三弟淳の七回忌の法要で臼杵に帰った。何度も書いてきたが、淳は男ばかり五人兄弟の三番目、明るくにぎやかに座を取り持つ男で、いつも話題を欠くことはなかった。とはいえ、七回忌ともなれば「去る者は日々に疎く」、思い出を語るには、日時を手繰ることが多くなった。
ところが、翌日、淳の残した「九重の山小屋」を訪ねると、そこには淳の痕跡が鮮明に残されていた。彼は教員をやめるとその退職金で、九住山の北面、飯田高原の一角に、約三千坪を購入して山小屋を建てた。それだけではなく小屋の周囲に、秋田県の白神山地や駒ヶ岳中腹のブナの苗木を移植し、ブナ林を造成する計画を立てた。
秋田のブナが九州で育つはずはない、という周囲に声にひるむことなく、死ぬまでそのブナ林の育成に努めた。私もこれまで、淳に連れられて何度もその地を訪れたが、確かにブナも育っていたがクヌギなどの雑木と雑草に覆われ雑然とした風景であった。
ところが、今度訪ねてみると雑木は除かれ雑草は刈られて、何百本のブナが見事な大木に成長して紅葉を誇っていた。地元九重町の後継青年たちが、今なお手入れを続けてくれていうのだ。素晴らしい景観であった。
淳は死してブナを残した、というべきか!
(注)私は不覚にもカメラの設定を誤って、全ての写真を失った。従って、以下の写真はすべて同行者のものに依存する。
法要を終え、龍源寺の墓地に卒塔婆を納め記念撮影
健次撮影、ブナ林最大のブナ
淳の山小屋「いろり荘」前で記念撮影(浩子さんのカメラ)
淳の面影を残す「いろり荘」のいろり(浩子さん撮影)
山小屋から「わいた山」を望む(健次のカメラ)