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沖縄タイムス:大弦小弦 (2008年1月5日 朝刊 1面)
官公庁の仕事始めで二〇〇八年が本格始動した。民間は二日から商いを始めたところも多いので、三が日をたっぷり正月気分で過ごせた人はそう多くないはず。
正月の雰囲気が薄れた理由の一つに、日の丸の風景を見なくなったこともあるのではないか。本土復帰が近づいたころは、街でも田舎でも家々が競うように日の丸を掲げていた。白黒に塗られたポール、先端には金色の玉も誇らしく。
そんな光景を三が日で見たのは恩納村で一件、南城市で一件。なぜみんな旗をしまい込んだのだろう。一九八〇年代後半に学校行事へ日の丸・君が代が強制的に導入された際の混乱が後遺症になっていると思う。
さらに九〇年代後半には、国旗国歌法案への賛否をめぐって論争が起きた。政治的な“色”がついた旗となれば、家屋敷に堂々と掲げるのは難しいはずだ。もとより沖縄では旧日本軍の負のイメージなどが深層心理でつながっている。
小学生のころ、運動会の校歌ダンス用にと手旗を作った。白い紙にお椀を伏せて○を描くと、ちょうどいいサイズ。はみ出さないよう赤い絵の具を塗る。日の丸のデザイン自体はシンプルで明快な色使いである。
しかし国のシンボルなのに、国民的に慕われていない。政治や教育行政の側はなぜそうなったかを反省すべきだ。今年はオリンピックがある。選手の活躍や戦いぶりとともに、日の丸がどんな表情で北京に翻るかも見届けたい。(山城興朝)
◇
>政治的な“色”がついた旗となれば、家屋敷に堂々と掲げるのは難しいはずだ。もとより沖縄では旧日本軍の負のイメージなどが深層心理でつながっている。
>しかし国のシンボルなのに、国民的に慕われていない。
>政治や教育行政の側はなぜそうなったかを反省すべきだ。
良くもまあ、恥知らずにと言おうか、ぬけぬけといおうか,沖縄タイムスが このような文言が書けるものと関心させられる。
沖縄人は日の丸を祖国復帰のシンボルとして掲げ、島ぐるみで祖国復帰を勝ち取り、沖縄の教職員はその先頭に立って日の丸を掲げて来た。
復帰直後の沖縄の正月は、官公庁は勿論殆どの家庭は誇らしげに日の丸を掲げて正月を祝った。
その日の丸に政治的“色”をつけたのは教職員組合であり、その「反日の丸運動」を熱烈に支援してきたのは他ならぬ沖縄タイムスではなかったのか。
マッチポンプもここに極まれりだ。
タイムスは復帰前は日の丸掲揚に賛意を表し、復帰後は反日の丸に憎悪をむき出しにした。
そして今度は正月に日の丸掲揚が少ないのは、教育行政が「日の丸に政治的“色”をつけた」せいだと言掛かりつける気なのか。
言掛かりはお門違いで、相手は沖教組ではないのか。
まさか新年早々のたちの悪い冗談では、と疑いたくもなる。
日の丸を掲げて祖国復帰の先頭に立った沖縄教職員会は、復帰後の七四年に日教組の傘下に入り、「反日の丸」にスタンスを転換した。
福地曠昭・元沖教組委員長は当時の方針転換について、「六〇年代から日教組の教研集会で、日の丸掲揚をやめるよう幹部から求められていた」と証言している。
つまり日の丸に政治的“色”をつけたのは沖縄の教職員でありそれを後押ししたのは沖縄タイムスだったのをコラム筆者が知らぬはずはない。
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復帰後の日の丸抵抗事件というと、1987年の沖縄国体の会場になった読谷村の野球場に掲揚された日の丸を引き下ろして焼いた知花昌一氏が有名。
それともう1人、卒業式に掲揚した日の丸を引きずり下ろした女子高生が思い浮かぶ。
知花氏はその後「像の檻」の持ち主として沖縄左翼の英雄となり、全国的に「プロ市民」としてその名を知られるようになった。
地元新聞は勿論各種講演会で引っ張りだこで、法政大学で講義をしたほどだ。
知花氏はある意味有名人なのでここではさておいて、日の丸を引きずり下ろした女子高校生について触れたい。
「ゆんたんざ沖縄」が彼女の「行動」についてドキュメント映画を作っているらしいので、その紹介サイトをいかに引用する。
日の丸への抵抗
「復帰」後の現在も日本の米軍基地の35%が沖縄に集中している。太平洋地域で最大といわれる嘉手納空軍基地の隣の読谷村は、総面積の48%が米軍基地で、日常の中に戦争が同居しているといってよい。像の制作の中心を担うのは沖縄・浜比嘉島出身の彫刻家・金城実さん。遺族の人たち、小学生もしっくい塗りや成型に参加し、像は次第に形になってゆく。
折しも沖縄で初めて国体が開催されることとなり、日の丸問題が表面化する。「日の丸」掲揚が行政指導で強制され、教師や生徒の反対の動きが紹介される。圧巻はひとりの女子高生の抵抗だ。日の丸掲揚を卒業式で断行されようとしたため、むしりとったのだ。「卒業できなくてよいのか」と説得にあたる教師に「いやです!」「誰が賛成しましたか」と泣いて訴える。その友人もいっしょに教師に抗議する。ついに彼女は泣きながら走り出し、日の丸を下水で汚し校庭に投げ捨てる。この動きはカメラも追いきれないほどの強烈さがある。(ゆんたんざ沖縄 映画製作・配給会社シグロhttp://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=33)
◇
生徒を政治運動に引き込むのは左翼教師の常套手段で、去年の9月29日の「“11万人”集会」の壇上で、男女高校生に政治イデオロギーを語らしたのはその好例だ。
卒業式で日の丸を引きずり落とし下水で汚した女子高校生の行為も彼女自身で考えた行為とは到底思えない。
その証拠は、事件から数年後、地元テレビが既に大学生(琉球大学?)になっていた「あの時の女子高生」に大学キャンバスで突撃インタビューを試みた時の「元女子高生」の態度である。
バリバリの左翼大学生に育っていると予想して、彼女をジャンヌダルクのような英雄扱いの前ぶりで近づいたインタビューマイクに、
「元女子高生」は一言も答えず、カメラから顔を隠しながら人ごみに消えた。
その時かろうじてカメラが捕らえた彼女の表情からは、日の丸掲揚に反対した女闘士の面影はなく、
「若気の至り」で左翼教師に踊らされた平凡な女子大生の困惑した姿しか読み取れなかった。
彼女にとって「あの事件」は記録フィルムが物語るような英雄的行為ではなく、
触れては欲しくない「青春の蹉跌」だったのだろう。
◇
沖縄タイムスが過去に日の丸に対して憎悪むき出しの記事を書いてきたのは沖縄県民なら周知の事実だが、
それに頬被りをして白々しいコラムを書くのなら、タイムスの過去の記事を引用して思い起こさしてみたい。
昭和天皇が果たせなかった沖縄訪問。
その遺志をついで天皇皇后両陛下が来県された時、小学生が日の丸を振って歓迎するという計画があり、
交通整理の都合で警察が自治体と打ち合わせをしたり、自治体職員が歓迎行事に協力すると言うことになった。
各自治体の行動はごく当然のことで、せっかくの御来訪に万が一にも事故や不都合があっては困るというのは沖縄県民の総意であったはずだ。
ところが沖縄タイムスは、自治体や警察の準備行動が、日の丸の小旗を振るというだけで、気に入らなかった。
そして日の丸猛反対のキャンペーン記事を書きまくったのは沖縄タイムスだったことをコラムの筆者はお忘れなのだろうか。
数ある沖縄タイムスの「反日の丸」記事の中から数例を下記に引用する。
日の丸小旗歓迎/小中学生動員を下地町と警察が打ち合わせ/市職員動員は撤回へ [沖縄タイムス]
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200401201700.html#no_1
沖縄タイムス<2004年1月20日 夕刊 5面>
那覇市が職員動員撤回へ/「日の丸」手旗歓迎
那覇市が、二十三日に来県する天皇・皇后両陛下歓迎のため、職員を業務として動員して「日の丸」の手旗を振らせる問題について、同市は二十日午前、動員を撤回してボランティアでの協力依頼に見直す方針を固めた。一方、糸満市は市内二カ所に職員約百人を動員し、「日の丸」小旗で歓迎する予定だ。県市長会の要請を受けて石川、具志川、宜野湾の三市は管理職などの派遣で対応。一方、初の天皇訪問となる平良市は職員にボランティアでの送迎を依頼、石垣市は職員の自主的判断に任せるとしている。
那覇市は二十日午前九時半から部長会議を開き、業務での動員ではなくボランティアで協力を求める方針に見直すことを決めた。市幹部は「市長への報告後、正式に決定される」としている。
本紙の報道に対して翁長雄志市長は、動員は県市長会からの協力依頼を受けて、担当部の判断で決定したと説明。「暴力団追放や交通安全大会などでも同様に動員しており、国の象徴である陛下の歓迎と区別することはできないのではないか。ただ、市長会からどのような経緯で依頼があったのか吟味する必要がある」との考えを示した。
市職労の平良昌史委員長は「市の対応は安易に映る。公務としての必然性があるか疑問だ。市長を含めて、協議のあり方や職員への説明など、手続き面を問いたい」としている。
天皇ご夫妻が沖縄平和祈念堂を訪れる糸満市は、二十三日午後一時五十分から約二時間、車列が通る糸満ロータリーなど市内二カ所で職員約百人を業務で動員し、「日の丸」の小旗で歓迎する。二十日午前、緊急部長会議で対応を協議したが、結論は持ち越した。
上原裕常市民部長は「公務内での動員撤回を含め、市長らと協議したい」とした。市職労の金城盛憲委員長は「本庁で働く職員二百五十人の半数近くが動員され、業務がまひする。公務員が仕事として日の丸を振るのはおかしい」と反発した。
初の来訪になる平良市は、市民ボランティアの協力会と連携して歓迎する。職員にはボランティアで協力を依頼した。石垣市は「業務でなく、協力を呼び掛けたい」として強制しない方針。総務部は「沿道での歓迎は職員の自主判断」とした。
具志川市、石川市、宜野湾市は、県市長会の要請を受けて、天皇ご夫妻が通る那覇市内の交差点前に管理職などを派遣、「日の丸」の手旗を振らせる。沖縄市と浦添市は動員の予定はない。車列が通過する豊見城市は動員しない方向だ。名護市は未定という。
県は職員動員など予定していない。市町村課は「法に規定していない仕事も公務として実施される実態もある」と指摘、「住民の理解を得られるかを含め、自治体が総合的に判断したのではないか」と、公務か否かの判断は示さなかった。
県職員の一人は「旗振りを公務ととらえる感覚は理解できない」とあきれ顔だった。
行き過ぎでは
地方自治に詳しい仲地博琉大教授の話 天皇を歓迎するとすれば、市民の自由な盛り上がりに期待すべきではないか。市の業務をどう考えるかということは、市の存在意義にもかかわる。行財政が厳しく、役所の仕事に対する市民の目も厳しい中、業務として手旗を振ることが市の役割とする判断に疑問を感じる。行き過ぎではないか。
時代錯誤だ
憲法が専門の井端正幸沖国大教授の話 時代錯誤もはなはだしい。大日本帝国憲法下の天皇主権に臣民が服従したころを想起させる。政治的な権限のない象徴天皇を元首扱いするようなもので、国民主権の原則を逸脱している。職員動員が市長や部長の協力依頼であっても強制力が働くはずで、職員の思想、良心の自由にも触れる恐れがある。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200401211700.html#no_3
沖縄タイムス<2004年1月21日 夕刊 5面>
日の丸小旗歓迎/小中学生動員を下地町と警察が打ち合わせ
天皇ご夫妻が下地町に立ち寄る二十五日の日曜日、町内三小中学校が児童・生徒三百九十人に「日の丸」の小旗を振って歓迎させる計画は、町と警察が日常的に行っている業務打ち合わせで決まっていたことが二十一日、同町側の説明で分かった。児童・生徒の休日登校は通常、運動会や学習発表会など年間行事の中で計画され、学校長が市町村教育委員会へ事前申請する。町企画課の川満好信課長は「警察側から子どもが何らかの形で参加できないかとの申し入れがあり、校長会で学校側に依頼した」と説明している。
関連エントリ:君が代・日の丸病患者 |
参考サイト;
沖縄問題のタブーを解く-日の丸を”裏切った「教職員組合」
沖縄タイムスの日の丸記事は恥知らずだと思う方、
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【付記】ここにも高校生を政治イデオロギーに引っ張り込む新聞があった。
中日春秋(12月28日)
復帰30年沖縄新時代宣言―沖縄問題のタブーを解く 黒木 正博,早川 俊行,木下 義昭 世界日報社 このアイテムの詳細を見る |