日本の酒を代表するのは、醸造酒の清酒と蒸留酒の焼酎であるが、戦後の混乱期を経て昭和の終わりから平成初期にかけて両部門で不動の地位を確立したのが、清酒の「十四代」と焼酎の「森伊蔵」と思う。
私は、この二つの酒が清酒と焼酎の質を格段に高め、その後の日本酒ブーム、焼酎ブームを起こして日本の食文化に新しい時代を確立したと思っている。そしてこの二つの酒の成立には、不思議と多くの共通点があるのである。
「十四代」の高木酒造は山形県村山市、森伊蔵酒造が鹿児島県垂水市と北と南に別れ、前者を造った高木顕統(あきつな)が長男で、後者を生み出した森覚志が8人兄弟の末っ子という正反対の面があるが、その他は共通点が多い。
先ず、二人とも酒つくりを離れサラリーマンとして生きて(森はその後飲食業自営)、東京を中心に大いに青春を謳歌していた。ところが突然親父から呼び出しがかかり、「ほかの兄弟はだれも家業を継がない。お前がやらねば酒つくりは廃業となる。帰ってこい」と呼び出される。二人とも泣く泣く故郷へ帰るのである。
帰ってみると、いずれも酒つくりはすたれ杜氏もいないありさまだ。思い悩んだ末いずれも、「よし。どうせやるなら自分の酒を造ろう」と決意し、一から勉強して自ら杜氏の資格を取り酒造に取り組む。旧来の杜氏制度(蔵元は酒造にタッチせず、杜氏集団に任せる)から脱して、自ら杜氏として酒造りの先頭に立った。その後このような蔵が多くなったが、その先陣を切り開いたのも二人と言えよう。
そしてできた酒を、いずれも親父の名前で売り出した。つまり森覚志ではなく「森伊蔵」であり、十五代(顕統は十五代目)ではなく親父の「十四代」であったのである。しかも今や、双方ともプレミアムを出さねば購入できないほどの酒になった。
日本の酒産業は、戦後の長い荒廃を経験した。それを救った一端が、この二つの銘柄と言っても過言ではないと思っている。そしてその裏には、「ホンモノを、自分の酒を造ろう」と決意した二人の若者の生き様があった。その多くの共通点に、何か運命的なものを感じるのである。