旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

力を出し尽くした「未完の横綱」稀勢の里

2019-01-18 10:43:55 | スポーツ


 稀勢の里の引退に、多くの国民が愛惜の涙を流している。これほど多くの国民に、ひとしく惜しまれて引退した力士がいたであろうか? 彼は、モンゴル勢が席捲した平成の角界にあって、一人それに立ち向かって横綱まで上り詰めた。まさに、上り詰めたという言葉がふさわしいように、横綱になったとき、その体は、怪我のため相撲をとれる状態ではなかったようだ。
 彼は常に力の限りを尽くし、勝っても負けても表情を変えることはなかった。想像を超える逆転劇を演じても、ガッツポーズ一つ見せなかった。賞金の大束をつかんで振りかざす白鵬のしぐさに、出稼ぎ人の金銭の匂いがたたよっているのと対照的であった。
 稀勢の里は引退会見で、「親方から、横綱の世界は大関以下の関取の世界と全く違う、と言われたが、ついに横綱の世界は見えなかった」と言った。悔いが残ったであろう。しかし同時に、「わが土俵人生において一点の悔いもない」とも言った。この「悔いなし」は、努力の限りを尽くした充足感が言わせたもので、彼が求めた横綱の境地は、はるか先にあったのではないか?
 国民は等しく、この、平成時代の一番強い日本人に「完成した横綱」を見たかったのではないか? だから初日からの三連敗に対しても座布団ひとつ投げ入れることなく、彼の引退を惜しんだのであろう。

 双葉山が70連勝を阻まれたとき、「未だ木鶏に及ばず」と言ったことは有名であるが、彼は明らかに横綱の境地には達していたのだろう。稀勢の里は、「横綱の世界は見えなかった」と言っている。そして国民は、不屈の努力でその境地を追い求める「未完の横綱」に愛惜の情を惜しまない。いや、国民は、別の形でも横綱を完成するまで、稀勢の里とともに歩こうと思っているのではないか。


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