており、2時間5分で走る練習もしてきたという。残念ながら足の豆がつぶれ、20キロを過ぎて遅れだしつぶれた。ゴールした時、右のシューズは血で真っ赤だった。あれがなくて30キロか35キロまで付いて行っていたら何が起こっていたかわからないと思っている。
それに対し、今日のびわ湖毎日は、まあまあよかったのではないか。気温20度が予想される中で「1キロ3分2秒」と設定したペースメーカーに多くがついていき、そのぺースを上回って先行したアフリカ勢を最後にはとらえ、日本人トップは5秒差の2位入り(安川電機の北島寿典、2時間9分16秒)、続く3人の日本人選手も10分を切った(4,5,6位)。後半の追い上げと、日本人4人の競り合いは見ごたえがあった。
もちろんこれでも世界レベルには及ばないのだろうが、何とか「世界を追う姿勢」が示されなければ、オリンピック選考レースの名に恥じる。オリンピックは参加することに意義があると割り切れば別だが。