旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

黒田、新井の号泣に見る広島カープ優勝の値打ち

2016-09-11 14:01:37 | スポーツ

 

 ついに待ちに待った日がやってきた。今年はこの日だけを待ち続けてきた、とも言える。その日は、思ったよりもずっと早く、それほどやきもきすることもなく来たが、与えられた感動に変わりはなかった。
 広島カープの優勝! その優勝の値打ちは、勝利の雄たけびを上げるカープ選手の中にあって、ひしと抱き合って号泣する黒田と新井の姿の中にあった。二人とも、広島カープに育ちながら一度はそこを離れ、最後の野球人生をかけて再びカープに帰ってきた41歳と39歳のベテランである。
 親会社を持たない日本で唯一の市民球団広島カープは金がない。市民の浄財に助けられながらも資金不足に悩まされ、出来上がった選手を買うことはできず常にゼロから選手を育ててきた。他球団にないこの特性は多くの名選手を育て上げてきたが、出来上がった選手は巨人や阪神に出ていく。
 それでもあきらめることなくチーム作りを続けてきたが、資金力に勝る他のチームにそう簡単に勝つことのできないのがこの社会だ。ただ、いくら負けてもこのチームを愛し続けるファンは徐々に増えて、「この弱いチームのどこがいいのだろう?」と集まる人々が膨大なファン層を作り上げていった。
 そして、このひたむきなチームの姿勢に「育ててくれた恩義」を忘れず、最後の献身をしようと帰ってきた男もいたのだ。黒田と新井は、チームワークを第一義とする点で野球観を同じくするという。団体スポーツにとって当然ながら、投手と野手の中心としてその一体感醸成の先頭に立ってきた。ちょうど育ってきた中堅、若手との一体感がこの優勝を成し遂げたのであろう。
 投手というのはさびしい存在だと言われている。特に黒田は援護が少なく、不運に泣くことが多かった。黒田が投げて5回までにカープが3点以上取ることは少なかったのではないか? それでも黒田は投げ続け、優勝決定戦に見事その花を咲かせた。
 これらを一番知っていたのは新井であったろう。このタフな二人の男が、4万7千の観衆の前で号泣するとは尋常なことではなかろう。二人には、我々一般人には理解しえない苦しみとそれを乗り越えた喜びがあったのだろう。この二人を精神的支柱として成し遂げたこの優勝は、カープを新しいチームに作り替えたのではないか? 広島カープ第二次黄金時代の幕開けが近い予感に駆られている。

  
    黒田を胴上げするカープ選手(スポニチ紙一面より)


    


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